それはいとも簡単に



友達、と表してもいいものだろうか。いや、そんなおこがましいことは…!いやでも人生で家族以外の人とあんなに親密な関係になったのは初めてだ。かと言って彼の方から友達になりたいと言われたわけではないし、これはまだ、ただのクラスメイト…。

いつもと同じ時間に教室に入る。この時間に来ると、まだそんなに人はいなくて、ドア付近を男子に封鎖されることもない。席に鞄を置いてマフラーを鞄の中にしまい込む。そうだ、この前図書室で借りた本を読もう。

徐々に教室内が騒がしくなってきた。自分の世界に入り込むのは得意だし、集中力もある。朝からバカをやり始める男子のことはお構いなしに読書を続けた。

「うおー、今日は寒いなあ」
「お前が薄着なだけやろ」

「白石、謙也ー、おーっす」
「「おー」」

おはよう、と男子、女子共に挨拶を交わす彼ら。わたしの集中力はプツリと途絶えて、忍足くんの姿をこの目で確認した。

彼は、いつも通りだ。いつも通り明るくて、眩しい。

「(…当り前か)」

友達なんかじゃない、わたしはクラスメイトの一人。それはわたしにとっても同じことだ。

「おっ、名字おはよう!」
「へ、」
「…?、おはよーさん!」
「お、っ、おはよう」

わざわざ、なんで。挨拶を返しただけで、どうしてそんな笑顔になれるの。まるで、友達同士みたいに。

「おはよう名字さん」
「えっ!あ、おは、よう」
「なっ、なんや白石!俺に便乗すな!」
「え?なんで?ええやん別に。クラスメイトやろ」
「ふん!お前はな!せやけど俺はちゃうで!名字とは友達やからな!」

「友達…?」
「?、おん!当たり前やん!」


眩しいくらい、疑いようのない笑顔をわたしにくれた。
それだけのことなのに、世界が、明るくなった気がした。


ずっとずっと、欲しかった。羨ましいと思っていた。サイボーグと呼ばれるわたしが、ロボット、無感情、そう言われてきたわたしが、忍足くんと、友達…?

眩しくて、遠い。そんな存在の人と、まさかそんな奇跡みたいな話。

「へえ、なんやいつの間に仲良うなったん?」
「なんぼ白石でもそれは教えられへん!」
「なんや、別に大したことあらへんのやろ。まあ興味ないけど」
「ないんかい!」

嬉しい、嬉しい、嬉しい。
友達、だって。帰ったらお母さんに報告しなくちゃ。お父さんにも、絶対。

「ん、なんや、名字さんって笑ったら可愛いやん」
「え!?みっ、見たんか!?」
「は?うん、見たけど、」
「み、見んなや!」
「なんでやねん、お前のもんちゃうやろ」
「うっさい!」
「なんでキレてんねん。アホやこいつ。名字さん、ほな俺も友達な」
「張り合うなや!」
「ええやん別に。俺は喋りたい奴と喋る」
「おっ、お前がそんなんやから俺が霞むんや!一生フツメンや!」
「知らんがな。なあ名字さん」
「は、はあ」

忍足くんの次は白石くんか。い、一気に二人も友達が出来てしまった。こちらから申し込みもしてないのに、友達になってくれた。

"喋りたい奴と喋る"と言った彼が異常なまでにモテる理由が今わかった。顔が良いというのももちろん理由のひとつだろうけど、忍足くんと一番仲の良い人だ。眩しくないわけがない。

「名字さんはアレやな、いつもここの席やな」
「…ここの席気に入ってるから」
「えー、先生の唾とか飛んでけえへんの?」
「そ、それは気にしたことなかった」
「特に地学の山上は酷いで。授業ん時はさり気なく机下げ」
「わかった」

わたしが人気者の白石くんとお喋りしていると、クラスメイトがざわざわと集まってきた。こ、これがイケメンの力か。すごいなあ。

「あいつサイボーグの癖に意外と喋るなあ」
「えーでも表情全然変わらへんやん」
「なんかさっき笑ったらしいで。白石が見たって」
「えー、名字って感情あったんや!」

昨日までのわたしの日常はなんだったんだろうか。生まれ変わったみたいに、わたしを見る目が変わった気がする。別にイメチェンをしたわけでもないし、わたしの態度はいつもとなんら変わりはない。やっぱり彼らの力はすごいと思った。まるで魔法使いのようだ。

*

体育の時間というのは、実に憂鬱な時間だった。わたしは運動が元々苦手で、足も遅いし身体も固い。他の教科はオール5だけど、この体育という教科だけは、3なのだ。悔しいことに。

人には生まれ持った潜在能力というものがある。わたしにとってそれは勉強であり、努力すればどんどん伸びていくもの。だけどそれ以外のものは持ち合わせていないし、努力にも限界というものがある。わたしはこと運動に関しては、努力することを諦めている。

「じゃあ二人組でペアになってねー」

たまに先生までもわたしの敵なのかと思うことがある。だってそうでしょう。二人組なんて仲の良いもの同士で大体構成されていく。うちのクラスの女子は15人。欠席者がいない限り、どうしたって一人余る。

「先生、ペアがいないのでわたしと組んでもらってもいいですか」
「え?ああ、名字さんね。はいはい、じゃあこっち来てー」

奇数だとわかっててペアを組ませたんじゃないのか、と溜息をつきながら先生の元へ行く。ストレッチを終えて今日はバレーの対陣パスだ。下手なわたしは何度もボールを取りこぼして、あちらこちらへボールを追いかけて取りに行く。先生が呆れた顔をしているのが、遠くからでもわかった。

