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また明日


今の俺に出来ることと言えば、ハンドグリップで握力を鍛えることくらいだった。テニスは出来ないし学校にも行けない。ずっと、この真っ白い個室で一人きりだ。こんな所に来る前までは、一日が二十四時間なんて少なすぎると思っていたけど、今じゃ十二時間でもいいくらいに思う。

なんで俺が。全国大会が夏に控えている俺が。こんな所に居るなんて可笑しい。笑えるよ全く。王者立海の部長が情けない。こんな身体、望んでないのに、なんで、どうして俺が。

生きる意味すらも失いかけて、だけどそれでもハンドグリップだけは握り続けていた。


「こ、こんにちは!」

ノックもせずに突然挨拶の言葉をかけて入ってきたのは、立海の女子生徒だった。…見たこともない子だ。

「…ごめん、誰?」
「え、あ、初めまして!ていうか、わたしは幸村くんのことは知ってるんだけど…あ、わたし名字名前って言います」
「どうして君がここに?」

何しに来た、という意味も含めて声音を下げて問いかけると、女の子は俺のベッドのすぐ傍に勝手に椅子を出して腰を下ろした。なかなか大胆、というより図々しい性格らしい。

「実は春から幸村くんとは同じクラスで、お見舞いに」
「…へえ、わざわざありがとう」

「あのさ!」

がたん!と先刻座ったばかりの椅子から彼女は立ち上がって、俺をじっと見つめる。何、だよ、俺達初対面なんだろ?

何を言われるのか全く想像がつかなくて、思わずハンドグリップを握る手を休めた。それ特有のギシギシという音が止んで、白い部屋に静寂が訪れる。病院特有の薬品の匂いが鼻を擽る。


「あきらめたら、だめだよ」
「は?」

「どんなに重い病気だって、そんなの関係ないからね!」

幸村くんの病気はきっと、きっと治るよ!と瞳の奥の奥を見つめられて、彼女はそう言った。

君に、何が分かるって言うんだ。俺の何を知って、そんな事を、そんな、軽い言葉を投げてくるわけ?君が医者だというなら話は別だけど、そうじゃない。ましてや今日が初対面。俺は君のことを何ひとつ知らないんだから、君だってそうだろう?

簡単に、言うな。


「わざわざ来てくれたのは嬉しいけど、帰ってくれない?君みたいな空気の読めない子は苦手なんだ」
「えっ…」
「はっきり言って大きなお世話なんだよ」

「大きな、お世話…」

彼女の顔から明るさが少しずつ消えていく。俺は悪くない。どちらかというと悪いのは彼女の方だ。何を根拠に俺の病気が治るとかほざいてるんだ。うんざりなんだよ、そういう激励の言葉には。空気の読めない真田だってそんな事言わないよ。


「それでもいい!」
「…はあ?」
「大きなお世話でいいんだよ!わたしは!幸村くんに元気になってほしい!早く教室に戻ってきてほしいんだよ!…だからここに来たの」
「…だからそれが、」
「いけないことなの?応援されると頑張れない?わたしは頑張れた!待っててくれる人が居るんだって思ったら、頑張るしかないって、その人のために絶対、絶対生きるぞって…!」

ちょっと待て。話が飛躍しすぎてどこに飛んだのか分からない。何なんだこの子。初めましてで突然人のこと励まして、ここまで強く意見されて、俺はもう目を見開くことしか出来ない。
わたしは頑張れた、ということはもしかするとこの子は過去に何かしらの病気で入院していたんだろうか。だからって、初対面の俺にこんなに言ってこられても困る。と、いうかはっきり言って放っておいてくれないか。自分の事は俺が一番分かっているんだ。君なんかに兎や角言われたくないな。

「…言いたいことはそれだけ?」
「え…あ、えと、」
「今日初めて会った君に何を言われても、俺は何も思わない、響かないよ」

ぴしゃり、と綺麗に彼女と俺の間に一線を引くように言うと、彼女はぐっと唇を噛み締めた。どうしてこんなに、俺の事を?だって別に君にとって、俺は特別な存在なんかじゃないはずだ。もちろん俺からもそうだから、君が唇を噛み締めて、拳を固くする必要なんてどこにもないはずなのに。

良く言えば優しい子なのかもしれない。でもそんな優しさ、今は要らないんだ。欲しいのは、元気な身体。


「…明日も来るから!」
「は?」
「幸村くんの心に、わたしの言葉が響くまで!毎日来る!じゃあまた明日!」

そう言って彼女は鞄を持って帰って行ってしまった。


「…何なんだよ、全く」

嵐のように突然やってきて、自分勝手に言いたいことだけ俺にぶつけて、言い返す言葉が見つからなかったからって明日また来るだなんて。一体どういう了見なんだろうか。鬱陶しいにも程がある。全くもって目障り、不快極まりない。

そのまま俺はベッドに横になって、目を閉じた。
さっきの出来事が勝手に思い出されてなかなか眠ることが出来なかった。



次の日彼女は本当に現れた。昨日と似たような言葉と俺に並べ立てて、俺が「本当に迷惑だからやめてくれない?」と低い意声で言うとまた明日来るから、と帰って行った。来なくていい、二度と来るな。

