ラララ存在証明 | ナノ


  黎明のち


ガキンッと鉄がぶつかり合う音だけが響く。上弦の壱との死闘で負った傷のせいか、無一郎の動きが鈍いように見えた。

「無一郎!」
「動かないで。自分の身体の状態くらい分かるよね?」

肺挫傷と左足の欠損。失血多量でいつ死んでもおかしくはない。

「でも!」
「死ぬなんて、許さないから。」
「ならば、鬼になればいい。」
「や!」

近寄ってくる気配に後退りすると、無一郎が庇うように前に立ってくれる。

「ちょっと、今、薫と話してたんだけど。部外者は引っ込んでなよ。」

んべ、と舌を出した無一郎の挑発を、鬼もとい父は穏やかに流した。

「何を言っているんだい?私は、この子の父だよ。君は、それは知っているね。ならば、部外者ではないはずだ。」
「ふーん?娘を喰おうとしてるのに、親だなんてよく言えるね。」
「さあ、薫。こちらにおいで?」
「触るな。」

伸ばされた腕を、問答無用で無一郎は切り落とした。

「昔は泣き虫で愛らしかったと言うのに、何と恐ろしい…。ああ、薫、私を助けておくれ。」
「ひっ………」

目の前に映るのは、鬼になった父のはずなのに。私の脳裏に浮かぶのは、血だらけの人体。

「あ、」
「薫!しっかりして、薫!!」

これは、血鬼術だ。分かっているはずなのに、身体が震える。思わず無一郎の背に縋り付いた。

「無一郎、むい、ちろ…!」
「ごめん、少しだけ頑張って。」

抱きしめ返す余裕がないのか、私たちの瞳が混じり合う事はない。このままではいけない、そう思った私は辺りを見渡した。でも、目当ての自分の愛刀は見当たらなくて。無力さを嘆いていると、頭に響くのは有一郎くんの声。

______何やってんだよ、お前。

そうだ、刀がないのなんて都合が良いじゃないか。無一郎を傷つける可能性がなくなるのだから。懐に入れている紺色の巾着袋を取り出して、その中に入ってる青色の液体を入れた注射器を取り出した。

「しのぶさん、私に力を貸してください。」

祈るように呟いた。鴉から彼女の訃報はもう聞いている。兄弟がいない私にとって、しのぶさんは姉のような存在だった。お互いの得意分野が似ていて、多分、伊黒さんと同じくらいお世話になった。私が私であるために、尽力してくれた。そして、託された。

「…!無一郎だけに、辛い想いを背負わせたりしない!」

右足だけで、そちらに行くのに苦労した。焦ったような声で、私の名を呼び引き留めようとする無一郎。だけど、私の手に持っているものに気づいて、それを止めてくれた。久しぶりに見た父親の姿は、あまりにも滑稽で、酷く痛々しく見えた。

「ごめんなさい、お父さま。私がいなければ、きっとお父さまは、名医として、たくさんの人をもっと救えたはずだよね。」

医者としての大事な心得を、私に教えてくれた。そんなお父さまは、何人を喰ったのだろう。僅か3年で上弦まで上がる程だ。きっと、私の想像するよりも多く、罪のない人を傷つけた。けれど、

「ありがとう、お父さま。もう、楽になりましょう?」

それでも、助けられた命の灯火は、その生涯を終えるまで燃え続けるだろう。それは、とても良き事だ。素晴らしい。だから、どうか、大好きなままの父で死んでほしい。

「無一郎、」
「うん、分かってる。」

ぷすり、と注射器で、鬼の皮膚を刺した。一気に薬剤を注入していく。苦しそうな声が鼓膜を刺激して、自然とポロポロと涙がこぼれ落ちていった。どうか一思いに。もうこれ以上、苦しまないで逝ってほしい。

フウゥゥゥ………

「”霞の呼吸 漆ノ型 朧”」

美しい霞が、辺りを覆った。優しい香りが鼻をかすめる。それは、とても懐かしく感じた。それと同時に、父の身体が腐敗していき、崩れ落ちて行く。憎々しげに何度も名を呼ばれ、罵声を浴びせられ、怯んでしまった私の体を無一郎が優しく抱きとめた。













...

