たいせつなもの
蝶屋敷での出来事から、3日。お父さまの話を無一郎にしたいのに、なかなか出来ずにいた。薬が効いているのか、最近夜もあまり幻覚幻聴がない。なのに、父の顔を思い出しただけで、苦しくなってくる。でもこのままではいけない。おそらく、決戦の日は直ぐそこまで来ているのだ。
「せやあー!!」
私と他の柱との鍛錬は、毎回他の柱たちが、無一郎の屋敷まで足を運んでくださった。昼間の間は調子が良いから大丈夫だと言うのに、周りは一向に耳を傾けてくださらない。無一郎とも一緒に鍛錬できるから面倒ではなく一石二鳥だと言われてしまえば、私からはもう何も言うことはできない。他柱との鍛錬のおかげで、未習得の技の完成まで、あと少しというところまで来ている。木刀が重なり合う音だけが修行場に響いた。今この同じ空間で、私は伊黒さんと、無一郎は蜜璃さんと打ち合ってる最中だった。
「で、お前は何か掴めたのか。」
香の呼吸 漆ノ型(奥義)と、捌ノ型(秘義)。その問いに、自信が無さげに頷いてしまったものだから、脇腹に1本突きが入る。…痛い。
「う、」
「相変わらずだな。動揺すると剣筋が雑になる。」
「師範…」
「俺はもうお前の師範ではないが?」
「…鍛錬となると、どうしても伊黒さんのことはそうとしか見えなくなるんですもん。」
「甘ったれるな。」
「はい…」
私から背を向けた伊黒さんは、額に若干かいた汗を手拭いで拭った。これは休憩の合図だったりする。縁側に並んで空を見上げると、その様子に気付いたのか、蜜璃さんが此方にやって来た。無一郎の姿が見えないのは、何か飲み物でも取りに行ったのだろうか。だったら、この場は…
「すみません、私は無一郎を手伝って来ます。多分、お茶を入れにでも行ってると思うので。」
「ええっ!?私が行くわよ?」
「いえ!蜜璃さんと師範は此処にいてください。」
蜜璃さんに行かせてしまったら、伊黒さんに後から何を言われるか堪ったものではない。縁側に並んで座る2人の姿は、とても絵になった。お互いがきっと想い合ってるはずなのに、どうしてあの2人はいつまで経っても、くっ付かないのだろうか。柱という立場があるのも分かる。だけど、人は、大切なものが多ければ多い程、それを守る為に強くなれるのだということを身をもって学習した。私が大好きな2人が、同じ空の下で手を取り笑い合い、幸せな家庭を築ける世の中がくれば良いのに。そう願わずにはいられない。
「無一郎」
「薫?どうしたの?」
台所にいる無一郎に声をかけると、1番最初に顔色を窺われることにも、もう慣れた。手伝いに来たと告げたのにも関わらず、彼の背に抱きつく。
「ちょっと、重いんだけど…」
「酷い。」
恋仲に言う台詞ではないと抗議の声を上げるが、彼は今からお茶を運ぼうとしていたところだったので、大人しく引き下がることにした。
「なに、珍しいね。甘えたい気分だったの。」
「そんなところかな。ねえ、無一郎。今夜、話したいことがあるの。」
「………話?今じゃ駄目なの?」
「うん、あ、半分持つよ。」
「分かった、ありがとう。」
こう言っておけば、何が何でも聞いてくれるだろう。無一郎はなんて言うだろうか。お父様のことを知ったら、
______もうすぐあえるよ、わたしのかわいいかわいいかわいい薫。
「…っ!、」
"ガシャン"
それは不意打ちだった。無一郎から半分預かった湯呑みが手から滑り落ちて、激しい音を立てて割れる。中に入っていた熱湯が、左足先にかかった。鋭い痛みが走ったのと同時に、しゃがみ込む。無一郎が残りの湯呑みを置いて、私に駆け寄ったのと同時に、伊黒さんと蜜璃さんが台所の戸を乱雑に開けた。
「薫!!」
「「樋野/薫ちゃん!!」」
呼吸を整えて、大丈夫だと告げなくては。胸を抑えて荒がった息を、ゆっくりと落ち着けていく。そして、顔を上げた。
「ごめんなさい…手が滑ってしまって…」
ジンジンと痛む足先が、自分の身体の状態を教えてくれているようにも思えた。直ぐに消えた声は、たったの一瞬だったと言うのに、こうも私を動揺させる。これは対面した時、どうなってしまうのだろうか。不意に頭に浮かぶのは、炭治郎くんと禰豆子ちゃんの姿だった。鬼と人間、相容れないはずの彼らの絆は凄まじく、それを証拠に1度たりとも禰豆子ちゃんは人間を喰らっていない。けれど、私とお父さまはそうはいかないのだろう。
「無一郎くん、なにか冷やす物を!」
「はい。」
「俺がやろう。時透は樋野に付いていろ。」
「すみません、助かります…薫、分かる?」
「うん…」
分かっているよ。きっとお父さまは沢山の人間を喰って力をつけてしまった。だから、私がこの手で下さなければならない。
「薫?薫!なら、僕を見て。」
両頬が包み込まれた。蜜璃さんも伊黒さんも見ているのに、何するのなんて恥じらいもなく。どうしてそんなに焦ってるのなんて、まるで他人事のように思ってしまう。
「…無一郎?」
「そうだよ、顔色は戻ったね。苦しくない?」
「………、…」
「薫?」
「お騒がせして、すみませんでした。」
そう俯くと、蜜璃さんが優しく頭を撫でてくれた。無一郎は私をその胸の中に閉じ込めて背中を撫でてくれた。伊黒さんは怪訝な顔をしながら、左足先を濡らした手拭いで冷やしてくれた。ああ、なんて優しい人たちなのだろう。こんな状態の私を、邪険にせず支えてくれる。なんて、尊い人たちなのだろう。この人たちを守りたいから、私、そっちには行けないよ。
「私、」
今ならきっと、技を習得できると思う。
...
