氷 テレビでしたか見たことのないような景色が、当たり前のようにそこに広がっている。シンメトリーのこの広い庭が、本当に学校内なのか。 そんなことよりこんなお金持ち学園にこんな金髪や銀髪、赤髪のヤンキーがいるなんて知らなかった。わたしの知っている世界というのはまだまだ狭いんだなあ、と改めて思い知らされる。 事の発端は今日の放課後だ。最近は手塚くんと放課後に勉強を教えてもらったり、不二くんと花壇に水をあげにいったり、桃くんにリョーマくんとわたしの分のハンバーガーを奢ってもらったりと、すっかりヤンキーの色に染まりつつある。当然帰り道で他校生に絡まれることもあるけど、皆めちゃくちゃ強いから、こてんぱんにしてわたしには害が及ばないようにしてくれるし、もうヤンキーとかパンピーとかどうでもよくなっているのが事実だ。 今日は菊ちゃんと帰りにゲーセンに誘われたんだけど、わたしは今氷帝学園というところにいる。端的に言えば、拉致られた。この目つきの悪い金髪に。 ホームルームが終わって、菊ちゃんのクラスに向かっていた途中、突然窓から真っ黒いスーツにサングラスの怪しい人がぞろぞろっと入ってきて、そのまま近くに止めてあった黒塗りの車に乗せられて。そうして今に至るわけなんだけど。 「…す、すいません、わたしが何かしましたでしょうか…?」 「今は黙って着いて来ぃ」 「あ、はい、すいません」 毎日毎日なんでわたしはこんなに誰かに謝ってるんだろう、と思いつつ黙って金髪の人の後ろを歩く。 着いて行かされた先はいかにも高級っぽい広いリビングのような部屋だった。ここって学校なんじゃないの?何この部屋。 金髪の人は上座のソファーに座るなり、テーブルに土足で脚を架ける。「座れ」と顎で手前のソファーに座るよう促されたから、浅くそっと腰を下ろした。 「う、わあ!ふかふか!なにこれー!」 「………」 おっと、ついはしゃいでしまった。いけないいけない。皆ガン見じゃないか、そんなにわたしがはしゃぐとダメなの?なんかもうすごい気遣うなこの空気。菊ちゃんみたいな明るい人は…はっ!菊ちゃんとの約束!!すっかり忘れてた!どうしよう怒ってるかな、連絡だけでも…うわああわたし菊ちゃんのアドレスも番号も知らないや! 「テメーをこうして拉致ったのには理由がある」 「あのすいません!ちょっとわたし用事があるんですけど!」 「…ぷっ、この子全く跡部の話聞いてへん…!」 「ぎゃははは跡部の奴シカトされてやんの!」 「おい岳人、あんまり言うと跡部の奴ヘコむからやめとけって」 「んだよ、亮だってこの前色々言ってたじゃんよ!」 「ばっ、お前それ掘り返すなって!」 ギロ、と目の前の金髪の人に睨まれる。さっきまでわたしも含め騒がしかった空気が、一瞬で張り詰めたものへと変わる。ぴき、とまるで氷漬けにされたように、わたしの身体はぴくりとも動かなくなってしまった。じとり、冷や汗が背中に滲む。 「この春からだ。手塚が喧嘩から足を洗っちまったのは」 「は?」 「噂じゃあ受験勉強だの、女が出来ただの、ふわふわした生活を送ってるらしいが…」 ふ、ふわふわ?なんだふわふわした生活って。その表現が一番ふわふわしてない? 「お前が原因なんだろ?」 「わたしが?」 「テメーみたいな小汚い女がアイツを弱くした。俺様の知っている手塚は、あんな腑抜けた面なんかしてねぇんだよ」 小汚いとか、まあ確かにこんな学校に通えるあなた達のような人からしたらそうかもしれないけど。わたしの存在が手塚くんを弱くしてしまったとか、そんなの知らないし。それに。 「手塚くんは強いよ。腑抜けた顔もしてない。