好きだよ




シンと静まり返った室内に、わたしと雅治の二人だけが残された。幸村は本当に帰ってしまったようで、この妙な空気は依然として変わらない。

幸村の言葉を頭の中で何度もリピートしてみる。わたしが雅治に感じている好きという気持ちと、幸村達へ感じる想い。大差なんて殆どないはずなのに。

雅治の顔色を横目で伺うと、丁度ばちっと目があった。その瞬間から鼓動が急に早くなって、つい目を逸らしてしまう。どうしよう、なに、何を言えばいいの。
だってわかんないよ、雅治のこと、好きとか、それはそうだけど、でもわたしたちはそういうのじゃないっていうか、そうなっちゃいけないんだってずっと思ってきたから。

「名前、」

名前を呼ばれただけで、びくりと身体が強ばった。胸がいっぱいで、息をするのがとても苦しい。

「昔からお前だけは特別じゃった。俺の中では他の女とは違うて、線引きはしてあった」

わたしに関しては線引きも何も、彼氏という存在が居たことがなかったから、雅治はもちろんテニス部のみんなは特別だった。絶対にそういう目では見たことがなかったし、そういうのが目的でマネージャーになったわけでもなかった。

「正直俺も、イマイチ説明はつかんのんじゃ。カッコ悪いことにな。でも、」
「…?」
「幸村に…他の男にお前をとられるくらいなら…くらいならってわけでもないの、とにかく俺はそんなのは真っ平なんじゃ…!」
「ま、さは、」

待ってよ、置いていかないで。勝手に話を進めないでよ。気持ちの整理なんてこんな短時間で出来るわけないじゃんか。

「名前にその気なんかなくてもええ。俺がずっと傍に置いときたいだけじゃ。幸村の言葉の意味なんて深く考えんでもいいけぇ、」

試しに俺とそういう関係になってみんか…?

そう言ってわたしの手をいつになくそっと握った雅治の手は、いつもより冷たくて、そして震えていた。

余計なことなんて考えないで、本能で答えられたらどれだけいいんだろうと思った。わたしと雅治は気の合うただの友達、だったはずだった。でももう違うんだ。好きとか嫌いとか、そんな話が出た時点で、もう友達ではいられない。

ずっと一緒にいたいと思った。今でもそう思ってる。雅治の言う通り、試しに付き合ってみるのがいいのかもしれない。それで大好きになれたら、こんな幸せなことないじゃんね。

わかってるんだよ。返事なんか簡単なのに、言葉を選んでるうちに、やっぱりどうしても色んなことまで考えちゃって。相手が雅治だから余計に考えてしまう。

震える手から、雅治がどんな想いで今、気持ちを伝えてくれたのかが痛いほどわかる。わたしがこんな風に、考え込んだりしないで、軽く一歩を踏み出せるように、わざとあっさりした言葉で想いを伝えてくれたことも、ちゃんとわかる。わたしには、わかるよ。

だけど、でも、どうしても。

「だめ、だよ」
「…そういう関係には、なれんか…?」

そう聞かれて、ゆっくりと頷いた。握られた手に、ぎゅうっと力を込められる。この痛みより、もっと痛い。雅治の心も、わたしの心も。

「試しにって、いうのさ、わかるよ。ちゃんとわかるの。でも雅治に対して、そんな中途半端なことは出来ないというか、したくないんだ、わたしが」
「100%じゃなきゃだめなんて誰も言うとらんぜよ。0なんて言い切れんのんなら、」
「0じゃない。それはそうかもしれないけど、やっぱりだめ。雅治とは、そういう関係にはなれない」

自分でも、言ってることと思ってることがめちゃめちゃだ。傍にいてほしいと思う。ずっと一緒にいたいと思ってる。雅治が彼女と別れてくれて、心の底から嬉しいと思った自分がいた。全部事実。わたしの本心なんだと思うよ。

怖いんだ。雅治とそんな関係になることが。なった後の自分が。雅治に依存してしまったら?色んな不安だってきっとたくさん増えて、幸せかもしれないけど、嫌なことだってきっとある。人を本気で好きになるとか、絶対すごく大変で、難しくて、苦しい。

わたしは今のままがいいって思ってた。周りから見たらおかしな関係だったとしても、雅治とはこのまま、友達のまま、ずっと一緒にいたいな、なんて。

でも、もうだめ。甘えるのも、すがるのも、我が儘なんてもう言えない。
元々わたしから始めた日常ではなかったけど、手放さなきゃ。

「雅治ってさ、ゲームみたいに女の子と付き合ったり、そういうの簡単に割り切って出来ちゃったり、周りから見たら普通に最低だと思うよ、今だから言うけど」
「…は?今さら過去のこととか、」
「うん、わかってる。わたしが言いたいのはそういうことじゃなくてね、雅治は、幸せになれるひとだよ。ならなくちゃいけない」
「…?」
「何にも知らない顔して、一番色んなことよく見ててくれて、わたし、雅治のそういうところが好きなんだ。誰も見てないはずだけど、雅治だけは見ててくれてる、知っててくれてるんだって」

いつもどこかに壁があった。わたしに対して、テニス部のみんなに対して、一線を引いて、踏み込んで来るなというように。だけどそれを飛び越えてしまえば、雅治はとても、とても優しくて、仲間想いの熱い奴。くだらないことで笑ったり、くだらないことで喧嘩しちゃったり。意外と女の子の涙に弱いとことか、可愛いなって思ったり、さ。

好きだった。大好きだったよ。この気持ちがもしかしたら、恋愛感情なのかもしれない。だけど今のわたしにはそれがわからないから、そんな曖昧な気持ちで、雅治と正式にお付き合いは出来ないよ。したくない。

「好きだよ。本当に、大好き」
「…ああ、」

きっと雅治は、頭がいいから、わたしがこれから言うことはわかってるよね。
ごめんね、こんなバカで。幸村には、なんて言われちゃうかな。

「雅治とは、もう一緒には住めない」
「…っ、ああ、わかった」
「ごめん、ごめんね」
「元々、俺が勝手にいりびたっとっただけよ。俺が出ていく」
「…うん、またいつでも遊びに来てよ。ご飯くらい作るからさ」
「…悪かった。考え込むなよ。また熱出るぜよ」
「あったねえそんなこと!いつの話をしてんの」
「お前が男に初めて告られて散々悩みまくった高一の夏の話」

よくそんな詳しく覚えてくれているな、と微笑ましく思った瞬間、雅治の手がするりと離れた。離せばきっとまた冷えるんだろうな。でも、もう一度触れることは許されない。

「これ、鍵も返しとくな」
「うん、ありがとう」
「近いうちまた荷物とりにくるけぇ、また連絡する」

そう言って雅治は、名残惜しむ素振りなんて全然見せないで、部屋を後にした。

心の底で、また雅治がここに来るんだと思ったら、嬉しくなっちゃって。
本当にわたしは矛盾してる。意味がわかんない。最低。

誰もいなくなったこの空間が、どうしようもなく寂しくさせる。自分から何もかも手放したはずなのに。本当に嫌になるなあ。

「あ、あは、なんだこれ、本当、意味わかんないや」

ぼろぼろと勝手に溢れてくる涙を、今はただ、拭うしかなかった。




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