short | ナノ

I言葉



「わたしばっかり精ちゃんのことすきみたいで、ばかみたい」
「……は?」

付き合って一年半。いつも通りどちらかの家、どちらかの部屋でこうしてゆっくりとした時間が過ごせることを、俺は大事に思っていた。普段張り詰めた生活(まあ主にテニスだけど)をしている為、名前とこうして一緒にいる時くらいは、ゆっくりしたいし、何よりこいつと一緒に居ると癒される。身体の中にガソリンがチャージされていくような感覚にさえなるから、だからこうしていつも、特に遠出する訳でもなく、家で二人の時間を過ごしているというのに。

名前ばかりが俺をすき?なんだそれは。聞き捨てならな過ぎる台詞じゃないか。
口にこそ出したことこそないものの、俺はお前が思っている以上に、自分自身怖いくらい、お前のことがすきだよ。

「それ、本気で言ってるの」

自然といつもより低いトーンの声が出た所為で、名前は少し怖気ずいた様子で隣に座る俺を見上げた。俺は今の今まで広げていたテニスの雑誌をパタリと閉じて、床に置く。名前が俺の為にと買って部屋に置いてくれている、雑誌を。花柄のシーツがかかった、小さなソファが俺達二人の定位置だった。名前の部屋は広くはないからいつも二人で密着して座っているけど、今日は狭いながらにして、少し距離をあけられてしまっている。悔しいから俺も、その距離を埋めようとはしない。代わりに、名前の方に身体を向けて、真剣に話を聞く体制をつくった。

「そう思ったってことは、何か理由があるんだろ?俺が何かしたなら、言ってみてよ」
「…なにも、してないよ」
「じゃあ何で」

「精ちゃん、全然わたしのこと、すきじゃなさそうなんだもん…!」

温厚な名前が、少々声を荒らげている。残念だけど全然怖くない。
何を根拠にそう言うのかわからないけど、すきじゃなさそう、なんて言われて俺が傷ひとつつかないとでも思っているのだろうか。今まで俺が名前にしてきた愛情表現は、何ひとつこいつに伝わっていなかったって?そういうことになるのか。
抱きしめても、キスしても、セックスしたって、その行為ひとつひとつは全部、名前には伝わっていなかったのか。言葉に出さなくても、伝わってると思っていたのは俺だけだったんだ。

「…本当にそう思ってるんだ」
「だ、だって精ちゃん…!」
「いいよもう。お前が何を思ってそう言ってるのか、俺、わからないし」
「ちがう、精ちゃんわたしは…!別に別れたいとか、そういうことじゃなくて」

誰が別れてなんかやるもんか。中学の時からずっと好きで、やっと手に入れたのに、やっと振り向いてもらえたのに、こんな簡単に手放す訳がないだろう。

「名前」
「え、…な、なに?」
「どうやったらお前に、俺が、お前のことすきなんだっていうの、伝わる?」
「え、あの、精ちゃん…?」

話のベクトルが変わってきていることに、恐らく名前はもう気づいている。こうなった意地でもすきだなんて言ってやらない。そんな小っ恥ずかしい台詞は勝手に妄想の中の俺にでも言わせてろ。

「名前はきっと、俺に言って欲しいんだろ?」
「!、う、うん!言ってほしい」

期待した瞳で俺を見つめる名前が可愛いくて仕方ない。絶対言わないよ、と思いつつこのタイミングで名前を抱きしめた。「みゃ!?」と変な声をあげたあと、名前はおずおずと俺の背中に手を回した。
俺は怒ってるんだよ、名前。しっかりと思い知ってもらうまで、今日は離さないし、あわよくば名前の両親にいい顔して泊まらせて頂こうとも思ってる。
口角が上がりそうになるのをこらえながら、腕の中の名前を更に強く抱きしめる。馬鹿なこと言わなきゃよかったのに。

「精ちゃ、くるし、」
「伝わらない?」
「え…?」
「心臓の音」

シン、と静まり返った無音のこの部屋で、耳を近づけると俺と名前の心臓の音だけが微かに、本当に微かに、聞こえてくる。名前は俺が中学の時、病気で入院していたことを知らない。言ってない。いつかは言おうと思っているけど、それはきっと心配させてしまうだけだから。時がきたら、名前の耳に別の所から何かの拍子でその情報が入った時にでも、話そうと思っている。
俺の心臓は、病気だったとは思えない、考えられない程活発に動いていて。生きていることが実感出来るこの瞬間がなんとなく、心地良い。きっとそれは、相手がこいつじゃなきゃ成し得ないことで、生まれない感情なんだと思う。

「精ちゃんの、心臓、すごい」
「名前も負けてないけどね」
「…ほ、ほら、わたしばっかり」
「…まだ言うんだ?」

もしかしたらこいつ、こうなること期待してたのかな?いやいや、そんなに頭の廻る子じゃないはず。確信犯なんて有り得ない。こいつは天然でやってのけているんだ。(恐ろしいよ全く)

