学校に行くのがこんなに嫌だったことが過去にあっただろうか。アイツに会いたくねぇ。噂とか広まってねぇだろうな。実は名字はすっげー悪女で、言いふらしまくってたりして…!
俺の目の下には当然の如く隈が出来ているが、この際そんなことはどうだっていいんだ。いつもより遠回りして学校に行ったにも関わらず、もう着いてしまったことに肩を落とした。俺、歩くの早ぇ…。

勇気を出して教室に向かえば、ジローが眠そうに、「おはよう」と声を掛けてきた。短く返して俺は席に着くべく教室の奥へ向かう。あぁ、アイツもう来てやがる。どうしよう。どうしたらいい?頭の中はそればっかりで、既に思考回路はパンクしそうな勢いだ。結局考えているうちに席に着いてしまい、とりあえず荷物を机に置いた。

どくん、どくん。鼓動が名字に聞こえてるんじゃねぇかって思うくらい、煩い。自分で仕出かしたことなのに、自分で何とかしなくちゃなんねぇのに、おはようのひとつも言えねぇ。どんだけヘタレなんだ俺は。名字は俺をちらりと見たが、すぐに視線を外してしまった。もしかして嫌われたのか?俺。え、うそ、マジで?

「…はよ」
「!…お、はよう」

声が掠れて最初の二文字は声にならなかったにしろ、返事はちゃんと返ってきた。やべ、嬉しい。あんなことしたのに、シカトしねぇで、普通に接してくれんのか。笑顔で返してくれんのか。
よかった。安心したら一気に眠気が来て、普段は真面目に受けている授業も、今日だけは眠ってしまいそうだった。



いつもはテニス部で集まって食う昼飯を、今日だけは教室でクラスの連中と食べることになっていた。ジローは女子からはもちろん男子からも好かれていて、持ち前の明るさで、俺達男子はいつも以上に盛り上がっていた。途中、一部の女子達も話に混ざりたいと言って、会話は更に盛り上がっていった。…それもヘンな方向に。

「ジローちゃんの好きな女の子のタイプって何?」
「俺ぇ?俺はねー、明るくて楽しい子が好きー」

にこにこと話すジローは昼飯を食ったからか少し眠そうだ。あ、うとうとし始めた。

「じゃあ宍戸は?」
「は?俺?」

なんでいきなり俺なんだよ。それ知ってお前ら何か得するのか?とか内心冷めたことを思いながら、とりあえず「生意気そうでボーイッシュな子」と答える。「あ〜、想像つくね〜!」と一人の女子が言うと、周りの女子達も「「ね〜!」」、と女子で勝手に盛り上がり始めて、俺達男子が着いて行けなくなってきた。面倒臭ぇしもう席戻ろ。

昼休憩なのに一人で席にぽつりと座っている奴がいる。と思ったら、それはいつも友達に囲まれている名字だった。珍しいな。俺はあくまでも、朝みてぇに、普通に。平然を装って話しかけてみた。

「もう昼飯食ったのか?」
「……」

俺の問いかけに、名字は口を開かなかった。代わりに首を小さく縦に振った。(…可愛い)

「一人でいるの珍しいな。次当たるのか?」

今度は完全に返事が返ってこない。首を縦にも横にも振らずに机と睨めっこ状態だ。え、朝普通だったのに。やっぱ昨日の許せねえ、とか?不安が渦巻き始めて、俺は改めて自分の席に腰を落とした。浅く座って身体を名字の方に向ける。それでも尚、名字は机を見つめたままだ。

