――………ン。
誰かに呼ばれた気がした。
その名前を知るものは、もう誰も居ないはずなのに。
「聞き間違い、か」
とうとう耳までおかしくなったのかと、自嘲する。
――ダ………ン。
また、だ。
誰がその名前を呼んでいるのだろう。
微かな淡い期待を込めて振り返るが、誰も見当たらない。
「キャナリ、なんだろ?」
闇に向かって質問を投げ掛けても、返事が帰ってくるわけでもなく。
己の声がこだまするのみ。
「答えてくれよ…」
――ダ……ロン。
声が段々とはっきりしてきた。
やはり、声の正体はキャナリだ。
「なあ、俺の名前を呼んで…どうするつもりなんだ?」
――まさか、ソッチの世界に連れていってくれるとか?
そんな馬鹿げた話を思い付きながら、レイヴンは笑んだ。
――ダ………ン。
姿を現さぬ声に向かっておどけた笑みを浮かべ、
「悪いな、まだ…ソッチには行けそうもないわ」
と言った。
その言葉を聞き入れたのかどうかはわからないが、それ以降は名前を呼ぶ声は聞こえなくなった。
「その内、ソッチに行けるだろうよ…」
…………
「……ン…」
「…ん?」
また声が聞こえる。
だが、先程の名前ではなく、聞き慣れた名前を呼んでいた。
「…ヴンさ…」
――また、聞こえる…。
「レイヴンさん!」
「おわっ!?」
聞き慣れた名前と、声を大音量で聞き、ベッドから転がり落ちてしまった。
「あたたたた…」
「良かった、無事みたいで」
「あ、あのねぇ…」
嬉しそうに笑むアルエを見上げ、レイヴンは呆れ顔をする。
「魘されてましたよ」
「は…」
――魘されていた?
だとすると、あれは夢だったのか。
「そう、か…」
夢で良かった、だが、少し悲しかったりしたが。
「…アルエちゃん」
「はい?」
「おっさんの名前は?」
「何寝惚けているんです?レイヴンさんでしょう?」
――アルエは、俺の本当の名前を知らないんだっけね。
アルエのさも当然だと言わんばかりの言葉を聞き、苦笑する。
「そうね、おっさん寝惚けてたわ」
いつもの屈託のない笑みを浮かべようとしたが、何故か出来なかった。
「レイヴン、さん?」
訝しげにアルエが顔を覗くが、これ以上悟られてはなるまいと、無理矢理表情を作った。
「さーて、そろそろ起きるかねー」
「そうだった、そろそろ出発するみたいですよ」
「え〜?まだ早いんじゃないのー?」
「レイヴンさんが寝坊助なだけですよ」
「あらん、何だか冷たいわねぇ」
いつもの態度をとる裏で、レイヴンはこの先について思案する。
――一度は死んだ身、そう長くは生きているつもりはない、が。
(かと言って、今手元にある大切なものを失う訳にはいかない…)
「さて、どうしたもんかね」
「どうかしました?」
考えているだけでいたつもりが、いつの間にか口走っていたようだ。
「何でもないわよー」
――そう、今はまだ、何でもない。
今まで通りで良い。
誰も知らぬ名前を呼ぶ声