「薫が、いつかお嫁さんに行ってしまったら、寂しくなるね」

お母さまが殉職してから、お父さまはいつも寂しそうだった。女の子は、いずれお嫁に出てしまう。そうすれば、お父さまは一人ぼっちだ。

「薫ね、お父さまと一緒に住んでくれると言ってくれる人と結婚する!」
「何を言っているんだい。そんな事気にせず、好きな人と結ばれてくれたら良いんだよ。それが、私の幸せなんだよ。」
「いーや!薫がお父さまと離れたくないの。だから、お父さまのことを、薫と同じくらい好きな人と結婚する!」
「薫………。」

銀杏並木の中を、手を繋いで歩いて。小さな約束を交わしたはずだった。いったいどこで、道を間違えてしまったのだろうか。

「素敵な人だね、薫のお父様は。」
「え?」
「僕の父さんだって、負けないくらい優しくてかっこいいけど、それとはまた違うんだ。薫は、樋野先生によく似てるよね。」

血の繋がりがないことを嘆いた日もある。だけど、初めて”似ている”と言われたのが、嬉しかった。












...

「しあわせに、なるんだよ。」
「お父さま…。」
「たくさん傷つけたね。それでも、この可能性に賭けたかった。君がお嫁に行く姿を見たかった。君の成長を見守りたかった。もっと、たくさんのことを教えたかった。愛しているよ、薫。私と咲子の自慢の娘だ。」
「わ、私も…愛してるよ!」

その背に憧れた。だから、物心ついた頃には医学を学んでいた。たくさんの人を助けられるような、そんな存在になりたいと思った。こぼれ落ちる雫を、無一郎が優しく掬う。

「無一郎君。ありがとう。どうか、この子を。」
「任せてください。」

フワアア…

「”香の呼吸 弐ノ型 薫香”」

藤の花の香りが、辺り一面に広がって行く。その光景を虚げな目で眺めていたお父さまは、混濁する意識の中で、「咲子、」とお母さまの名を呼び続けた。そして、あの日のような優しげな笑顔を浮かべて、すう…と消えて行く。

「お父さま…お父さま…」
「薫、」
「うわあ、あああああぁっ」

堪えられなくなった想いを、叫びと共に吐き出す。優しく私の名を呼ぶ無一郎の胸元に顔を埋めた。荒い呼吸を上手く整えることができなくて、ヒューヒューと喘鳴が出る。

「落ち着いて、薫。ほら、呼吸で止血をして。」
「私は、」
「死なせない。死ぬなんて許さない。どうすれば良い?生き残るための道を教えて。試してないのに、諦めないでよ。」
「無一郎…」

悲鳴嶼さんが左足をキツく縛ってくれたおかげで、そこからの失血は治っていた。どれだけの力でこうすれば、こうなるんだと正直ゾッとしたが、そのおかげで、私の生命線が繋がっていると言っても過言ではない。

「分かった、諦めない。だから、無一郎は無残のところに行って。」
「え?」
「他のみんなは、まだ闘ってる。無一郎のおかげで、助かる命が増えるかもしれない。」
「こんな状態の君を置いていけと言うの?」

できるわけないじゃないか、責められるように紡がれる。その言葉を呑み込むように、そっと口づけを落とした。

「死なないって約束するよ。自分の体のことは、自分がよく分かってる。だから、お願い無一郎。私がその場に行けたら助けられる命を、助けてほしいの。」

懐から取り出した即効性の回復薬を無一郎に手渡す。そして、その中の幾つかを自分の分として頂戴した。

「大丈夫だよ、無一郎。」

そっと彼の手を、私の両手で包み込む。それを、私の胸元まで持ってきて、トントンと優しく叩いた。

「私には、有一郎君が付いててくれるから。」
「!」
「それに、きっと今そっちに行こうものなら、殴り飛ばしてでも戻してくるよ、あの人は。」

ふふふ…と笑みが溢れた。無一郎は観念したのか、立ち上がる。

「行ってらっしゃい、無一郎。」







20200623







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