02
「柳生くん」
「名字さん。おはようござい…風邪ですか?」
「ううん、違うの。唇がね、腫れちゃって」
「それでマスクを。…ヘルペスか何かですか?」
「ううん、違うの。わたしが悪いの」
「…何かあったんですか?」
「うん、あのさ、聞いてもいい?」
「ええ、どうぞ」

「仁王くんとパートナーって本当?」

昨日唇をタオルで擦り過ぎて、朝起きた時にはいつもとは明らかに様子が違う唇が出来上がってしまっていた。ファーストキスを奪われた挙句、唇まで腫れさせるなんて、あいつ病気持ってたんじゃないのか。ムカつく。

柳生くんに借りていた本を返すついでに聞いてみた。「ええ、そうですよ」と答えは本当にあっさりと。あっさりと突きつけられた事実に立ちくらみに襲われかけた。ああ、彼は嘘なんか吐いちゃいなかった。ていうか柳生くんもひどいよ。なんでそれを教えてくれないんだよ、読書仲間じゃないか…!

「仁王君が、何かしましたか?」
「…いや、何かっていうか」
「…ま、まさか名字さんのその唇の原因って…!」
「いやいや、違う、柳生くんやめて、吐きそう、やばい」
「え、あ、すみません」

相変わらず鋭い。というかもしかしたら、仁王くんのことなら何でもお見通しなのかもしれない。柳生くんにもこれからは下手に近づけなくなってしまった。それもこれも全部、全部全部あのコーヒー色魔仁王雅治のせいだ。

「なんであんなやつとパートナーなんか組んでるの。柳生くんの方が絶対強いのに」
「いえいえ、仁王君も相当強いですよ。ああ見えて随分と負けず嫌いな方ですから」

負けず嫌い?あいつが?ありえない。女ったらしならうんうんと頷けるけども、それは頷けないな。だってあの人はきっと、一つのものに執着なんかきっと出来ない人だろう。

「柳生くんより強いの?」
「どうでしょうかねえ。それを認めてしまえば、私もそこまでになってしまいますから」
「な、なんか今のかっこいいね!」
「そうでしょうか?あ、そう言えばこの本、この間言ったものです。読み終わったのでよかったらどうぞ」

渡された分厚い本。本当に柳生くんはいい人だ、仁王くんとは正反対の位置に居る神様みたいな、皇居にでも住んでいそうな存在だよ。
ありがとう、と受け取って鞄に大切にしまい込んで、もうすぐ鳴りそうなチャイムを気にしてわたしは自分の席に着いた。



「あ」
「げっ!」
「げ、とは何じゃ、げ、とは」

こんな腫れた唇で食事する姿は友達には見せられない。という訳でお弁当も持ってきてないわたしは一人購買で買ったパンを屋上で食べていた。天気も快晴でスズメにでもパンの欠片をあげようかなー、とか平凡な時間を過ごしていたのに。なのに!

「なんでお前さんがここに?」

こっちの台詞だバーカバーカ!お前のせいでこんな唇になって、見せられないがために一人で寂しく屋上で食べてんだよ。ていうか今まで一度だって学校でこんな風に出くわしたことないのに、なんで昨日の今日でこんなに早く出会わなくちゃいけないの。今日も厄日なのかわたしは。(厄祓い行こうかな…)

「無視か。相変わらずムカつくのー」
「……」
「よっこら、せ」
「!?」

な、な、なななんで隣に座るの!?どういう神経してんの!?この唇見てなんとも思わないのか!やっぱりこの人頭おかしいよ絶対イカれてる!

彼は隣に座るなり、ポケットからヤクルトを取り出して蓋を開けた。…爪で開けない派か。とかそんなんどうでもいいけどちょっと気になった。ていうかお昼それだけか。不健康だなあ。そのまま死んじゃえばいいのに。

「ん、何じゃ、お前さんもいるか、ヤクルト」
「…いい、いらない」
「うまいのに」
「…お昼それだけ?」
「ん、弁当作るの面倒いしな」
「へえ」

あなたにはこれっぽっちも興味はないんですよ、的な雰囲気を超醸し出してやりながら、わたしはパンをスズメに投げた。…これが全然寄っても来ないんだから本当にわたしはツイてないっていうか神様に嫌われてるんだと思う。何か悪いことしたかな…されただけなんだけどな。

「スズメー、食べてくれー」
「何じゃその斬新な一人遊び」

はは、と楽しそうに笑う仁王くんはどれが本当の彼なのか、もうわたしにはわからない。たまにこうやって隙を見せるみたいに自然と笑う。
負けず嫌いって本当なのかな。この顔でテニス上手いってもうそれだけで大分得してる。影で努力するタイプにも見えなくは、ない。

「で、いつになったら俺と付き合ってくれる気になるん」
「またその話!?諦めたと思ってた!」
「俺は実はしつこい男じゃき」
「いや、昨日の出来事見たから説得力ゼロだよ」
「そうか。いやでもなんか…お前と付き合いたいって言うのは、ほんま」
「…信用出来ないし。ていうか好きじゃなから付き合えない」

あなたのせいでこんな唇になったんだよ!とは流石に言えず、わたしはパンの袋を綺麗に三角にたたんでいく。まあ言わずとも仁王くんくらい勘が働きそうな男なら、自分が原因でわたしの唇がマスク無しじゃ学校に来れない状態になってしまったことくらい分かるだろう。

「ていうか昨日言ったよね。嫌いって言ったよね?」
「嫌い嫌いも好きのうちって言うじゃろ」
「いや、わたしのは言わない嫌いだから!マジで大が付くほど嫌いだから!」
「じゃあどうやったら好きになってくれるん。もう彼女とはみーんな別れたんじゃけど?」
「ええー、すごいなー怖いなー、やめてほしいなー」
「なあ、どうやったら俺を好きになる」

