境界線のその先へ



「ごっ、ごめん、遅れて…!」
「たった5分やろ、気にせんでええのに。走って来たん?」
「う、うん、一応…」
「相変わらず可愛い格好やな」
「…白石くんこそ、かっこいい、と思う」
「ははっ、おーきに。もう行く?ちょっと休憩してからにしよか」
「いや、大丈夫だよ」
「ん、ほなせめて髪だけでも直してからな」

のっけから甘さ全開の白石くんに、戸惑いを隠せなかった。ぱぱっと髪を直してくれて、「よし、ほな行こか」と笑いかけられたら誰だってどきどきしてしまう。いやこれは走ってきたからであって、別に白石くんは通常運転なのだからして!一連の発言に深い意味はない。それだけは断言出来る。

白石くんと二人でどこかへ行くのは初めてだった。いつもはここに忍足くんがいて、彼の話を二人で聞くのがわたし達二人の役目だ。だけど今日は彼はいない。白石くんは聞き上手でもあり話し上手というのだから、これまたずるいところである。

「行きたいところって?」
「新しく出来たお好み焼き屋なんやけど、めっちゃ評判ええらしくて。この前も雑誌で紹介されとって、どんなもんなやろーと思ってな。お好み好き?」
「うん、普通に好きだよ。ご飯と一緒には食べないけど」
「そうなんや。ならよかったわ。絶対人多いやろ思て予約しといたから大丈夫やで」

完璧だ、完璧すぎる。どうやったら中も外もこんなに完璧に仕上がるんだろうか。育ち云々の問題を越えてしまっている気がする。優しいし、気が利くし、行動がスマートだ。歩くペースも合わせてくれるし、人にぶつかりそうになったら、そっと肩を引き寄せてくれる。すごいなあ、慣れてるのかなあ。
尊敬の眼差しで彼を見つめると、「何?」と優しい微笑みを返される。うわあ眩しい。

「名字さん、気付いとる?」
「え?」
「…いや、なんでもない。あ、ここここ。狭そうやけど、中結構広いんやて」
「そうなんだ。お腹空いてるから楽しみ」
「ん、ほな入ろか」

一瞬白石くんが呆れたような顔をしたのは気のせいだろうか。そんなことで悩む暇もないくらい、空腹に侵されていた。お店の中はお好み焼きの匂いが充満していて、口の中にじゅ、と唾液が溢れた。

お互いの注文したものが鉄板へ運ばれて来て、ようやく待ちに待ったその時が来た。最初の一口は言葉に出来ないくらいアツアツで美味しかった。

「うまっ!ふわとろや!」
「うん、これはおいしいね」
「ん、名字さんのなんやったっけ?」
「豚玉ミックス」
「一口もらってええ?俺のもあげるさかい」
「うん、いいよ」

わたしの前にあるお好み焼きをヘラで一口分綺麗に崩して乗せた。そのまま一口パクリと食べた後、幸せそうな笑顔で「んっ、美味い!」と一言そう言った。わたしも白石くんのを一口もらって口に運んだ。どちらもおいしくて、食べているだけで幸せな気持ちになる。今度お母さんとまた来よう。

「こんなところでする話とちゃうけど、謙也とはどうなん?」
「忍足くん?…どうって、普通に仲良くしてくれてるよ」
「それは知っとる。そうじゃなくて、謙也のことどう思ってるんやっちゅー話」
「どうって…」
「前に謙也をひとりじめしたい言うてたやんか。バレンタインはあげへんかったみたいやけど、あいつとこうなりたいっていう願望はないん?」
「なくは、ないよ。ずっと一緒にいられたらいいのにって思う」
「でもずっとは無理や。俺らはもうすぐ卒業やし、謙也とは大学も別々なんやから」
「…うん、わかってる」
「早いとこ本音吐き出した方がええよ。欲しいもんは欲しいって口に出さんと、だーれも気づいてくれへん。仮に俺が気付いてあげられても、それじゃあ意味ないしな」

忍足くんが欲しい。そんなことを思ってしまう自分が怖かった。もし本音を伝えたとして、その時彼は離れていってしまうんじゃないだろうか。そうなるくらいなら…、そうやって欲を抑え込んで、だけどそれでも日に日に気持ちは大きくなっていくばかりだ。既に自分で収拾のつく問題ではない。