「名前、顔あげて」

俺の胸に猫みたいに顔を埋めていた名前にそう言うと、ゆっくりと上げた顔は、ほんのり朱色で、だけど少しむっとしている。何が気に食わないんだよ全く。厄介なお姫様だな。

すきだ、なんて言わない。絶対に。言ってやるものか。こんなに愛情表現豊かなんだから、そんな言葉俺には必要ない。
言葉なんて誰にだって言えるものだ。"すき"なんて、俺は真田にも仁王にも、赤也にだって言える。…少し例えがまずかったか。気持ち悪いけど、そういうことになるんだ。俺はみんなにも言えるような言葉で、名前に気持ちを伝えたくなんてない。だからいつだって俺は行動で想いを伝えていたのに。それが嫌だなんて言語道断だよ全く。


「ん、ふっ、ぁ」

名前の息使いが下手なのか、俺の舌遣いが上手すぎるのか、名前はキスの時甘い声を漏らす。後者であって欲しいけど、本当にキスしてる時の名前は色っぽくて、普段からはまるで想像もつかない。こんな顔、こんな声、絶対に他の野郎には見せられないし聞かせられない。どこかで盗み聞きでもされようものならそいつは即刻五感を奪ったのち死刑だ。いや、やっぱ死刑は痛い方がいいから触覚だけは残して、痛みを…ああ、いけない。こんな時にこんな事を考えるのはよそう。ムードがかけるだけだ。

薄目を開けて見ると、俺のキスに心酔しているかのように厭らしい顔をしていた。俺の服を必死に掴んで、もっと、なんて今にも言い出しそうな程エロい顔だ。俺も普通の男子高校生なわけで、こんな事して興奮しないはずがない。すきだ、という気持ちをマウストゥマウスで流し込むみたいに、唾液と一緒に舌を絡ませた。

どれくらいそうしていただろうか。かれこれ30分はキスしている気がする。名前はまだ続けたいのか、未だにしっかりと俺の服を掴んでいる。恐らく手以外、全身には殆ど力は残っていないだろうけど。

半ば強引にキスを終わらせて、再びぎゅうっと抱きしめると、呼吸を整えつつ名前も残った僅かな力で背中に手を添えた。

「…まださっきと同じことが言える?」
「せ、精ちゃ」
「何?」
「ごめんなさい、わたし」
「うん」

「精ちゃんのこと、すきすぎて、わたしばっかりって、思ったの」

だけど、ごめんね。と名前は言葉を途切れさせながら、話す。ああ、漸くわかってくれたか。本当はもっと先までシてから、思い知ってくれてもよかったんだけどな。

「だけど、ね。言ってほしかったの」
「言葉で?」
「う、うん。…精ちゃん、一度もわたしのことすきって、」

言ってくれたことない、そう言い切る前に俺はもう一度名前の口を塞ぐ。すぐに離して、もう一度。どくどくと心臓はジャッカルの国のカーニバルみたいにお祭り騒ぎで、俺は三度キスをして、名前をじっと見つめた。

「言わないよ、絶対」
「どっ、どうして?」
「気づいてたよ。お前が、言って欲しいってこと」
「え、ええっ!?」
「意地悪?最低?」
「じ、自分で先に言うとか、ずるい…」
「賢いって言ってよ」

どうして言葉にしてくれないの?って。それは答えなきゃいけないことなのだろうか。考えても分からないことなのか。ああでも名前は本当に馬鹿で鈍くて、付き合うまで何度紆余曲折合ったか数え切れない相手だからなあ。

「言葉なんて、誰にでも言えることだろ?」
「え…」
「名前は俺にすきだって、言葉にして伝えてくれるけど。それはもちろん嬉しい。でも俺は、俺なりの…」

愛情表現というものがある、なんてすきって言うより小っ恥ずかしい台詞じゃないか。言う直前で気づいて、ぴた、と話すのをやめた。もちろん名前は早く続きを、というチワワに似た瞳で俺を見てくる。いや、言わない。言わないから。

「と、とにかく、」
「えっ、さっきの続きは!?」
「うるさい黙れ。とにかく、俺はこの先も言わないし、言わなくても伝える術を持ってるからそれでいいだろ?色々と思い知ったんじゃない」
「い、いやだ!言ってほしい!今日は絶対言ってもらうって決めてた!」
「はあ?何だよそれ。勝手にお前が決めたことだろ。言わないから」
「や、やだ、お願い精ちゃん、一回!永久保存版だけ…!」
「言わないって言ってるだろ。…何でそんなに言葉にしてほしいんだよ」

ここまでお願いされて折れて言うなんて恥ずかし過ぎて無理に決まってるだろ馬鹿じゃないのこいつ。身体の体温が興奮とは違う意味で上昇してきて、冷房でもかけて欲しいくらい熱い。こんなの真夏に言われたらたまったもんじゃない。確実に熱中症、いや、病気が再発なんてこともありえなくないかもしれない。