困ってる人は助けるし、わたしのことも助けてくれた。あんたなんかよりずっと強くて優しい」 「ハッ、それで?」 「… …」 「言いたいことはそれだけかよ?」 ぎゅ、と拳を強く握る。別に、別にわたしは関係ない。わたしが原因だったらいけないの?どんだけ手塚くんのこと気にしてんだよ。強いことが全てじゃないでしょ。 「今後もテメーが手塚や青学の奴らの周りをチョロチョロするってんなら、」 「…?」 「この氷帝に転校してもらうぜ」 「はあ!?」 わたしだけじゃなく、仲間の皆さんも唖然としている。て、転校って、そんな簡単に…! 「で、出来るわけないでしょ!?」 「いや、残念ながらお嬢ちゃん、跡部にはそれが出来るんや」 「お嬢ちゃんって…君さっきから気持ち悪いんだけど!なんなのその吐息吐き出すみたいな喋り方!普通に喋りなよ!」 「…岳人、俺泣いてもええか?ええよな」 「侑士…自信持てって、今日だって告られてたじゃねーか」 「ああ、せ、せやな、俺一応モテるし…」 「しっかりしろ侑士ぃ!」 跡部には出来るって、どういうことだろう。跡部って、この目つきの悪い金髪のことだよね。目つきだけじゃなくて口も悪いけど。 「跡部財閥って、聞いたことあんだろ」 「跡部財閥…?」 傷だらけの短髪くんが、わたしにわかりやすいように説明してくれる。どうやらこの金髪野郎、とんでもないお金持ちらしい。そういえばお母さんから噂を聞いたことがあったようななかったような…。実際一般家庭でもわたしの家からすればお金持ちに見えるのに。多分きっと、価値観からして次元が違うんだろうと思う。 「跡部さんはその跡取り息子さんで、頭はもちろん、あの肉体は男の俺でも惚れ惚れしますよ」 にっこりと笑う銀髪の長身少年は、髪の色以外はヤンキーらしからぬ好印象だ。とてもしっかりしてそうで、優しそう。なんで君はこんな不良グループなんかに入っちゃったんだ、と聞きたくなる。 「転校するか、手塚さん達と縁を切るか、さっさと選んだ方がいいですよ」 「(キノコだ…)」 なんでそんな意味のわからない選択をわたしが迫られなくちゃいけないの?別に縁を切る切らないの問題じゃなくない?そもそも手塚くんはヤンキーに向いてないっていうか、元はかなり真面目な人だよ!? 「て、転校はしない!」 「じゃあアイツらと縁を切るんだな?」 「うーーーーん……」 「樺地!」 「ウス」 パチンと彼が指を鳴らすと、後ろから大きなカバみたいな人がわたしを取り押さえた。ええっ、なになに、怖いんだけど!食べられる! 「ちょっと離してよ!何このカバ!」 「(カバって…!)」 「ぶっ、ぎゃはは聞いたかよ侑士!」 「(樺地の奴…傷ついてんな)」 「カバじゃねぇ樺地だ!確かに似てるが全然違う!」 「跡部さん…フォローになってないですよ」 「鳳、ツッコむだけ無駄だぞ」 カバに後ろからがっしりホールドされて息苦しいったらありゃしない!勢いでがぶ!と腕に噛み付いてみると「ぐ、っ」と一瞬力が緩んだ。体格差を利用して上手いことするりと下に抜け出す。 転校なんて冗談じゃない。わたしは青学から外部受験するんだから、こんな時期にこんな奴がいる学校に転校なんてするわけないだろ! 「あっ、アイツ逃げたぜ跡部!」 階段を駆け降りてさっきの広い庭に出た。やば、広すぎて道わかんないや! 「ど、どっちに逃げたら、」 「苗字!」 「…!?て、手塚くん!?それにみんなも!なんで…!」 「河村がたまたまお前が連れ去られるところを見ていてな。心当たりのある場所を探していたんだが、まさか氷帝だったとは」 「名前、大丈夫?