short | ナノ

不幸福論




ばしゃっ、と上半身に水がかかった。わたしはただ、放課後、花壇に水をあげるために如雨露に水を溜めていただけなのに。たまたま近くで男子が水道から繋がっているホースではしゃいでいたのがいけなかった。わたしもわたしで、油断していたかもしれない。今が真夏でよかった。教室に戻ってジャージに着替えて、水やりはそれからにしよう…と冷静になって考えていたら。

「わりー!大丈夫か?」
「あ、平気です」
「ならよかっ…、た、っておおお!ちょっ、お前ら来てみろよ!」
「…?」

一人の男子がちゃんと謝りに来てくれたにのはいいのだけど、突然仲間達を呼び集めてわたしをまじまじと見る。不思議に思っていると、どうやら視線はわたしの顔、ではなく胸の方に集まっていることに気が付いた。ま、まさか!

「大人しそうな顔してフリフリとか着てんのな」
「っあー、マジラッキー!」
「目の保養、つーか栄養補給?」
「てかお前見過ぎじゃね?」

かあああ、とみるみる顔に熱が集まる。今自分はどのくらい真っ赤な顔をしているんだろうと思う程に。ばっ、と慌てて両手で胸を隠すと、残念そうな声を個々で漏らす。一人の男子が股間の辺りを押さえて中腰になっているのを見て、ますます恥ずかしくなってくる。

最悪だ、本当に今日はついてない。わたしは自他共に認める幸が薄い女で、お母さんには何か霊でも取り憑いているんじゃないかと言われる位幸が薄い。買ったばかりの靴や鞄がすぐに壊れてしまったり、登校中に朝練をしている野球部のボールが当たって、脳震盪を起こしたり。思い返せば小さな頃からたくさんの幸薄事件がありすぎて、きりがない。
今日も水かかっただけならまだしも、こんな恥ずかしい仕打ちを受けるなんて。最初はわたしが何したっていうの、と居るか居ないかわからない存在である神様という人を恨んでいたけど、今ではもう虚しくなるので思わないことにした。

「お前何反応してんだよ」
「え、マジ?どんだけ飢えてんだよ」
「名字なんかに欲情すんなよなー」

はやく、はやくこの場から立ち去ろう。わたしは胸を隠したままキッと男子達を睨んで、それから走って逃げた。恥ずかしくて恥ずかしくて顔をあげられない。また誰かに見られてあんな風にバカにされるんじゃないかって、そう思ったら怖くて、前なんか見ずにただただ走った。

そのせいで誰かに思い切り、ドンッとぶつかった。なんだか堅いものにぶつかった気がして、その反動で後ろに倒れそうになる。その間にも両手を自由にしてやる訳にはいかなくて、手をつくことは出来なかった。

「っと、大丈夫?」
「…え、」

地面に尻もちをつかずに済んだのは、目の前の人がわたしの腕、ではなく腰に手を廻して支えてくれたから。わたしの両腕は胸の前にある状態で、とりあえずは透けた下着を見られずに済んだ。

「ご、ごめんなさい、ありがとう」

助けてもらって何だが、顔をあげることは出来なかった。この人も男子なわけで、もしかしたらさっきみたいにバカにされてしまうかもしれない。ここも早いとこ立ち去らなければ。事件が起きた水道場から走った距離はそんなになくて、後ろからまだあの男子達の笑い声が聞こえる。わたしのことはもう話していないかもしれない、でも、それでもそんな気がして、怖い。

この際耳を塞いでしまいたい。だけど両手を自由に使うことは出来ない。ああ、もう、わたしなんでこの人にぶつかっちゃったんだろう。


「…あぁ、なるほど、道理で君の身体が濡れてるわけだ」
「…?」

み、見られた…!?いやでもだって、わたしはしっかりと両腕で胸を隠しているし、自分で見る限りでは下着は透けて見えない。不安と疑問に駆られていると、ふわり、と柔らかいものが肩にかけられた。一瞬、優しい柔軟剤の香りが鼻を掠める。この人の、匂いかな。

