優しき暴君 | ナノ

05




幸村くんの家はとても大きくて、大げさなくらいなリアクションをとってしまった。この顔でこの性格でお金持ち…!怖いものなんて天災くらいのもんじゃなかろうか。庶民なわたしは用意されたスリッパに足を入れるのも勇気を要することだった。
どうやら今日は家族揃って外食に行くらしく、幸村くんだけがここに残るらしい。「…わ、わたし、帰ろうか?」気を遣ってそう言ったけれど、幸村くんは「命令したからね」と笑ってわたしの頭を撫でた。き、気を遣わなくていい、という意味だろうか。何にせよその優しい笑顔は本当に心臓に悪いからやめて欲しい。(とは当然言えない)

「外食ってどこ行くんだろうね?」
「さあ?フレンチとかじゃない」
「ええっ、回転寿司とかじゃないんだ!?ま、まさかあの順番に料理が出てくるやつ!?」
「多分コースだと思うよ。名前が行きたいなら言ってこようか」
「いっ、いい!いいです!無理だから!まだ早いしっ、うん」
「回転寿司、俺も好きだよ」
「ね、うまいよね、わたし嫌いなものなくてさー」

そんなどうでもいい話をしながら幸村くんの部屋の角に立つ。さ、さすがに奴隷なんだから部屋で寛いでしまうのはなんか…アレだろうと思ったから。
だけど幸村くんはわたしをせめてソファーの上に座るよう命令して、わたしは逆らわずに大人しくソファーの上に座った。(うわっ、ふ、ふかふか…!)
思わず寝転がりたくなるそのソファーは瞬時にわたしを眠りの世界へと誘おうとする。だ、だめだ、ここに座っていたら眠たくなってしまう。奴隷なのにそんなことは絶対に許されない。幸村くんもさぞお怒りになるだろう。

すくっ、とソファーから立ち上がったわたしに対して、幸村くんは少し目を丸くして「名前?」と名前を呼ぶ。とにかく違うところに座らなきゃ。

幸村くんがリラックスしているベッド以外の場所に、ああでも広すぎてどこに座ったらいいのかわからない。気でも違ったか?という顔をしている幸村くんのすぐ傍に、わたしは正座して座った。…なんでわたしショートパンツ履いて来たんだろう。安物だし、明らかに清楚な感じではない。もう自分の何もかもがこの人とはかけ離れていることに気がついて、それが気になって仕方なくなってきた。服だってもっと可愛い、花柄のワンピースなんかに着替えたいし。髪ももっとちゃんとセットしてくればよかった。化粧だってしてないし、ああ、なんか、だめだなあ。

「何してんの?ソファー座っていいって言っただろ」
「……」

絨毯の上に正座するわたしに幸村くんは不可解な顔をしている。怒っている声じゃないから、怖くはないけど。とりあえずわたしは、あんな素敵なソファーに座ってもいい人間なんかじゃないんです。奴隷は奴隷らしく床の上に正座してるだけだから、幸村くんは気にしないで。
心の中でそう唱えたけど、今日は幸村くんの読心術は不調だそうだ。幸村くんは首を傾げそうな顔をしながらベッドに座ってわたしを見下ろした。

「座り心地でも悪かった?だとしたら我儘だね」
「ちっ違うよ、だってあのソファー!」
「何」

まさか座ったら眠くなるんです、なんて馬鹿な解答は出来ない。馬鹿にされるのをわかってて口出す程わたしは馬鹿じゃない。と自分で思っている。

「…ゆ、幸村くんが一緒に居てって命令したから」
「…それが何だよ」

「ソファー、遠いから、ここに来たの」
「!」

「だってわたしは、幸村くんの奴隷、だから」

ぱ、と顔を上げた直後、幸村くんにぎゅう、と抱きしめられた。座高だって大分差があるのに抱きしめられたら首元が少し苦しい。だけど幸村くんの体温は暖かくて、どちらのもの分からない心臓の音が聞こえた。わたしかな、幸村くんかな?そんな事を考えられることがなんだか幸せで嬉しくて、わたしも幸村くんの腰に手を回した。

「…あ」
「何」
「幸村くん、すごく細いと思ってたけど、腰はわたしよりがっしりしてるね」
「…喧嘩売ってるの?」
「な、ほ、褒め言葉だよ?」
「嬉しくない」
「…ごめんなさい」
「どうしようかな」
「ええっ、ゆ、許してくれないの!?」

慌てて身を離すと、黒い笑みを浮かべた幸村くんがいた。それから自然と近づいてくる綺麗な顔に、わたしは思わず目を閉じた。
触れるだけのキスを散々された後、いつもの透き通った声を少し掠れさせた甘い声で「唇、固く閉じてちゃ舌入れられない」と言われて、わたしは怖る怖る固く閉じていた唇を開けた。すると暖かい幸村くんの舌がにゅる、と入ってきて、わたしの中で小さなパニックに陥る。じたばたと騒ぐわたしの腕はいとも簡単に幸村くんに捕まえられてしまった。抵抗する間もなく長い間口内を幸村くんの好き勝手に犯されて、わたしの力は殆ど抜けてしまった。正座なんていつから出来ていなかったかわからない、わたしのへばった身体は熱があるんじゃないかというくらい熱い。

「ゆきむら、く、っは、…っあつ、」
「…っ、じゃあ、脱げば?」

「っ、奴隷、だから、…命令してくれないと、や」
「…っ!」

幸村くんの所為で上手く舌が回らくなって、自分でも何を言っているのかよくわかっていなかった。幸村くんが急にわたしの脇の下に手を入れて「!?」何事かと思えばそのまま身体はふわっと宙に浮いて、幸村くんの居るベッドに着陸。そのまま押し倒されてまたさっきと同じ深いキス。
舌がちぎられてしまうんじゃないかと思うくらいに激しいその行為は一体いつになったら終わるんだろう。初めてキスされた時よりもずっと、ずっと気持ち良くて、嬉しい。

わたし達の関係は一体なんだろう?恋人、ではないし、友達でもない。部活の仲間でもないし、本当に会って間もないはずなのに。なのにわたしは、わたしと幸村くんは、この広い部屋で、軋むベッドの上で、一体何をしているんだろう?ただの奴隷が、ご主人様なる幸村くんにこんな風にされて、たまらなく気持ち良くて、もっとして欲しいなんておかしなことを思い始めている。
だめ、だめだよ、これ以上は、本当に──だめだ。

幸村くんがわたしの服の間に手を入れた瞬間、わたしは悪い夢から目が覚めたみたいに、幸村くんを押しのけて起き上がった。

「っ、は、ぁ、…っ、」

呼吸を整えつつ幸村くんをじっとみつめる。不満そうな顔をしている幸村くんは、一体。

「どういうつもり?」

それはわたしの台詞だ。一体、どういうつもりでこんな、こんなこと。
嬉しかった、気持ちよかった。その気持ちは嘘じゃない。だけど、今みたいなことは好きな人同士がやることだ。頭ではいつも分かっているのに、いつも断れない自分に腹が立つ。わたしは奴隷だけど、聞かなきゃいけない命令と、聞いてはいけない命令というものがある。それは自分の為に、そうしなきゃだめなんだ。だってじゃないとわたし、戻れなく、なる。

「性悪だね、お前。ここまでさせといて、興奮させといて、拒否するなんて」
「……」
「ごめんなさいとか、何かないの?自分で誘ったくせに」
「っ、さ、誘ってない!」
「ははっ、何それ本気?だとしたら随分残酷なことをするね」
「…?」
「天然でやってるんだとしたら尚更だな」

あーあ、冷めたよ。と幸村くんはベッドから立ち上がって部屋に入る前に一階から持って上がったビタミンウォーターをコップに注がずに一口飲んだ。

「…帰る?」
「…それが、命令なら」
「そう。じゃあ帰って」
「ひ、ひとつ聞いてもいい?」
「何」

「どうして、キスするの?」
「……」

「わたしに好きになれって言ったけど、幸村くんは、わたしのこと、好きじゃないんでしょ?」

だったら、キスなんて、しないで。
涙混じりにそう言うと幸村くんは悠長にまた一口ビタミンウォーターを飲んだ。幸村くんの白い喉が上下した後、幸村くんはそのまま静かに低い声で話し始めた。

「俺は、男だよ。名前」
「…そ、っ、そんなこと知ってるよ」
「言ったよね、俺のこと、女みたいだって。可愛いって」

言われて今日の会話を思い出す。そう言えばそんなことを言ったかもしれない。でもそれとこのことは何も関係がないと思う。

「奴隷だから好きなように命令して、なんて言われて、興奮しない男がどこにいるんだよ」

少し声を荒らげて言う幸村くんは、何故か傷ついた顔をしていた。どうして、だろう。
心が読めるわけじゃないから、わたしにはその表情の真意が分からない。わたしの、せい?わたしがそんな顔、させてるの?