どうせわたしは運動音痴ですよ、と形にもなってないトスをあげる。それは思ってもいない方向へ飛んで、誰かの頭にポンと落ちた。ま、まずいことをしてしまった。

「ご、ごめん。わざとじゃない」
「あはは、ええよ全然。気にせんといて!はいボール!」
「あ、ありがとう…」

いつもだったら、「気を付けろこのサイボーグ!」とか「出来へんのやったら参加すんなアホ!」とか言われ放題なのに。この人は天使か。

忍足くんと同じように、輝いて、眩しかった。

「あ、そうや名字さん、次円陣パスやからここ混ざり!」
「え?いや、でもわたし、下手だし」
「かおちゃん名字さんも混ぜたってええやろー?」
「別にええよー」
「な!ほら、やろ!」

忍足くんに出会ってから、嬉しいことばかりが続いた。とうとうわたしにも転機が訪れたのだろうか。やばい、感動して涙が出そうだ。先生もわたしを見て、相手をしなくて済む、といった感じでにこにこしている。

生まれて初めて誰かの輪に入れてもらった。いつもは先生が気を遣って、どこかのグループに入れてやってくれ、とわたしと一緒にお願いをするところから始まるもの。だけど今日は違う。いや、今日から、かもしれない。

「あははは!名字さんほんまに下手やねえ!」
「ご、ごめん…!」
「あんな、ボールあげるときに、目瞑ってるのがあかんと思うねん。怖がらずに、目ぇ開けてちゃんとボールを見る!したら絶対出来るから!」
「う、うん。わかった」

アドバイスをもらったのももちろん初めてのことだ。先生から問題の解き方を教えてもらうことはしょっちゅうあったけど、こんなのは初めてだ。

浮いてはいないだろうか。わたしは上手にこの円陣の輪に溶け込めているだろうか。

「(怖がらずに、目を開けて、ボールをみて、あげる…!)」
「!、そう!今の今の!出来るやん!」
「で、出来た…」
「あは、もうちょい嬉しそうな顔したらええのにー」
「ほんま表情硬いよなあ」
「ほなもっかい行くでー!」

憂鬱だった体育の時間は、とても充実したものへと変わった。次も誘ってもらえるかどうかはわからないけど、それでも次の体育の授業が少しだけ楽しみになった。



「お母さん、友達が出来た」
「…!?ま、マジで!?」
「マジだよお母さん。男の子だけど、二人も」
「二人も!?ちょっとクラス写真持ってきてごらんなさい!」
「うん」

今日は名前の好きなシチューにしなきゃ!と慌てて立ちあがる母。ああ、生きている内にこんな報告が出来るとは。もう一生出来ないだろうと手を伸ばすことを諦めていたのに。あんなに嬉しそうな顔が見られるなら、もっとちゃんと頑張っていればよかった。

「お父さん、友達が出来たよ」

仏壇の前で、写真の向こうで笑っている父に報告をした。よかったな、と頭を撫でてほしいけど、代わりにお母さんに撫でてもらうね。


「どれどれ?どの子と友達になったの?」
「んーとね、この人。とこの人」
「やだ、めちゃくちゃイケメンじゃないの」
「うん」

4月に撮ったクラス写真。わたしは毎年同じ表情で、ちっとも変わってない。今またクラス写真を撮るとなると、この時と違った表情で写ることが出来るのだろうか。
この時も今も微塵も変わらない忍足くんは、出席番号が隣の大下くんと二人して笑顔で写っている。変わらない、この人は何も。きっとこの先もずっと、変わることはないのだと思う。

「なんて言う子?」
「こっちの金髪の彼が忍足くん、こっちが白石くん」
「お母さん白石くんタイプだわー。お父さんに似てない?」
「え、全然似てないと思うよ。白石くんすごくイケメンだよ」
「あら、お父さんだってイケメンよ。若い頃なんか超モテモテだったんだから」
「へえ。そうなんだ」
「でも初めて出来た友達がまさか男の子なんてねえ。しかもこんなイケメン二人!三角関係には気をつけなさいよー?」
「それはないから安心して」
「わかんないじゃない。あんたが好きじゃなくても、好きになられることだってあるんだから」
「ないない、マジでないから」
「まあいいわ。今度連れて来てね!お母さん超もてなしちゃう!」
「…そこまで親密になれたら是非」


同性の友達もいたらな、とわたしはいつの間にこんなに欲張りな人間になってしまったんだろうか。ありえない、昨日まで18年間友達ゼロ人だった癖に、一体何を考えてるんだ全く。

「じゃあ勉強してくるから、シチュー出来たら呼んで」
「はいはい。シチューの他に食べたいものは?」
「特にないよ。シチューがあれば十分御馳走だ」

ふ、と笑って二階にあがった。今日体育で誘ってくれた彼女、住谷さんは、わたしと、友達になってくれる気はあるだろうか。
断られたらどうしよう、そんなつもりじゃなかったのに、と言われたら、わたしはどうしたらいいんだ。

「はっ、いけないいけない」

今は勉強に集中しないと。何よりも勉強、まず勉強だ。勉強は本当に素晴らしいもので、嫌なことを何もかも忘れさせてくれる。今日は良いことしかなかったけど、浮かれてはいけない。友達が増えても成績が落ちては意味がない。両立、わたしにはちゃんとこれが出来るはずだ。