恐る恐る顔をあげて見る。誰もが知っているその人の顔と名前。幸村、精市くんだ。

「あいつらにやられたの?」
「え、あ、いや、わざとじゃないと思うから」
「でも見られたんだろ?」

頭の回転が速いんだろうか。どうしてわたしが水を被って、下着が透けたのを見られたことを知っているんだろう。ジャージをかけてくれたことは嬉しいけど、テニス部の芥子色のジャージが、わたしのせいで濡れてしまう。そう思って戸惑っていたら、「濡れてもいいから」と心を読まれてそう言われた。

「気にしない方がいいよ、あいつら単細胞だから扱くことしか考えてないんだ」
「う、うん…(扱くって…)」
「男は馬鹿だからね」

それは、自分も含めて、なのかな?幸なんて薄いばかりのわたしが、今、こうして幸村くんに助けてもらっている。とうとうわたしにもツキが廻って来たのか、と思いたかったけど、前にこんな風に思ったことは幾度もある。結局最後にはまた、幸せは逃げていってしまうのだ。

「着替えないとね、保健室に行ったら替えのブラウスがあると思うよ」
「あ、ありがとう」
「一人で行ける?」
「うん、もう大丈夫。ありがとう」
「ジャージは返してね」
「も、もちろん洗って返すよ」
「うん、よろしく」

向日葵みたいに優しく笑ってくれるから、今度はさっきとは違う恥ずかしさで顔が赤くなる。な、な、なにこれ、どうしよう。早くこの場から立ち去ろう。

最後にもう一度お礼を言って、わたしは保健室まで走った。肩にかかったジャージが落ちないように、ぎゅっと前を掴む。今度はちゃんと前を見て、誰にもぶつからないように。



「失礼します」

礼儀正しく保健室に入ったものの、先生は居ないらしかった。ブラウスってどこにあるんだろう、とまずは棚の上あたりから探してみることにした。先生がいつも座っている丸椅子に上靴を脱いで上がる。棚の上にあるダンボールがかなり怪しいぞ、と背伸びをしてそれに手をかけた。ぱさり、と幸村くんが貸してくれたジャージが床に落ちる。ああ、いけない。一旦ダンボールを降ろすのをやめて、椅子からぴょん、と飛び降りた。

手で埃を払って、ひとまずジャージは机の上に置くことにした。再び椅子の上に上がって今度こそダンボールを降ろす。予想は的中して探す手間が省けた。中に入っている自分と同じサイズのブラウスを取って、もう一度元あった所にダンボールを戻した。


そういえばこの保健室って、あの水道場の目の前にあるような…と一気に嫌な予感がして、窓の外を見た。けどそこにはもう誰もいなくて、わたしが注ぎかけの如雨露だけが水道場に置いてあった。

「…早く着替えて水やろう」

念のためベッドがある方へ替えのブラウスを持って移動した。カーテンを閉めて第一ボタンから順にはずしていく。下着まで結構濡れていて正直こっちも替えたいところだけど、そんなものまでこの保健室にはない。こればっかりは仕方ないし、わたしが油断してたのも一理有ることだ。
ブラウスのボタンを全てはずして一旦上半身は下着姿になる。暑い夏にこんな姿で学校に居るなんて、なんだか考えられなくて少し可笑しくなった。

着替えている途中だと言うのに、保健室のドアが開いた。と同時に男子の声が聞こえる。しかも集団だ。

「(やば…!)」

早く、早く着替えなくちゃ。耳だけ傾けて手を動かす。だけど明らかに入って来た男子の集団はさっきの奴らで。替えのブラウスを羽織ったのはいいものの、手が震えてなかなかボタンが止まらない。軽いパニックを起こしてしまって、脳の機能が急激に低下する。掛け違えてもいいから、早くボタンを止めないと。じゃないと、じゃないとまたあいつらに見つかってバカにされる…!

「っかしーなあ、さっきまで保健室に居たんだけど」
「ん?おいおい、あそこじゃね?」

ひそひそ話をしているつもりなんだろうか。丸聞こえだよ。…ていうか、見つかった?

「じゃあせーのでカーテン開けて、」
「俺とお前で拘束な」

幸村くんに助けてもらって、幸が薄いわたしにもこんな幸せなことがあるんだって、そう思えたばかりなのに。どうしてこうなっちゃうの?ボタンは止まらないし、手の震えも止まらない。夏だと言うのに急に寒気に襲われるし、もうわけわかんない。今からわたし、どんな目にあうの?