「散々煽っといて、気持ちよさそうな顔して、命令してとか言って、それで俺が手を出したら、それは俺が悪いの?」

「ゆ、幸村、くん」

「目の前にずっと好きだった子が居て、キスまでして、気持ちよさそうな顔までしてくれてるのに、突き飛ばされて、俺が悪いなんて言われたら、もうどうしようもないじゃないか」

眉間に皺を寄せて離す幸村くんの言葉ひとつひとつが、胸にぐさぐさと突き刺さっていく。言っていることをひとつずつ整理して処理していきたいのに、上手く思考が回らなくて、ただ聞くことしかできない。

「…キスは好きな人とするもんだって、言ったけど」

幸村くんはとうとうわたしから目を背けた。目どころか身体ごと背けられて、背中だけで続きを聞かされる。

「名前が俺のこと好きじゃなきゃ、俺は一生キスなんて出来ない」

意味が分からない、頭が上手く回らない。考えたいのに、考えられない。
わかるのは、幸村くんは傷ついている。わたしよりも、ずっとずっと、傷ついて、悲しい。

「ごめん、帰って」
「…う、うん」

「ああそうだ。もういいよ」
「え?」

「もう奴隷、解放してあげるよ」
「!」

「悪かったね、色々と」


”解放してあげる”その言葉が何度も頭の中で繰り返されながら、わたしは一先ず幸村家を出た。
今日の夜空は星がすごく綺麗で、いつもだったらはしゃぐのに。月まで満月で、街灯なんていらないくらい、外は明るくて、気温も心地良い。
それなのにわたしの心は冷たくて、暗い。とてもじゃないけどはしゃげないし、隣に誰も居ないのに、はしゃぐなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。

嬉しいはずなんだ。奴隷じゃなくて、明日からは幸村くんとは無関係。休日に呼び出されることもなければ、学校で呼び出されることも、着替えなんて手伝う義理がない。良かった、これを望んでいたの。それなのに。

「あ、れ?…なんで、」

なんで、涙なんか。
流れてくるな、溢れてくるな、そう思えば思う程涙は次々と湧き出て止まらない。手の甲で拭っても拭っても、追いつかない。

幸村くんの言葉が頭から離れない。さっきまで何も言い返せない、理解もし難かった言葉達が、わたしの頭の中をぐるぐると回っている。

『俺が悪いの?』

違う、違うよ。幸村くんが悪いんじゃない。

『随分残酷なことをするね』

あんな傷ついた顔、初めてみた。あんな顔させたくなかったのに。

『俺が悪いなんて言われたら、もうどうしようもないじゃないか』

だってわたし幸村くんのこと、知らないから。わたし自身、自分の気持ちが分からなくて、うまくコントロール出来ないの。

『名前が俺のこと好きじゃなきゃ、俺は一生キスなんて出来ない』

どういう意味か、わからなかった。今だってその意味は自分の都合のいいように解釈しているだけで、合っているかどうかわからない。
キスは好きな人とするものだと、幸村くんに言ったのはわたしだ。それは、少なからずわたしは、幸村くんにキスをされた時、嬉しいと思っってしまったから。その時は気付かなかったけど、今なら分かる。好きじゃなきゃ、気持ちいいなんて思わない、きっと。
だからわたしは嫌だったんだ。今日、幸村くんとキスをするのが。奴隷としてじゃなく、一人の女の子として、幸村くんを好きになってしまっていたから。幸村くんはわたしのことを奴隷としか、物としか見てないと思っていたから、尚更。
このおかしな関係が邪魔で、嫌で、自ら壊した。だけど壊れたものは、もう戻らない。交わることはない。

『もう奴隷、解放してあげるよ』

ずきん、と大きな痛みが胸を襲う。
元々話したこともないような関係だ。明日からは本当の意味で赤の他人。奴隷生活も6日で幕を閉じた。

「…っ、う、っく」

嗚咽が漏れそうになるのを堪えて一人道を歩く。行きは二人だったはずなのに。また会えるはずだったのに。

「ゆ、ゆきむ、ら、くっ」

名前を呼んでも返事があるはずがないのに。わたしはずっと小さな声で幸村くんの名前を呼んでいた。







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