その夜、同じ布団に包まって、見つめ合った。
「落ち着いてる?」
「うん、昼間のが嘘みたい。」
「そっか。」
「湯呑み、割っちゃってごめんね。」
「いいよ。また新しいの買いに行こう。」
新しい物を買いに行けるだろうか、そう思った途端、頭を横に振った。縁起でもないことは考えないようにしないと。
「ねえ、無一郎?」
「なに。」
「手、繋いでも良い?」
「それ許可要らないでしょ。」
優しく伸ばされた左手を、自分の両手で包み込んだ。無一郎の手は凄く温かくて気持ちが良い。
「薫の手、冷たいね。」
「心があったかいんだよ。」
「なにそれ。ねえ、本当は今、苦しいんでしょ。なんで我慢するかな、隠しきれてないし、凄く腹立つんだけど。俺信用ないの。そういうとこ何とかできないの。」
「…、」
ああ、なんで分かってしまうのかな。鼻がツンと熱くなって、目に温かなものが溜まるのが嫌でも分かってしまった。もうすぐ、来たる日が来る。それなのに、私の心がなかなか安定してくれなくて、焦りが募るばかりだ。
「………私を、蝕む鬼ね、お父さま、みたいなの。」
とうとう目尻から流れていく雫を、無一郎の親指が交互に掬ってくれる。
「この間、しのぶさんのお屋敷に行った時に、お父さまの遺書を預かっていたという人に会ったの。」
布団から這い出て、机の引き出しの中に入れさせてもらっていた白い封筒を、無一郎に差し出した。無一郎は灯りをつけて、それに目を通してくれる。
「先生の字…」
覚えてるんだ。無一郎にも分かるんだね。赤ちゃんの頃から、12歳くらいまで、私を蝕んでいた鬼は倒された。お父さまによって。それからの3年間、私のことを呼び続けた忌々しい声は、
「………私ね、ちゃんと、斬るよ。」
「うん。」
「だって、お父さまが教えてくれたんだ」
______お母さまはね、鬼を殺していたんではないよ。鬼がこれ以上誰かを傷つけない為に、助けてあげていたんだ。お母さまに斬られた鬼たちは、きっと救われていたよ。
「だから、だからっ…」
「うん、うん。信じてるよ。分かってる。僕だけは、分かってるから。」
お父さまの頸を斬って、私がお父さまを救うんだ。
「でもね、薫。俺だけには、強がらなくて良いんだよ。無理に強くあろうとしなくて良い。もう充分強いから、たまには僕に薫を守らせてよ。」
「…私も無一郎守るんだもん。」
「はいはい、この意地っ張り。」
「ムッ、だって!私は、」
無一郎がいないと生きていけない。そう紡ごうとした言葉は、無一郎が私の唇に優しく齧り付いたことによって、紡ぐことが許されずに彼の中へと落ちていく。
「言うだけならタダでしょ、誰も聞いてないよ。」
「なにそれ、無一郎こそ弱音吐かないくせに。」
「当たり前でしょ。誰が好きな女の子にカッコ悪いところ見せたいと思うの。」
「!別に、弱音を吐くのはカッコ悪いことじゃないでしょ!」
「ほんっと!男心わかってないよね薫!!」
「なにそれ!!」
ぷくぅ…と頬を膨らませて睨み合う。その顔が、何だかおかしくて、私はプッと吹いてしまった。
「はあ…やっと、笑った。」
「え、」
「僕、薫の笑った顔が1番好きなんだよ知ってた?」
「…、…」
「あ、照れてるの?…可愛い、薫。」
「もう!からかわないでよ!!」
フイっと背中を向けてやると、拗ねないでよと、背後から包み込まれる。それが凄く心地良くて、私はそのまま夢の中へと落ちていったのだった。
20200604
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