「え、と、昨日のこと、か?」

そう聞くと、ふるふると頭を横に振った。それがさっきよりも少しオーバーで、心底違うんだと確信しホッとする。同時に、じゃあなんで?という疑問が残った。

「友達と喧嘩した、とか?」
「…違うよ」
「弁当のおかずが、激ダサだったとか?」
「…意味わかんないよ」

今のは俺も意味わかんねぇと思ったけど、だって知りてぇから。いつも笑顔で、みんなに囲まれて、慕われてる名字が、なんでこんなに元気がねぇのか。

「…俺でよかったら、聞くぜ?」
「 ………」

好きだから、知りてぇ。とはさすがに言えなかったけど。好きなヤツには、どんな形であれ笑っててほしいと思うのは誰だって同じだろ。
名字は話してくれる気になったのか、身体を俺の方に向けた。俯いていた顔が、俺を見上げる。今にも泣き出しそうな顔で。

「…え、」

ど、どうしたんだよ!そう聞く前に、名字が口を開いた。

「ここじゃ嫌だから、来て」
「えっ、ちょ、は!?」

小さな白い手に腕を掴まれて、俺を引っ張るようにして教室を出る。もちろんクラスの連中の注目の的になるのは当たり前で、それは廊下に出てからも同じだった。掴まれた腕が熱い。明らかに俺の方の熱だ。体温が上昇していくのがモロにわかる。こんな、大胆なこともすんのかよ。( ギャップってやつか…!)

連れて来られたのは家庭科室で、おそらくこいつがいつも部活で使う部屋だろう。誰も居ねぇ。二人きり。それだけで、更に俺の体温は上昇した。出来れば話は手短にお願いしてぇ。
掴まれていた手がそっと離れ、やや寂しくも感じるが、反面よかったとも思う。

「ど、どうしたんだ、急に」
「……」

名字は何も言わず、ガラガラと静かにドアを閉めた。うわ、完全な密室に、二人きりとか。状況わかってんのかコイツ。明らかにいつもと様子の違う名字の顔を覗き込むように背中を丸めると、そのままその場にしゃがみこんでしまった。(ちょ、パンツ見えるってバカ!)
俺もそれに倣ってしゃがみこむ。マジで、なんか辛いことでもあったんだろうか。そう考えると、俺まで胸が締め付けられてきた。自分のことみてぇに、胸が痛くなる。(「…それこそが恋やな」)

「あ、のね」
「ん」
「さっきの話、聞いちゃって」
「さっきの?」
「…好きなタイプが、とか」
「…あぁ、さっきのか」
「わ、たし、全然違くて」
「?、何が」
「宍戸くんの、タイプと」
「…え?」

しゃがみ込んだまま、胸に手を当てて苦しそうに言葉を吐く姿に、俺も同じ気持ちで、苦しくなりながら聞いていた。
えと、今のは、どういう意味でとればいいんだ?俺のタイプと、名字のタイプが違う、っていう意味なのか?それは違うのは当たり前だよな。そもそも性別違う訳だし。
今気付いたけど俺はなかなかバカらしい。テニスばっかで全然そういうの興味なかったから、ってまたテニスの所為にしてみる。

「男の子みたいな、女の子が好き、ってことだよね」
「や、別に俺は…」
「…髪、切ったら似合うと思う?」

そう言って、漸く俺を見た名字の瞳にはうっすら涙が溜まっていた。あぁ、くそ。もう意味わかんねぇよお前!

「わ、」

俺は無造作に膝を床に付けて、強引に名字を抱きしめた。小せぇ。女子ってこんないい匂いがするもんなのか。後少し力を入れたら潰れてしまいそうな程強く抱きしめたら、そっと俺の背中に手が添えられたのを感じて、もしかして、なんて最高に都合のいい事を妄想した。