ここまで来ると、幸が薄いなんてレベルじゃない。もういい、もうわたしは、一生こういう悲惨な人生を歩む運命なんだ。恨むなら自分の運の無さを恨むしかないんだろう。

「何してるの」

「…へ」
「ゆ、幸村!」
「つーかお前どっから…!」

「どこからって、普通に窓からだけど…俺の質問に答えろよ」

幸村、くん?

わたしからは誰の姿も見えないけど、幸村くんの声だ。耳だけを澄ませて、状況を推測する。部活に戻ったはずの幸村くんが、本当に今、この保健室に?…あ、ジャージ机に置きっぱなしだ。


「い、いや、俺達は別に、」
「あっ、ほら!こいつが怪我しちゃってさ!」

「へえ、どこを怪我したの?」

「ど、どこって、ほら、お前怪我したもんな!」
「え、あ、っああ!ほら!ここ擦り傷あんだろ」

「じゃああのベッドに用はないんじゃない?俺が貼ってやろうか、絆創膏」

「いっ、いい!いいって!自分で出来るって!つーかお前なんで俺なんだよっ、お前が怪我してることにすりゃよかったろ!」
「俺傷とかねぇんだから仕方ねーだろ!」

「目的がさあ、邪なんだよ。童貞の考えそうな事だよね。猿でも読めるよ、お前らが名字さんの所にもう一度行くだろうって。だから俺はあの子を保健室に一人で行かせたんだ。単細胞なら絶対来ると思ってね」

ゆゆゆ、幸村くん?さり気なく、というかダイレクトに酷いことを言っているけど、自覚はあるのかな?わたしに言われてるわけじゃないのに、なんだかこっちまでごめんなさい、と謝りたくなる。声もさっきより幾分か低いような…少なくとも優しい声音ではないことは確かだった。その証拠に男子達は何の反論もしない。幸村くんの放つオーラが、そうさせないのかもしれない。

「一応言っとくけど、俺怒ってるから」

「な、なんだよ、俺らは別にこいつを手当しに来ただけだし」
「でもまあ、た、大したことねーから大丈夫かな」
「え、ちょ、逃げるのかよ!?」
「お前あいつメッチャこえーじゃん!メッチャつえーじゃん!逃げた方がいいって!」

最早わたしまで聞こえてるんだから、内緒話でもなんでもないことを話して、男子達が去っていく足音が聞こえた。

ほっ、としたいところだけど、わたしはとにかくこのブラウスのボタンを止めなくては。と、思って手を動かし始めた時、シャッとカーテンが勢いよく開けられた。「!?」振り返ると幸村くんが、さっき机に置いたジャージを持って立っている。そしてカーテンをすぐにまた閉めた。…え、え?わたし着替えてるんですけど…?

「…あ、あの、幸村、くん?」
「聞いたよね、俺、怒ってるよ」
「え、わ、わたしに?」

「…何トロトロしてんの?さっさと着替えて出て行けよ。しかもせっかくこれ貸したのに机の上に置くし、袖通せば肩から落ちないって普通気付くでしょ。ダンボール取る時も危なっかしいし、しかも外から透けたの丸見えだし。なんで誰も見てないだろうが前提なわけ?誰かいるかも、って思えよ。色々と自覚足りなさすぎだから」

そんなんじゃ誰かに犯されても文句は言えないよ、とここまで一気に幸村くんの怒涛の攻撃だ。わたしは防御することも出来なくて、それを正面から受ける。ぐさりぐさりと刺さる言葉は痛くて、だけどなんで自分がこんなに怒られているのかわからなくて、何も言い返すことが出来ない。

さっきまでの優しい幸村くんは、わたしを助けてくれた時の幸村くんは何処へいってしまったんだろう。今日まで話したこともなかったわたしを、どうしてここまでこてんぱんに…?
ぎゅ、とブラウスを前で掴んで一時的に留めている。その手に力が籠って、ブラウスに皺が出来ている。

な、なんでそこまで言われなくちゃいけないんだろう。わたしが悪いの?確かに水をかぶった時は、油断してたかなって思ったけど、どうして幸村くんにそこまで言われなくちゃいけないの?わたし、幸村くんに何かしたっけ。ジャージはちゃんと洗って返すし、ここまで叱られる理由が皆目見当もつかない。