俺もう心配で心配で気が気じゃなかったよ…!痛いところとかない?大丈夫?」 「菊ちゃん…、ごめんねわたし、約束してたのに…」 「そんなの全然いーって!無事で良かったにゃあ」 「みんなも、なんかごめん!」 わたしがいなくなったことで、こんなに迷惑と心配をかけてしまうなんて思ってもいなかった。なんでだろう、ちょっと嬉しいとか思っちゃう自分がいるのは。 「…手塚!?」 「跡部、悪いが今回お前がしたことに対して、俺達はあまりいい気分じゃないぞ」 「なんや、皆さんやる気っちゅー感じやで、跡部」 「元気そうだね忍足。怪我はもう治ったの?僕が折っちゃった肋骨とか」 「相変わらず笑顔も腹ん中も真っ黒やなあ、不二」 険悪な空気が立ち込める。え、青学と氷帝ってこんな犬と猿みたいな仲だったの? ぴりぴりと張り詰めた空気は、わたしを怖いと思わせるには十分で。そんなわたしの胸中に気付いたのか、リョーマくんがわたしを庇うように前に立ってくれた。 「リョーマく、」 「アンタは下がってて。邪魔だし、なんかあったら俺が嫌だから」 どこで覚えてきたんだそんな決め台詞!ってことをサラリと言ってみせるから、やっぱり帰国子女は違うなあと思った。 「ハッ!どうせ腕は鈍りまくってんだろ?来いよ、テメーがその女にかまけてた時間が如何に無駄だったか、気付いた頃にはもう遅ぇ、よ!」 バシィ!と金髪野郎のパンチが手塚くんの頬をぎりぎり掠めて、その拳を片手の平で食い止めた。こんなに近くでヤンキーのマジパンチを見るのは初めてだ。(自分が食らう以外で) 改めてすごい、そして怖いと思う。自然と身体が震えて、思わず目の前にいるリョーマくんの学ランをぎゅうっと掴んだ。 「先輩、怖いんだ?」 怖いなんてもんじゃないよ、本当は今すぐ帰りたい。でもだって、わたしが原因でこうなっちゃったわけだから、一人で逃げるわけにはいかないじゃないか。 「今なら止められるっスよ」 「…え、」 「耳貸して」 リョーマくんに言われるがまま耳を貸す。と、止められるって、一体どうやって…! 「…えっええええええ!」 「先輩なら出来るから。度胸あるし」 「度胸云々じゃない気が…!」 「俺のこと信じて」 そう言われても、と言いたいところだけどリョーマくんのことを信じてみる価値はありそうかも。そう思わせる何かが彼にはあるんだと思う。 覚悟を決めて足を前へ進めた。 もしこれで止めることが出来たなら、彼らは正真正銘のアホだとわたしの中で認定されることになるんだけど。 「あーーーーっ!!」 「あ!?」 「苗字?」 「隕石が今からここに墜ちるってNASAが!」 ダメで元々だ。もうどうにでもなれ!思い切って腹の底から声を出した。 当然周りの反応は何言ってんだこいつ、頭に虫でも涌いたか?というのが正しい。ただ、唯一この二人だけは常識はずれだった。正に嬉しい誤算ってやつかな。リョーマくん流石すぎる…! 「なっ何!?隕石だと!?本当なのか豆!」 「ま、豆?わたしのこと?」 「お前しかいねぇだろうが!…やべぇ、あのNASAが言うんだ、本当なんだろう…」 いやNASAは何も言ってないけど。この人すごいアホそーって会ったときからずっと思ってたけど、やっぱり本物のアホだった。「何故俺様に直接連絡して来ねぇんだ!?」と若干パニックになりつつある。バカだ。 「落ちつけ跡部。隕石なんてそう簡単に墜ちる訳がない」 「て、手塚…」 「NASAに直接確認をとってみる、というのはどうだ。名案だと思うんだが…」 「それだ!流石だな手塚ァ!」 