「昨日、なんでお前にキスしたと思う?」< BR>「…わ、わかんないよ」

ずっと考えたけど、わかんなかった。

そう言って、名字は添えていた手で、俺の制服をきゅっと掴んだ。

「…正直、名字のことは俺の好きなタイプじゃねーし、どっちかっつーと苦手な部類に入る」

話の続きを聞くのが嫌なのか、瞳をゆらゆらと不安そうに蠢かして俺を見上げた。そんな顔するなよ、と溢れそうな涙を指で掬って、続きを話す。

「でも、知れば知るほど、お前のことが気になってきて、無意識じゃいられなくなってった」

俺は、
俺は名字が


「好きで好きで仕方ねぇんだよ」


腕の中にいる名字を真っ直ぐに見つめて、ありのままの気持ちを遂に言葉に出した。帽子がありゃそれで顔を隠せるのに、それも今は出来ねえ。
名字は俺を見上げたまま、わけがわからないとでも言うように、大きな瞳を更に大きくして、困惑した表情をしていた。

「え、と…え?」
「俺は、髪長くても短くても、男らしくても女らしくても、お前が好きだ」

かと言って、いきなりキスしてもいいってことにはならねぇけど。好きだから、キスした。俺からしたら、そんなすげぇシンプルなことだ。

「昨日のことは悪かった。…俺は、今のお前で十分、好きだから」

変わんなくていい。

そこまで喋ったところで、俺も限界が来た。こんなに恥ずかしいことを言ったことは生まれてこの方今日が初めてだ。十中八九今の俺は真っ赤だろうし、情けない顔をしているんだろう。腕の力を緩めると、今度は逆に名字の腕の力が強まった。まるで離さないで、とでも言われてるようで、嬉しくなる。少ない力だけど、いっぱいいっぱい、俺を抱きしめ返してくれる姿が、可愛いくて、愛しい。単純に、キスしたい。そう思った。

「昨日の、嬉しかった」
「…!」
「今、すごく、すごくすごく嬉しいよ」

ふにゃりと笑った顔は、本当に天使で。輪どころか、羽まで見えたくらいだ。俺ぁもう重症だな。

「わたしも、宍戸くんが好き」

追い討ちをかけるようにそう言われて、我慢できなくなった俺は、顔を見られないように、というのも含めて、名字の肩に顔をうずめた。誰もいない家庭科室で、誰か来るかもしれない学校の中で、俺は必死に理性を抑える。けど、だめだ。こんなん絶対無理に決まってるじゃねえか。

「もう一回、キス、してもいいか?」

耳元で呟くと、恥ずかしそうにはにかみながら頷いてくれた。今の俺程幸せなヤツはこの世にいねぇと思う。そのくらい、幸せを感じた瞬間だった。
唇と唇が触れ合う。ただそれだけのことなのに。胸が熱くなって、目の前のたった一人の女の子が、こんなにも愛しい。そしてあわよくば名字も、俺と似たようなことを思ってくれてたらいいなぁ、なんて柄もねぇことを思った。

しばらくキスに夢中になっていたが、タイミング良く予鈴のチャイムが鳴る。まるで二人だけの時間から解放されてしまうような、そんな錯覚を感じた。

「…教室戻るか」
「…やだ」
「…!」

おいおいおいおい…!!ここでそれは反則だろお前っ…!!こういう時だけ甘えて我が儘になるなんて聞いてねぇぞ、天使じゃねぇ小悪魔じゃねーか!

「やだじゃねーよ、…お前俺がどんだけ…」

この状況我慢してると思ってんだよ。察しろよそのくらい!

「だ、だって…せっかく、ずっと好きだった人と両想いになれたのに…」
「…はぁ、お前なぁ!」
「えっ、え、な、なんで怒るの!?」
「あんまり、そういうこと言うな!」
「…えぇ?」
「俺の前だけにしろよ、マジで」
「よ、よくわかんないけど、わかった」

曖昧な返事をする名字に、俺は正直に下心を話す。

「…が、我慢してんだよ、わかるか?」
「…!」

キスしてたら、もっと、舌入れたいとか思うし、許されるならその先もしたい。そういうことしか頭に浮かばなくなっちまう。でもそれはまだだ。さっきの今だし。なんつーか、そんなにホイホイ順番すっとばしていっちゃいけねえような気がする。