その願いは叶わず彼女はその次の日も、その次の日も俺の元へ足を運んだ。そうして彼女は約一週間程それを繰り返してくれたのだ。



昨日辺りから体調が優れなくて、飯が喉をあまり通らなくなった。その為今日は左腕に点滴をしている。動く気にも喋る気にもならず、ただ気だるくて苛々していた。

そして今日も彼女はやって来た。

「幸村くん!」

そんなに大きな声出さなくても聞こえてるよ。この女は空気が読めない所の騒ぎじゃない。頭がおかしいんだ。院内でそんな大きな声出す馬鹿がどこにいるんだよ。子どもでももう少し小さな声ではしゃいでるっていうのに。
看護師さんにチクって注意をしてもらおうかな。仮に俺に用があるんです、なんて言ってみろ。俺はこんな子は知らないと言って、追い出してもらうよ。

「今日も浮かない顔してるね…」

関係ないだろ、放っておいてくれよ。いい加減諦めて帰ってくれないかな。君が来はじめてからだよ、俺の体調が悪くなりはじめたのは。

頼むから本当に、帰ってくれないか。


「…わたしも、」

「わたしもこの病院に入院してたことがあるの」


比較的さっきよりは小さな、それでも俺の耳には十分届くような声量で、彼女は話はじめた。


「だから少しだけど、幸村くんの気持ち、わかるの。おこがましいかもしれないけど、一番理解してあげられるんじゃないかって、一番支えになってあげられるんじゃないかって、思って」

「大丈夫だよって、思って欲しい。幸村くんは絶対、元気になるって信じてるし、幸村くん自身も信じてほしい」

「わたしは…わたし達のクラスのみんなは、幸村くんと一緒に教室で、授業を受けたいんだよ」


俺だって、出来ることなら学校に行って、クラスメイトと同じ時間を共有して、思い切りテニスがしたいに決まってる。だけどそれが出来ないから俺はここに居て、居なくちゃいけなくて、こんなにも歯痒い思いをしている。
返事を返さず、ただ左手を見つめた。もう一度テニスが出来たら。出来るようになるとしたら。俺は本当にそれだけを望んでいるのに。

彼女は少し黙り込んだあと、突然制服のボタンをはずし始めた。やっぱりこの子は少し頭がおかしいのだろうか。どんな病気でここに入院していたかなんて知らないけど、明らかに周りとは違う非常識な行動や言動が多い。

だけど俺は、ブラウスのボタンをはずしていく彼女から何故か目が離せなかった。何故だかはわからないが、なんだかとても、綺麗で、心臓の様子がおかしくて。
そうして彼女がブラウスのボタンを下まではずすと、当然その下は下着な訳で。そこでようやく目を逸らそうと思ったけど、胸の少し上を見て思わず凝視してしまう。あれは…。

「手術の痕。ずっと消えないんだって」
「…へえ」
「でもわたし、消えなくて良かったって思う」
「?」

「だって、病気になって初めてわかったこととか、いろんなことを知れたから」

彼女は今更恥ずかしくなったのか、下着を見せないようにブラウスを片手で持った。
病気になって知れたこと、それは俺にもある気がした。心無しか精神的に強くなった気がするし、自分への闘争心は人一倍だと思う。それは昔からかもしれないが、少なくともいろんなことをこの病院で経験してきた。

「ねえ、」
「何?」
「痕、よく見せてくれない?」
「…うん、いいよ」

俺に一歩歩み寄って、彼女はブラウスを持っていた手をそっと退ける。俺はそっと、割れ物を触る手以上の慎重さでその傷に触れた。


「痛い?わけないか」
「うん、平気。でも、幸村くん見てると、痛くなるときがあるよ」
「俺を?」
「早く元気になってほしいって思ってるけど、それが出来たらこんなところにはいないもんね。それをわかってるから、痛いのかな。同じように苦しいの。わたしも病気を経験してるから」

「…ありがとう、もういいよ」
「え?」
「シャツ。ボタンとめて」
「あ、う、うん」

なんだそのことか、と言いたげな顔で、彼女はシャツのボタンを上から留める。見かけによらず結構胸があるんだな、と思うあたり俺も周りの健康な奴らと変わらないな、と思った。


「ごめん、もう一度名前教えてくれない?」
「あ、えと、名字名前です」
「名字さん」
「え?」

「また明日も、来てくれるかな」

そう言うと、名字さんはボタンを留める手を止めた。目をまんまるにして、俺を見る。なんだ、結構可愛い顔してるじゃないか。

「元気、出たよ。ありがとう」
「ほ、本当!?わたし、毎日来るよ?本当に、来ちゃうよ?」

幸村くんが元気になるまでずっと、と嬉しさのあまりか声を震わせてそう言って。「とりあえずボタン留めなよ」目のやり場に困る為そう言うと、名字さんはいそいそとボタンを最後まで留めた。

「言ったからには、一日もかかさず来てもらわないとな」
「うん!来る!毎日来るよ!」
「楽しみにしてる」

微笑んでみせると、名字さんはぱあっとみるみるうちに嬉しそうに笑って、早々に荷物をまとめた。

「じゃあ幸村くん、また明日!」
「うん、待ってる」


あんなに鬱陶しいと思っていたのに、大きなお世話だとか、酷い言葉もたくさん言ったのに、それでも毎日来てくれるなんてどれだけ彼女はお人好しなのか。はたまた俺が好きなのか。
点滴のお陰かもしれないけど、気分は随分良くなって、今日は右手でハンドグリップを握った。



fin.




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