「言うたやろ?協力するって」
「そういえばそうだったかも」
「ええ加減謙也にもイラついてたところや。それにしてもつくずく尾行が下手な奴やな」
「?」

白石くんに後れをとって、ようやくわたしも完食した。お腹いっぱいだね、と自然な会話を交わしつつ店を出る。
白石くんは御馳走してくれると言ったけど、流石にそれは悪過ぎる。なんとか割り勘にしてもらい、自分の自分は自分で払った。

「なあ、流石にもう気付いた?」
「何が?」
「何がって…マジか。あんなにバレバレやのに。名字さんストーカーとか気をつけなあかんで?警戒心が足りんから気付かへんねん」
「…ごめん、何の話?」
「なんでもない。ほなちょっとそのへんまわってみよか。服とかどこで買うん?」
「決まってないけど、気に入ったのがあれば買うって感じかな」
「へえー、あ、あれとか似合いそうやん」
「あ、可愛い」
「入ってみよ」

ディスプレイに引かれて、白石くんと一緒にお店へ入る。店員さんはまるでモデルみたいな脚の長さで、わたしに合うサイズの物が果たしてこのお店にあるのかと少々心配になってくる。

「何かお探しですか?」
「あ、いや、見てるだけなので…」
「彼氏さんめっちゃイケメンですねー」
「えっ」
「名字さーん、これとかええんちゃう?あ、でも色白やからこっちの白の方が似合うかもなあ」

彼氏さんイケメンですね。頭の中でエコーが流れて止まらない。わたしと白石くんがカップルにでも見えてるというのだろうか?この店員さんの目はフシ穴?大丈夫かこの人。

「ちょお名字さんこれ着てみ!試着試着」
「い、いいよ別に、」
「着るだけはタダやから!あ、すいませんこれ試着さしてもろてええですか?」
「もちろんですよー。こちらへどうぞ!」

男の人って買いものとか嫌いそうなイメージなんだけど、白石くんはそうじゃないのだろうか。ちゃんとこういうのに付き合ってくれて、もしそれが彼にとって苦ではないのだとしたら、ますます女の子の理想的な王子様だ。

少々強引にフィッティングルームに入らされて、仕方なく白いワンピースに脚を通す。鏡を見て思ったのは、予想以上に脚が出てしまっている。そして自分のスタイルの悪さに悲しくなった。嫌だなあ、これ見せなくちゃダメかな。

ガチャ、と扉を開けると、白石くんがこちらを見た。…あれ?いや、おかしいな。そんなはずは…でもあれは確かに…。

「お、忍足くん?」
「ん?」

丁度フィッテングルームから見えるお店のショーウィンドウの向こうに、忍足くんらしき人がいるのが見える。格好は普段とはかけ離れた変てこな格好で、ニット帽にサングラス、マフラーで口元まで隠して、喰い気味にこちらを見ている。
ストーカーに気をつけろ、と言った白石くんの言葉をこんなタイミングで思いだすなんて。な、何故忍足くんがこんなところで、あんなことを…!

そして白石くんはというと、わたしの驚きっぷりに反して、全くのスルーだ。「ああ、なんだ謙也か」とチラッと彼を見ただけですぐにわたしに視線を戻す。ええ、こんなの日常茶飯事なことなの?

「いや、白石くんあれ、あれ忍足くんだよ」
「知っとる。朝からあの調子やから。ちゅーか名字さん気付くの遅すぎやで」
「あ、朝から!?」
「実は俺が言うたんや。名字さんには秘密って言うたけど」
「ど、どうして、」
「言うたらあいつどうするんやろなあと思って。予想通り着いて来たけど。ちなみにお好み焼きん時も離れたところにおったで」
「ええっ!」
「しかし名字さんこのワンピースよう似合うなあ」
「いやでもこれ、ちょっと脚が…露出しすぎてない?」
「そうか?まあ確かに彼女やったら不安になる短さやな」
「…へえ」
「意味わかってないやろ。まあええわ、それ買わんの?」
「うん、せっかく着たのに申し訳ないけど」
「ん、ほな着替えたら出よか、あいつも早く出て来てほしいみたいやし」