「に、仁王くんが、言葉にしないのなんて、おかしいって」
「仁王が?」
「すきだったら、普通、言わずにはいられないはずだって、言った」

なるほど、やっぱりこいつは確信犯なんかじゃない。真犯人は仁王だったのか。色々と納得がいって、明日の部活は特別メニューに決定だな、あいつ。

「ていうかそれいつ言われたの」
「き、昨日」
「昨日のいつ、どこで」
「え?えーと、精ちゃんの部活、こ、こっそり見にいっちゃって、その時」
「…見に来る時は一言俺に言って」
「でも精ちゃん見に行くと怒るから」
「(周りがちやほやするからだろ…)怒らないから、言って」
「うん、わかった」

俺の知らない所で何仲良くしてんの。クラス同じだからって調子に乗ってるんじゃないだろうなあの銀髪変態野郎。人の女に変なこと吹き込まないでもらいたい。マジで真に受ける馬鹿なんだから。
毎日部活に来られちゃこっちが集中出来ないから、せめて週2まで、と制限を決めて、その話はそこで終わった。

「精ちゃんはどうしてそんなに、すきって言うのが嫌なの?」
「…嫌っていうか」

嫌じゃない。ただ、恥ずかしくて、悔しいだけだ。明らかに俺の方が名前のことすきだし、愛してる。言葉にしたら、それを認めるようなもんじゃないか。俺は、フィフティフィフティで名前と一緒に居たいから。名前は口に出して俺を愛してくれたらいい。俺はそれ以外の事で愛することによって、お前と対等に居られるんだ。俺がすき、を言葉にしたら、天秤のバランスはきっと崩れて、色々と止まらないことが増えると思う。

「言わなくても、わかるだろ」
「…わかんない、精ちゃん」

こいつも仁王も、一体なんだというんだ。俺をからかって、弄んでいるとしか思えない。言ったところで、自分の気持ちのストッパーが外れるだけで、困るのは名前、お前なんだぞ。

「いいの、言っても」

別にたった二文字くらい、1秒も経たない内に言える。一言にも満たない程の、短い、loveという単語だ。いや待て、英語で例えたらより恥ずかしいからやっぱりやめよう。すき、なんて、言おうと思えばいつだってどこだって、言える。

「う、ん」
「…」

「すきって、言って…?」

赤也より悪魔だなこいつ。無自覚の時点で本当にタチが悪い。俺は名前に気づかれない程小さく深呼吸をして、今まで一度だって名前に向けて告げたことのない言葉を、告げる。

「…」
「…」
「……」
「……」
「………」
「………精ちゃん?」

言えない。付き合って一年半、この後に及んで今更すきだなんて言えるわけないだろ、無理。本当に無理。勘弁してくれよマジでもう、なんか俺今すげー格好悪いよね?まだ?みたいに精ちゃんとか呼ばれても困るんだけど本当勘弁してくれない。
言えるか!っていうことさえも言えない。前にも後ろにも行けなくてずっとこの位置でもがいてるみたいだ。何やってるんだ俺、馬鹿馬鹿しい。こんなの拒否って適当に流す方向へ話を持っていけばいいだけの事だったのに。

「い、言ってくれないの?」
「うるさい黙れこっち見るな、」
「え、せ、精ちゃん、だってかお、」

真っ赤だよ?と、目を丸くして面白い生き物発見したみたいに言う名前は本当に心底ムカつく。こんな空気でポーカーフェイスでいられるのなんて柳くらいのもんじゃなかろうか。俺もそこそこ自信はあったし、冷静でいられる方だけど、この状況はさすがにキツい。無理、なんかもう帰りたい。さっきまで俺のペースだったのに、いつの間にこの空気にもっていかれたんだ。やっぱ仁王明日絞める。特別メニューの前に一回絞めようそうしよう。

「ごめん、言えない」
「う、うん、もういいよ、無理して言うことじゃないもんね」
「………勘弁して」
「うん、ごめんね」

ぎゅうう、と名前は俺を抱きしめてくれて。俺本当こんなダサいのとか最低なんだけど。キモい、ありえない、こんな恥かいて背中なんか汗ばみすぎて今すぐシャワー浴びて余裕たっぷりの自分に戻りたい。

「精ちゃん」
「…何」

「すき、だよ?」

「……………俺も」

精一杯そう返して、俺は抱きしめられている状態から名前を抱いてベッドに移動させた。「むぎゃ、」といつもみたいに妙な声を出して、そのまま今までの仕返しとして、お仕置き開始だ。抵抗は許さない。今日は飛び切り激しくするつもりだから、色々覚悟しておいた方がいいよ。まあこれも口には出さないけどね。



「せ、精ちゃ、も、むりっ、」
「むりとか無理だから」
「ちょっ、ま、まって…!」
「名前」
「や、もうごめんなさいぃっ」

思い知ってね、俺の気持ち。
これでもまだお前の方が、俺をすきだなんて思うなら、それはもう確信犯だって確信していいよね?



fin.



back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -