陽だまりの人 相変わらず校長先生の話は長く退屈な時間だった。それとは反対に、生徒会長の答辞には感極まって泣いている人がたくさんいた。 無感情、サイボーグ、と言われていたわたしでさえ、うるうると瞳に涙を溜めてしまう程、それはそれは素晴らしい答辞だった。 幸いマスクで顔の半分は隠れているし、式中の殆どは下を向いていたから、誰にも気付かれてはないと思うけれど。 在校生や先生、保護者の拍手に見送られて、わたし達の高校三年間はここで終わった。春からはまた、わたしも含め大半の人が一年生になるわけである。 写真撮影をする人達や、部活の後輩に最後の言葉を残す人達。 わたしも住谷さんと二人で写真を撮ってもらったあと、いざ忍足くんのところへ、と自分に渇を入れる。 「名字さん、いくんやろ?」 「う、うん」 住谷さんからすれば、非常に複雑な心境なはずだ。それなのに彼女は、いつだって変わらない笑顔を向けてくれる。 「がんばれ!緊張すると思うけど、逃げたらあかんよ?」 「…住谷さん、わたし…」 「ふっ、名字さん、泣くのはまだ早いで。ほんま、どこからサイボーグっちゅーあだ名がきたんやろね?」 こんなに感受性豊かやのに、と言ってわたしの手をぎゅっと握る。それだけで、住谷さんの自信や勇気がわたしのところに流れてくるみたいでとても安心した。 「…がんばる…!」 「…うん!がんばれ!」 住谷さんも少し瞳に涙を溜めて、ぎゅううっと力を込めて強く握った。そんな彼女の姿を見て、わたしの瞳からはボロボロと涙が溢れ落ちる。「泣かんのー、」と笑う住谷さんもとうもう土嚢が崩れてしまったかのようにボロボロと涙を溢す。 「住谷さん…っ、」 「っ、うん?」 「大好き…!」 「っっ!あ、あたしもおぉ〜!」 「こ、これからも、友達でいてくれますか…?」 「当たり前やろアホおぉ、携帯も買うてもろて!」 「それは…、うん、そうするよ」 ふ、と笑うと、住谷さんは勢いに任せてわたしに抱きついた。な、なんでこの人こんな可愛いの…!少々パニックになりつつも、わたしもぎゅうっと住谷さんを抱きしめた。うわあ、なにこれ、めちゃくちゃいい匂いする。 それじゃあ、がんばって。と少しばかり名残惜しそうに住谷さんはわたしから離れた。うん、がんばる。がんばるよ。 * 「あ、白石くん!」 「ん、名字さん」 「お、忍足くん知らない?」 「あいつも名字さん探してくる言うてどっか行ったんやけど、」 「…わたしを?」 「会うてない?」 「うん、会わなかった」 「すれ違ったんやなあ。それより目ぇ赤いけど、泣いたん?」 「う、うん、まあ」 「名字さん、泣いたりするんやな」 「滅多に泣かないよ。白石くんこそ、すごい格好だね」 触れないでおこうと思ったけど、やっぱり無理だ、気になる。制服についているありとあらゆるボタン全てが、なくなってしまっている。それ故に白石くんは、まだまだ寒さの残るこの季節に、シャツは全開、インナーの黒いTシャツが彼を一層引き立たせている。月を重ねる毎に、この人の色気は増していっている気がする。これじゃあ逆効果だよ白石くん。 「好きでこんな格好してる訳ちゃうで。ほとんど追い剥ぎわたしからやわ」 「しょうがないよ、かっこいいもん」 「おおきに。名字は興味ないんやな、ボタンとか」 「ああ、第二ボタンとか?興味ないというか、欲しいと思ったことがない」 「謙也のでも?」 「…意地悪だね、白石くん」 「ははっ、すまんすまん。ん?お、あれ謙也ちゃう?」 「えっ…!?」 その名前に反応して振りかえると、忍足くんが白石くんと殆ど似た格好でこちらに歩み寄って来る。お、忍足くんも相当モテるんだなあ、と改めてすごい人を好きになってしまったんだと再認識した。 「白石、こいつ借りるで」 「借りるも何も、名字さんは俺のやないし」 名字さん相手やとすぐこれや、と嬉しそうにわたしに耳打ちする。忍足くんも大分変わってるけど、仲の良い彼も同じくらい変人である。 「名字、今ちょっとええ?」 「うん、わたしも忍足くんに話したいことがあるんだ」 「ほんならあそこ行こ、いつも弁当食べるとこ」 「あ、池の?うんいいよ」 あそこはわたしのお気に入りの場所だし、落ち着いて話が出来る。わたしにとって、高校生活を振りかえるのにはかかせない、思い出の場所である。 白石くんに、またね、と簡単に別れを告げて、忍足くんの半歩後ろを黙ってついて行く。白石くんには、またすぐに会えるだろうという確信があったからこそ、あんなにもあっさりと別れられたのだろう。友達って、やっぱりいいなあ。 この場所へ来るのもきっとこれが最後になるだろう。お昼以外にここへ来たのは、これが最初で最後だ。 緊張で息があがって、思わずマスクをとりたくなる。ふう、と短く息を吐く。やばい、なんだこれ、口から心臓が出そうな感じ。どきどきし過ぎて気持ち悪い。どうにかなってしまいそう。 落ち着くために池の鯉を眺めてみる。このコ達を見るのも最後になるのか、と不意に寂しくなる。三年間お昼を共に過ごしてくれてありがとう、と心の中でお礼を言ってみる。わたしってこんなメルヘンな性格してたっけ。 「話あるって、昨日言うてたけど」 「えっ、あ、はいっ」 「俺もあんねん。せやから、先に言うてもええ?