05
「…帰る」
「待ちんしゃい」
「何!」

「聞いてほしいことがあるんじゃ」

いつもの蒼い瞳を見ると、少し不安そうにゆらゆらと揺れていた。同時に柳生くんが今朝言っていた言葉が頭を過ぎる。

『彼は人よりも、臆病なんですよ』

わたしは素直に仁王くんに従って、自分のハンカチの上に腰を下ろす。外は少し薄暗くて、ここにはもちろん誰も居ない。わたしと仁王くん、二人だけだ。


「昨日は、すまんかった」
「…いいよ別にもう」
「よくないんじゃ」
「…?」
「俺が、俺に納得いかん」

そう言うと仁王くんはぼりぼりと雑に頭を掻いた。痒いわけじゃないんだろう。目は合わせようとはしないし、わたしはただ仁王くんの横顔をじっと見つめて、息を潜めて彼の心の内を聞く。

「本気になんか、なりたくなかったんじゃけどな」

「じゃけど、どうやらもう手遅れだったらしい」

「俺は、名字に本気で惚れとる」

仁王くんをじっと見つめていたわたしは、彼の耳が真っ赤になっていくのを見てつい笑ってしまった。「おい」と怒ったように言う仁王くんは、なんだかいつもとはまるで、違う人みたい。存外柳生くんの言っていたことは嘘じゃないらしい。
仁王くんは臆病なんだ。恋愛に関してだけ、なのかもしれないけど。本気になるのが怖いから、なって裏切られるのが嫌だから、だから最初から誰も、誰のことも本気で好きにならない。そうやって不特定多数の女の子と付き合っていく内に、何が本当で何が嘘なのか、わからなくなってしまったんじゃ、ないかな。

「仁王くん」
「…何」
「100円持ってる?」
「持っとるけど…カツアゲか?」
「違うから!ちょっと貸して、返すから」
「別に俺はケチじゃないけぇ、ほれ」

ポケットに小銭を雑に入れているらしく、すぐに100円を他の小銭と間違うことなくわたしに手渡した。ん、よし!

「表と裏、どっち?」
「は?」

「表なら付き合える、裏なら付き合えない」

我ながらなんでこんな事を始めたのかよくわからない。けど、なんだか仁王くん相手に、普通に返事を返すだけじゃつまらないと思ったの。
自分でも、わからない。決められない。わたしは仁王くんと付き合ってもいいのか、付き合わない方がいいのか。好きなのか、嫌いなのか。本当にもうぐちゃぐちゃで、わたしもわからないんだ。

「それ、俺は表以外選べんことになっとるけど」
「そうだね。だから仁王くんは、表になることを祈るしかないよ」
「…は、ははっ、何じゃこれ、こんな返事の仕方、聞いたことないぜよ」
「わたしも聞いたことない。初めての試みだよ」

でもさ、ギャンブルも悪くないと思うんだ。存外バカに出来ないよ。仁王くんこういうの好きそうだし、何もかも全部運任せ。これで表ならわたしは仁王くんと付き合う。ずっと一緒に居るって誓う。

「じゃあいくよ。表ね」
「小細工無しな」
「当たり前じゃん。せーの、」

キン、と綺麗にコインがはじかれて、すぐに手の甲に落ちてくる。タイミングよくもう片方の手をかぶせて、ちらりと仁王くんを見た。

「ええよ、手、どけんしゃい」
「いい?」
「ん」

ぱ、と手をどけると八重桜が見えた。こ、これは…!

「裏?」
「馬鹿、表じゃ。100が裏」

仁王くんは楽しそうに、そして嬉しそうに笑って、手の甲から100円を素早く奪い取った。やっぱりこの人ケチなんじゃ…とか思っていたら、ぎゅうう、と強く抱きしめられる。あの日屋上で抱きしめられた時より、強く。

「運、強いね、仁王くん」
「気持ちが届いたって思ってくれんかの」

「うん、届いたよ」

わたしは厄年なんだね、って少し意地悪く言うとほっぺたを引っ張られてそのままキスを落とされた。なんだ、こんな嬉しそうな顔もするんだ。これからたくさん、色んな一面を発見できそうだなあ。

「浮気は最低一回まで」
「いやせんって」
「わかんないよ?飽きちゃうかもよ?捨てられちゃうかも、わたし」
「捨てんし飽きんし浮気もせん。こんな面白い女、名字くらいしかおらんしの」

飽きることはまずないのう、と頬にキスをして言う仁王くんは、なんだか本当にわたしに惚れているっぽい。そう簡単には信じないし、昨日の今日で信頼は得難い。それはきっと仁王くんもわかっているはずだから、ゆっくりじっくり、お互いを知っていけばいいんじゃないかな、と思う。浮気はほんとに一回までなら許すよ。

「柳生のフリしてすまんかった」
「わたしはいいけど、柳生くんに謝りなよ」
「いやアイツはいつものことじゃけ、多分知っとるぜよ」
「共犯!?」
「さあ、どうかのう」

立ち上がって、わたしに手を差し出してくれる仁王くん。ハンカチは綺麗に洗われていて、わたしはそのハンカチを仁王くんにプレゼントした。(「いらんのんじゃけど」と言われたけど強引にあげた)(ていうかいらないってどういうことだ)

「今日泊まって行くじゃろ?」
「は?」
「ん?」
「どこに?」
「俺ん家に決まっとるじゃろ」
「いや行かないよ、家に帰るよ」
「なんで」
「なんでって、え、なんで?」
「嫌じゃ、さっきのじゃ足りんし、ちゅーか今すぐヤリたい」
「なっ、やっぱさっきの100円裏じゃなかった!?」
「100円はあれが表なんじゃて。…なあ、泊まって」
「嫌!コーヒー色魔!」
「…そのあだ名いい加減やめてくれん?」


付き合うとか、付き合わないとか。やっぱり恋はあんなギャンブルで決めるもんじゃないな。



fin.


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