忍足くんに目を向けて、はああ、と深い溜息をつく白石くん。わたしはワンピースを脱ぎ、店員さんに一言すいませんとだけ言い残して、白石くんとお店を出た。

「よー謙也ー、こんなところで気遇やなあー」
「こんにちは、忍足くん」
「はいこんにちは!気遇なわけあるかい!白石お前絶対途中気付いとったやろ!」
「途中どころか最初っから知っとったで」
「なっ…!」
「どうしてそんな格好してるの?」

素朴な疑問をぶつけると、「知るか!」と怒られてしまった。わたし何か気に障るようなこと言ったかな。

「名字さん、謙也はな、妬いてんねん」
「妬いてるって…ヤキモチのこと?」
「だああー!しっ、白石おまっ!ちゃう!ちゃうから!全然そういうのやなくてやな!」
「ええやんか、悪い気はせぇへんて。なあ?」
「…えーと、なんで忍足くんが妬く必要が…」
「こんなストーカーみたいなことまでしてなあ?気色悪いわあ」
「誰がストーカーやねん!」
「お前今の自分の姿鏡で見てみいや。ストーカー以外の何ものでもないで」
「これはファッションや!ストーカー系という新しいファッション!」

言い訳も苦しくなってきた頃、忍足くんはここに来てやっとサングラスを外した。暑かったのか、マフラーをぐっと下に下げて、きっ!と睨むようにわたしを見た。

「おっ、お前らデキとるん!?」
「…え…」

デキてるって…何故そうなる。確かに白石くんのことは好きだし、尊敬出来る人だとは思ってるけど、それはもちろん友達としてだし、お互いそういうつもりで今日一日遊んでいるわけではない。友達同士の男女が出掛けることなんてよくあること、って雑誌に書いてあったよ。

だけど忍足くんの真剣な質問且つ瞳に、さらりと答えていいものだろうかと一瞬悩んだ。「ど、どうなんや!」と返事を催促されるもんだから、何か言わなくちゃと口を開きかける。

「そう言うお前はどうなんや、謙也」
「…白石くん」
「ずるいやろそれ、なあ」
「…っそ、それもそうやな」

妙に納得してしまった忍足くんは、やはりとても聞きわけのある素直な人だ。白石くんの言うことも一理あるけど、わたしだったら逃げちゃうなあ。

「せや名字さん。俺これから妹迎えに行かなあかんから、帰りは謙也に送ってもらい」
「えっ、そうなんだ。…じゃあ仕方ないね。今日はありがとう、お好み焼き美味しかった」
「な!また行こな。ほな謙也、頑張れよ」
「なっ、う、うっさいわボケ!」
「誰がボケや、アホ!じゃあまた」
「うん」

颯爽と立ち去ってしまった白石くん。これが彼の言っていた協力というやつなのだろうか。でもこの状況で忍足くんの二人きりは結構…。

「さ、さっきは変なこと聞いてごめんな」
「あ、いや、うん。大丈夫」
「白石の言うとおりや、ほんま。ずるかった、俺」
「…?」
「こ、これからまだ時間あるん?」
「あるけど…」
「じゃっ、じゃあこの変色々まわってみいひん?」
「うん、いいよ」
「ほんま!?ほんまにええん!?」
「え、うん。忍足くんがいいなら、わたしは全然…」
「お、おお!ほっ、ほな行こか!」

くるっとわたしに背中を向けて、早々に歩き始める忍足くん。ただでさえ脚の長さが違うのに、そんなに早く歩かれちゃあなかなか追いつけない。白石くんと歩く時とは違って、ただせかせかと脚を動かすことだけで精一杯だった。

「お、忍足くん、ごめん、っ、ちょっと歩くの、速い」
「え、あっ!す、っすまん!」

これじゃあまるで競歩みたいだよ、と少し笑って茶化すと、顔を真っ赤にして「俺アホやな!」と笑う。
わ、やっぱり。白石くんが笑ってくれても、こんな風に特別どきどきすることはなかった。もちろんかっこいいなと思うし、眩しいとは思うんだけど。

わたしにとって忍足くんの笑顔は、やっぱり特別らしい。