後からちゃんと聞くから」 「…?、うん、わかった」 いつになく真剣な表情をしている。目を逸らしたくても、逸らせなかった。逸らしては、いけない気がした。苦しい、マスクなんか、邪魔でしかない。 「ぶっちゃけ最初は、興味半分やったんや。周りの奴らがサイボーグとかなんとか言うとって、からかわれとるの、ずっと黙って見とったし。いくら噂に疎い俺でも、名字のことは知っとった」 「…そう、なんだ」 興味半分、と言われて、急に胸がずきずきと痛み出す。インフルエンザの症状でもなんでもない。傷ついているのだ。改めて聞く、彼の本音に。 「名字と同じクラスになって、ほんまはどんな奴なんやろうって、気になってよう見てた。せやけど噂通り名字は笑わへんし、何言われても平気そうな顔して、ただただ淡々と毎日を過ごしとるみたいな。そんな感じに見えたんや」 「……」 「コンビニで会うた時のこと、覚えとる?」 「…肉まん?」 「せや。俺が初めて、名字の笑った顔と泣いた顔見た日」 「…そ、それは、忘れてください」 「忘れられへん。あの日から…あの日からなんや」 「…?」 「自分で言うのもなんやけど、俺、こういうのはほんまにだめで、鈍くて」 「…うん、そうだと思う」 「え?」 「わたしも人のこと言えないけど、忍足くん、鈍いよ」 「…え、ええから最後まで聞いてくれ」 「うん、ごめん」 ふふ、とマスクの下で笑う。忍足くんといると、くるくると変わる彼の表情や気持ちの変化を見ることが出来て、一緒にいるだけで楽しくなる。こうして話を聞いてるだけで笑顔になれちゃうんだ、傍にいたら、きっとずっと楽しい。 「俺とおったら、笑顔になれるって…名字にそう言ってもらえる存在になりたい」 「…うん?、もう、なってるよ?」 「そ、そうやなくて!…っあーもう、くそ!」 いきなり大きな声を出すから、思わずびくっと身体が強張ってしまった。び、びっくりした。 「だ、大丈夫?」 「全っ然大丈夫やあらへん!むしろやばい!俺は今窮地に立たされとる!」 「窮地に…?」 そんなに追い詰められて…本人もわけがわからなくなってるんだろう、頭をがしがしと掻いて、続きの言葉を一生懸命探している。 そんな彼を見て、わたしも同じ窮地に立たなければ、と勇気を出して口を開く。 「忍足くん」 「…ちょお待って、あと10秒くれ、10秒でええから」 「今からすごく勝手なこと言うけど、聞いて」 「…?、何?」 「バレンタインの日に言ったよね。あの日…忍足くんが友達だって言ってくれて、本当に嬉しかったんだって。忍足くんにとっては、なんでもないことだったとしても、わたしにとってはすごいことだったんだって」 「…覚えとる」 「他の誰とも比べられない。忍足くんだけが、わたしの中にずっと残ってる。…卒業なんか、したくない。まだ、一緒にいたい…!」 「…名字…」 息苦しくて、咄嗟にマスクを顎まで下げた。だめだ、さっき泣いたから、それで涙腺が弱くなっちゃって…。 ぽろりと溢れた涙と一緒に、気持ちが一気に溢れだす。 「ど、どうやったら、一緒にいられますかっ…?」 「…っ、」 「友達なのに、ごめんなさい。好きになっちゃったの、ごめん、ごめんなさ、」 「謝らんでええ…!」 一瞬で、身体が包み込まれた。暖かい。住谷さんとは違う、忍足くんの、男の人の匂いだ。 抱きしめられているというこの状況を、なかなか把握しきれないまま、ただ時間だけが流れているようだった。ぎゅう、と力を込められて、住谷さんの時とは比べ物にならない力強さに、心臓が異常なまでにどくどくと活発に動いている。 忍足くんの前で泣くのは、これで二度目だった。マスクに涙が染み込んでいく。 「あ、の、忍足くん…?」 「ええやんか、友達兼、彼氏で」 「…え…そんな、欲張り、」 「欲張ったらええねん。俺の前で我慢なんかせんでええ」 「…いいの?」 「ええに決まってるやろ」 「…じゃあ、」 "忍足くんが、欲しい" 怖くて、言えなかったこの気持ち。欲しいものを欲しいと言える、そしてそれが手に入る喜びを、初めて身を持って体験した。 こんなにも幸せで、暖かな気持ちになれるんだと、今知った。 「なんぼでもあげるさかい、名字のことも、俺がもらってもええ?」 「…うん、わたしでよければ」 もらってください、とぎこちなく忍足くんを抱きしめる。住谷さんとは違う、硬くてごつごつした身体に戸惑いながらも、忍足くんは男の人なんだと、意識して緊張がいつまでも解けない。 「ずっと一緒に、いられる?」 「おりたい」 「本当に我慢、しなくていいの?」 「ええよ。なんでも言うて」 「…うん、わかった。忍足くんも、我慢しないでね」 「…俺はする。せなあかん」 「え、なんで?」 「なんでもや!」 顔をあげて忍足くんを見つめると、目を逸らして、マスクを強引にずり上げられた。そうだった、わたしまだ治りかけで…!うつったらマズいものな、と慌てて俯く。 「後でお母さんに報告してもいい?」 「あ、もしかして今日来てはる?」 「うん、来てるよ」 「ほんなら俺からも挨拶さして。ちょお早いけどな、」 これからずっと一緒におるんやし、と笑う忍足くんの笑顔は、優しく、陽だまりのように眩しかった。 end and...? ← |