「わ、わかった」
「よし、じゃあ教室戻るぞ」
「うん」

本音を言えば素直に理解してくれて、俺は先に立ちあがり、目の前の名字に手を差し伸べる。こんな、天使みたいな女の子が、俺のものになったなんて、実感湧かなくて変な感じだ。それに。

「…俺は、お前よりテニスを優先することの方が多いかもしれねぇ」

ていうか、多分そうだ。そう伝えると、名字はあっさりと「わかってるよ」と返してくれた。テニスを優先していると、寂しくて嫌になって別れを切り出して来る。忍足に前そんな彼女がいたような気がする。(あれ、何人目の彼女だったっけ?)
でもその点に関しては、問題ないようだ。今のところはだけど。クラスも一緒だし、席も隣。俺は今幸せ絶頂期なのかもしれねぇ。いや、手放す気は決してないけれども。

「わたしね、教室からだけど、宍戸くんがテニスしてるとこみるの、すごく好きなんだ」
「え、そうなのか?」
「うん。すごく、かっこいい」

あの中で、一番だよ。

あの中ってーのは、もしかしてレギュラーの中でってことか?と勝手に推測して、一人で嬉しくなって、ニヤそうになる口元を手で隠す。

「宍戸くん?」
「…悪ぃ、普通に嬉しいし、照れる」
「!、え、と、ごめんなさい」
「や、…サンキュ」

心臓のあたりがやたら痒いが、多分こいつも同じだろう。このままサボりたい気持ちが余計に膨らむが、勉強も頑張らねぇと。そう思ったところで、本鈴のチャイムが鳴る。これはマジでヤバい。しかも二人で遅れて入ってきたら余計注目を浴びるし、色々面倒なことになり兼ねねぇ。俺は足を速めると、後ろから名字もいそいそとついてきた。遅ぇ。手を引いてやろうと腕を掴んだら、宍戸くん、と少し吃りながら名前を呼ばれた。

「授業遅れるぞ?」
「そ、そうじゃなくてっ」
「?」
「あ、あの、ね」

腕を掴んだまま足を止めると、名字も足を止めた。こりゃもう付き合うことになりました、って公開処刑されるしかねぇな。(主に男子に)

「なんだよ、早く言えよ」
「……て、…いいから」
「ん?」

「もっと、たくさん、…してほしいな」

「…え、と、悪い、主語がねぇとわかんねぇ」
「…そ、その、き、き、キス、とか…」

その瞬間、俺の中で何かが爆発する音がした。いやいやいや、意味わかんねぇ。さっきのに主語つけたら、尚更意味わかんねぇ。要するに要約すると、もっとたくさんキスしてほしいってことか?それとも俺が都合よく解釈してるだけか?色んなもんすっ飛ばして、最終的にたどり着く先は、きっと名字の考えてることとは違うんじゃないだろうか。
とりあえずサボりは決定だ。それはもう間違いない。あとで、二人で何やってたんだって、クラスのヤツに聞かれてもシラを切るのも決まりだ。

「お前、それ、都合の良いようにとるぞ?」

聞くと、こくり、と頷いた。頷きやがった。俺はとりあえず名字の腕から手を離す。

「来週に、試合があるんだ」
「え、そ、そうなの!?」
「あぁ。それまではテニスばっかになると思う」

正直、あんまり構ってやれない。そう伝えると少しだけ眉をハの字にして、「わかった」と返事をしてくれた。

「その試合が終わったら、…あー、くそ!」

言葉にするのがむず痒くて、俺は勢いで名字にもう一度キスをした。

「しばらく、今みてぇなこともできねーけど、終わったら、な?」

目を瞬かせて俺を見る。いきなり悪かったよ、と頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。(か、可愛い)

「うん、じゃあ、約束」

いきなり俺の手をとるなり、俺の小指と苗字の小指を結んで、指きりをし始める。今の俺なら、腕立て腹筋1000回3セットはいけそうな気がした。


fin.






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