昨日と同じ、瞳だ。吸い込まれそうな程綺麗な瞳は、わたしの中で3秒以上見てはいけないと勝手にルールを作ってすぐに目を逸らすことにしている。そんな見つめても、だめだから。無駄だし、意味ないから、だからやめて。

「なんで逸らすん」
「嫌いだからずっと見てるとイライラする」
「言ってくれるのう。俺が何言うても怒らんと思っとるじゃろ」
「うん。だって怒るより先に手が出るタイプっぽい」
「……」
「現にわたしにキスしたしね」
「好きな女にキスして何が悪いんじゃ」

わあ、開き直るんだ。ていうか普通好きな女にうっかりキスでもしたら謝るよね?少しでも好かれようって思ったらごめんねって言うよね?なんだこのホクロ、本当にムカつく。

「あなたのせいでこんなマスクとかしなきゃいけなくなったからね、まずね、謝ってほしいよね」
「は?俺のせいなんそれ。お前が唇めちゃくちゃに擦ったけぇじゃないん」
「い、いやそうだけど、元々キスなんかされなかったらこんな風になってないし!」
「俺のせいじゃないき」
「いや、ていうかキス下手なんじゃないの?」
「…はあ?」
「唇かさかさだし、理想とかけ離れすぎて、」

そこまで言ったところで仁王くんの気にマジで障ってしまったらしい。屋上のフェンスに追い詰められて、そのまま行く手を阻むように両腕で壁を作られた。こ、これは、怒ってる、のかな?
一応、小さな声で「ごめん言いすぎた」と謝罪してみたけどダメらしい。でも唇かさかさだったのは本当だよ。あの日は乾燥してたし、わたしも人のこと言えなかったかもしれないけど。

「下手って、なんでわかるん。お前昨日のが初めてだったんじゃろ」
「…え、あの、いやえっと…」
「あんまり挑発すると、自分が痛い目見るだけぜよ」

そう言って、仁王くんの顔がどんどん近くに来て、マスクを下げたままのわたしの腫れた痛々しい唇にもう一度キスをした。しかも今度はすぐには離れてくれなくて、何度か洋画で見たことのあるような大人っぽいキスだ。

「ん、っ、は…」

聞いたこともない自分の声が勝手に唇の隙間から漏れて、死ぬほど恥ずかしい。体温がどんどん上がっていくと共に、全身の力が抜けて行くのがわかる。下手とか、上手いとか、関係なくて。初めてのことに、どうしたらいいか分からない。嫌、なのに。抵抗の仕方もわからなくて、そのままされるがまま状態で、しばらく彼を楽しませるだけの道具と化していた。

漸く離れた頃には、唇がひりひりと痛みを感じる頃で。少し悪びれた顔で口角を上げる仁王くんは正に悪代官そのものだった。

「上手い?」
「っ、わ、わかんないよそんなの!」
「なら、俺のキスが下手とか言わんでくれんかのう」

ああ、どうしよう、目の前が霞んできた。俯いて、この悪代官の目だけは見ないように、見られないようにしようって、してるのに。彼はわざとわたしの俯いた顔をのぞき込んでくる。そして遂に、ぽたりと涙がこぼれ落ちた。

「…え、」
「も、うっ、手、どけてよ!ほんと、さ、さいあくっ」

一度こぼれ落ちた涙に続いてぼろぼろと溢れ出て止まらない。ぼたぼたと下に落ちていく水滴を見て、仁王くんは少し困った顔をしているように見えた。
弱みを握られているわけじゃない、けど、この人の前でこんな風に号泣なんて絶対にしたくなかった。

「っき、嫌い、仁王、っくんなんて、だいっ、きらい」
「っ、嫌いでいいけぇ」

泣かんで、とわたしを大きな身体で抱擁した。なんで、わたしなの。他の女の子の所に行けばいいのに。どうしてわたしが標的なの。どうしてわたしが、こんな思いしなくちゃいけないの。

ずっ、ずび、と止まらない鼻水を迷うことなく彼の制服で拭いた。だけど怒られることはなくて、抱きしめられたまま、頭を優しく、何度も撫でてくれる。これが男の包容力ってやつなのかな。…少し違う気もする。

「ごめん、すまん。もうせん、絶対せん」
「っよ、洋画みたいなやつは、すっ、好きな、人と、しっ、したかったのにぃぃ」
「うん、ごめん、もうせんけ」
「したあとじゃ遅いの、に」
「(確かに…)でも俺は、お前さんとしたかったけ、したんよ」
「わ、わたしはしたくなかった」
「…じゃあどうすりゃええん、片想いとか無理なんじゃけど」

そんなの知らないよ、と言いたい。こんな風に泣いてそれでも怒らず、飽きずに諦めないで、仁王くんはわたしを泣き止まそうとずっと頭を優しく撫でる。なんだかわたしはこの温かさと心地よさで眠たくなってきて、このままここで寝てしまおうかな、とか馬鹿なことを考えた。

「…おい、寝んとってくれ」
「自分が勝手に抱きしめたくせに」
「この状況で寝ようとする奴おると思わんじゃろ。ガキみたいじゃの」
「…ムカつく」
「鼻水付けられたけおあいこでよか?」

いいわけないでしょそんなの。だけどなんだかもうどうでもよくなって、チャイムが鳴ってもわたしはそのまま屋上で、仁王くんに抱きしめられたまま人生初のサボリを決行したのだった。



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