「簡単なんだよ」
「…え、ひゃっ!」

ブラウスを留めていた手をあっさりと掴まれて、すぐ傍のベッドに縫いつけられた。何、何がどうなってるの?馬乗りになった幸村くんは、優しくなんてない。ここまで来ると、偽物なんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。

「君をこうして組み敷くことも、キスすることも、この下着を外して、犯すことだって容易い」
「…ゆ、きむら、く、」
「警戒心が足りないんだよ。言っただろ、男は馬鹿だから、って」
「…?」
「俺も含めてね」

逃れたくても、逃れられない。力は想像以上に強くて、男女の差云々ではない気がする。幸村くんにぶつかった時のことを思い出す。そういえばやけに彼の腹筋は堅くかった。

「どうして、こんなことするの?」
「…どうしてだと思う?」
「わ、わかんないよ、そんなの」

わたしの幸が薄いから、とか、そんな理由なわけがない。だって今、目の前の幸村くんが怖いと思っている癖に、心臓はどきどきいってるんだもん。


「好きな子がさ、他の男に下着見られて、腸煮えくり返らない奴なんているかな」
「…え?」
「しかも俺が妄想してたやつより可愛いのしてるし。なんでよりによってフリルなの」

幸村くんと目が合う。どくどくと心臓から何かが溢れだしているように感じる。好きな、子、って、どういう…だってわたし、幸村くんと話したの、今日が初めてなのに。

「本当、いつもドジばっかりだよね。この前の野球ボールといい、今日といい。…確か前にもサッカーボール顔面にぶつけられて鼻血出してなかったっけ」
「っな、なんで知ってるの…!?」

「好きだから」
「ええ!?そんなの理由に、」
「ならない?いつも見てるからわかるんだよ、君の幸が薄いことくらい」

もう有名だしね、と少し意地悪に笑う幸村くんは未だわたしの腕をベッドに縫いつけたままだ。よくよく考えたらとんでもない姿で幸村くんの話を聞いていることに気が付いた。再び抵抗を試みたけど、やっぱりびくともしない。

「いつも受け身だからだよ、幸が薄いのは」
「…余計なお世話だよ」
「うん、そうかもね。でもさ、自分から歩み寄ったら意外とそこらへんにあるもんだよ」
「…?」
「君は不幸なんかじゃない」

わたしの幸が薄いのは、わたしがずっと受け身だったからだと、そう言いたいのかな。だってどんなに幸福に貪欲になったって、結局不幸になるんだもん。これはわたしの過去に基づいた正確なデータだし、昔からずっとそうだったから、これからもずっとそうなんだと思う。

「幸せになんて、全然、なれないよ」
「俺が幸せにする、って言ったら?」
「…へ、」
「幸せにしてあげようか」
「い、意味、わかんない」
「…なんでわかんないんだよ」
「え、え?だって、どういう意味?」
「もういいよ、わかんなくて。一緒にいてくれたら、幸せにしてあげる」
「…えーと、あの、」
「どうする?俺的には、君も幸せになれるし、俺も幸せになれる、最高の方法だと思うんだけど」
「わたしは、どうすればいいの?」

「ずっと一緒にいてくれれば、それでいいよ」

そう言って、そのまま瞼を閉じて唇を奪われた。初めての感触にどきどきする。本当に幸村くんが、わたしみたいな幸の薄い女を幸せにしてくれるんだろうか。だけどなんだか、この人とずっと一緒に居れば、幸せになれような気が、本当にしてきた。不思議な力を持っているのかもしれない。洗脳されてしまったのかもしれない。わたしの脳は既に幸村くんのことでいっぱいになっていて、何度も口付けられている内に、自分から幸村くんの首に両腕を廻した。さっき羽織ったばかりのブラウスを再び、幸村くんの手によって脱がされて、だけどそれでもいいと思った。

幸村くんと唇を重ね合う度に、どうしてか、全身が幸福で満たされていく。わたしも、幸が薄いなりに、幸村くんを幸せにしたい。


「ずっと、好きだった」

必ず幸せにするよ、とまるでプロポーズに似た言葉を耳元で囁いてくれた幸村くんを、抱き締めずにはいられなかった。



fin.





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