男女分け隔てなく接する優しい人?
“アレ”の何処が優しい人間だと言うのだ!?
“アレ”は…。
――只の殺人快楽者ではないか。
「悠莉?何処に行ったんだよ?出て来いよぉ?」
煩い、煩い。誰が出てくるものか。
「早く出てこないと…“幽霊”に憑き殺されるぜ?フ、ククク…ッ」
狂ったような笑い声をあげながら私を探す男――刻命裕也。
確かに、彼の話も尤もなのだが。
――此処で出てきたら、逆に彼に殺される。
彼が同じ学校の生徒を何人も殺しているのを見てしまった。
それに気付かれた故に彼に追いかけられている。
ガタガタと震えながら、彼が通りすぎるのを待つ事しか出来ない。
幽霊も呪いも勿論怖いが、それ以上に生身の人間が怖い。
それを今、思い知らされたのだ。
悠莉は音楽室のピアノの中に隠れ、やり過ごそうと息を潜めていたが、なにぶん狭いピアノの中だ。
同じ体勢でじっとしているのは辛い。
とにかく、今はやり過ごすしかない。
この学校にいる限り、彼の影に怯え続ける事にはなるだろうが、場所さえ変えてしまえば、今よりはましになるだろう。
なるべく物音を立てないようにしていたが、急にピアノが鳴り出し、中に入り込んでいた悠莉自身も心底驚いてしまった。
「ヒッ」
短い悲鳴を上げたが、慌てて口を押さえる。
だが、ピアノの音に気付いたらしく、裕也が音楽室へと侵入してきた。
「…はは、独りでに鳴るピアノか。驚かせやがって。…なあ、悠莉」
…自分が此処にいることに気付いているのではないかと疑いたくなった。
ゆっくりとピアノの方へと歩み寄ってくる。
――嫌だ、嫌だ!
気付かれて欲しくない。あっちに行ってくれと願った。
「…此処じゃないみたいだな…」
ピアノの手前で立ち止まり、ややあって踵を反し、廊下へと歩いていく。
足音が聞こえなくなって、其処で初めて溜め息を吐いた。
――助かった。
音を立てないようにピアノから這い上がり、音楽室を見渡す。
近くには居ないことを確認すると、気味の悪い、古ぼけた音楽家の肖像画の前を通り、廊下へと向かう。
「…早く、出なくちゃ」
この学校から。
幽霊から。呪いから。
そして、刻命裕也から――。
「見ぃつけた…」
背後から抱きすくめられ、身動きが取れなくなる。
身動きが取れないのはそれだけが原因ではない。
――恐怖からだ。
「あ…、ゆう、や…ッ」
「離れたら駄目だろ?…幽霊にコロサレルぞ?」
耳元に掛かる息だけに反応し、全身のありとあらゆる毛が逆立つ、そんな感覚だ。
「どうせ、此処からは出られない。幽霊に殺されるのも時間の問題だ。だったら…」
嬉しそうな笑みを浮かべた裕也がナイフの切っ先を悠莉の頬へと宛がう。
「俺が、終わらせてやるよ…幽霊なんかに殺させはしない」
ハアハアと荒い、厭らしい息遣いが身体を支配する。
これ程人肌が恐ろしいと思った事があっただろうか。
悠莉は裕也の腕から離れようと暴れるが、裕也は幼子をあしらうかのように悠莉を扱う。
「俺が、殺してあげるから…ねぇ?」
「イヤっはな、して…!」
「クククッ、そうだ、鳴けよ…でないと、殺す楽しみが失せるからなぁ」
ゲタゲタと狂い、自前のナイフを腹部へと這わせる。
ふらふらとナイフを腹の上を滑らせていたが、やがて…つぷ、と軽く刺さったかと思えば、何の躊躇いもなく、一気に刺し貫いていった。
「イヤアァァァアアッ!!!?ア、ァアアッ」
ぐじゅり、と嫌な音がする。
裕也の息遣いがさらに荒くなる。
酷く興奮しているようだ。
「へ、はっ、ハハハハッ…いいぞ、鳴け!!イイ声で足掻けよ…もっと、出せよぉ?」
ザクザクと刺してくる。
ナカミが出てきてる。
ああ、もう、痛みが…薄れてきた。
声をあげるのも、面倒だ。
考えたくない。
しぬ、シヌ、死ぬ…。
でも、怖くない。
…何でだろう。
「ア、ぁ…」
最期に見た彼の表情は、これまで見てきた笑顔の中で、一番良い笑顔をしていた。
…そんな、気がした。
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