さっきマジパンチをお見舞い仕掛けた相手に見せる笑顔には到底思えない程のキラキラした顔で、彼は本当にどこかに電話をし始めた。え、本当にNASAと連絡つくの?マジで?スゲー! それから彼は流暢な英語で本当にNASAの人に確認をとった。うわー、ペラペラだ。発音きれー。 って呑気に聞いている場合じゃなかったよ!ヤバい!わたしが嘘ついたってバレたら絶対ぼこぼこにされる!下手したら手塚くんまでも怒るんじゃなかろうか…! 程なくしてNASAとの通話は終了した。これが現実だってことがまたすごい話である。携帯電話をカバくんに渡すなり、鋭い瞳がわたしを捕らえる。また、まただ。またあの瞳。身動きが取れなくなって、呼吸さえしてはいけない気さえする。 ごくりと唾を飲み込んで、どうしようかと空っぽの脳みそで考えた。謝って許されるなら謝るけど、きっとそんなことじゃどうにもならないと思う。 「…テメー俺様に嘘吐きやがったな?」 「あ、っ…」 ぐっ、と胸倉を掴まれて、そのまま身体が宙に浮いた。 今まで何度も胸倉を掴まれたことはあるけれど、宙に浮いたのは初めてだ。首のところが痛くて苦しい。怖すぎて声も出ない。…ってかリョーマくんひどい!信じたわたしがバカだった!しかも全然助けてくれないし!どんな鬼畜だこの野郎ー! さっきまでギラギラと睨みつけていた瞳が、わたしを持ち上げるなり突然拍子抜けした表情へと変わる。あまりにも唐突すぎて、どうしたんだろうという気持ちよりも先に、ちょっと可愛く思えてしまった。 「お、お前…!」 「…?、?」 出来れば苦しいから早く降ろしてくれ、と表情で訴えつつも、アホには通用する訳もなく。あまりにも様子がおかしいからこちらから「ど、どしたの?」と問い掛けてみた。 「軽すぎんだろ…!何食って生きてんだよ!」 蒼白ともとれる顔色でそう言うなり、彼はすぐにわたしを地上に降ろした。それから何故か再び、今度は両脇の下に手を入れてふわりと上に持ち上げる。だからなんでいちいち持ち上げるの!? 「お前…実はガキだろ」 「…いや、君に言われたくない」 「じゃあなんでこんな軽いんだ?主食はなんだ、言え」 「えー、なんでも食べるけど…好きなのはおからかな?」 「おから…?なんだおからって」 「え!おから知らないの!?うっわー人生損してるね!おいしいのにー!」 「答えになってねぇ、おからって何だって聞いてんだよ」 「おからはおからだよ」 「テメ、ナメてんのか」 別にナメてないっつーの!どんだけ敵対心持たれちゃってんのわたし! 「いい加減降ろしてほしいんだけど…」と素直にお願いしてみると、はっ!と我に返って「わ、悪ぃ、軽すぎてつい…」と降ろしてくれた。この人いい人なのか悪い人なのかよくわかんないな。 その後、なんやかんやでその場は収拾がつき、今回の件については和解したらしい。誰も怪我しなくて良かった。 「俺の勘だけど…跡部の奴、苗字さんのこと気に入っちゃったんじゃないかな」 「俺もそう思うわ。ツチノコにでも遭遇したみたいな顔してんで。本人は気付いてないから言わんどこ」 「それがいいよ。面白くなりそうだし」 「にしてもなんや不思議な子やなあ。俺も跡部みたく持ち上げたいわ」 「忍足がやると変態にしか見えないからやめた方がいいよ」 「不二ィ、俺はいつでもやる気満々やで」 「へえ。僕はもう帰るけどね」 その日菊ちゃんと行くはずだったゲーセンは、どういうわけか青学のメンバー全員+ゲーセンに行ったことがないという信じられない発言をした金髪番長を引き連れて行く羽目になってしまった。 結局前に映画へ行った時と状況はほとんど変わってない。寧ろ悪化しているように思えた。 |