"愛してる"

「やあ、最上さん」

日本へと帰国する1週間ほど前。突然の来客があった。それは高校時代の友人で、賢二郎の親友。ポカンと口を開けた私を見た川西くんは、「賢二郎に雇われたボディーガードです」と茶化すように言った。全然笑えない。

「え、川西くん…大学は?」
「実は、数週間前に単位落として留年が決まってですね」
「ええっ!?」
「だから気にしないで?」
「………」
「そんな顔しなくても」

いや気にするところしかないんですけど。

「心配しなくても、あと1週間もすれば帰るのに…」
「心配することしかないんだけどね」
「……川西くん、人が良すぎない?」
「高校から、あの賢二郎の相棒のようなことやってんで」
「ああ…。なんで川西くんに彼女がいないのか分からなくなってきた」
「なんでいないと思われてんの」
「いるの!?」
「いるけど」

知らなかった。賢二郎はそういうこと教えてくれないし、聞いたとしたら、多分「なんでお前がそんなこと気にするんだよ」って機嫌が悪くなることは目に見えている。

「ま、出来たの最近だけどね」
「よく彼女が、それを許したね」
「まあね」

心優しい川西くんの彼女さんのおかげで、思っていたよりも早く心の安寧が保たれそうである。

「それより最上さん、化粧で隠してる所悪いんだけど、それに触れてもいい?」

トントン、と川西くんは自分の頬を叩いた。その途端、フラッシュバックしてしまいそうな記憶をなんとか押しとどめる。隠したって無駄だ。

「……あー、賢二郎に報告はするからね」
「うん、」

だって、隠したって良いことはないもの。







川西くんに護衛してもらって、東京へと帰ってきた。川西くんがいるから、迎えは大丈夫だよって伝えてみたけれど、"行く"の一点張りで、私もはやく会いたいとは思っていたから、それは嬉しかったんだけど。

「賢二郎」
「………」

久しぶりに会えた恋人の顔は、仏頂面だった。何に対して苛立っているのかは分かりきっている。危機感が足りないとか言われるんだろうか。何があったか、全部話さないといけないと思うと身体が強張る。どうしていいか分からずにオロオロしていると、

「じゃ、俺行くね」

頼みの綱である川西くんは、颯爽とその場を後にしていった。引き留めるわけにも行かなくて、無残にも手も伸ばすことすら出来なかった。そのかわり、

「菫、」

ふんわりとやさしい匂いが鼻を掠めたかと思えば、温かな体温が私を包み込む。無性に泣きたくなるのを堪えて、賢二郎の名を呼んだ。人が見てるよ、こういうの嫌いでしょ。そんな想いを込めて。だけど、離してくれなくて、どうしようと思っていると、するりと腕を取られて引かれていく。

「帰るぞ」
「うん…」







久しぶりに帰って来た賢二郎のマンションは、相変わらず殺風景だった。「座れよ」と言われたので、ソファーに腰掛けると、賢二郎もその横に腰掛ける。交わった瞳から、私の様子を窺っていることがわかった。私から説明しないといけない。そう思うけれど、なかなか口が動かない。そう思っていると、キレイな指先が、私の左頬に触れた。

「!、」

振り払いそうになったところで、これは賢二郎の手だ。と自分に言い聞かせる。ぎゅっと瞼を閉じて俯いてしまった。その途端、反対の手が私の背中に回ってきて、ポンポンと撫でられる。

「怪我、これだけだったのか」

左の頬から手が離れて、ペタペタと私の両手を触っていく賢二郎。いつだって、私が1番大事にしている手を気にしてくれていた。この手が好きだと言ってくれた。

「手は大丈夫」
「他にもあったのか」
「……もう、治った」
「菫、」

咎めるように名を呼ばれる。全部教えろ、という意味が含まれていた。

「ちょっと、待って」

情けなくも身体が小刻みに震えていく。その途端、賢二郎の腕の中に閉じ込められた。

「ちゃ、んとはなしたいっておもってるから、」
「ああ」
「まってね、でも、思い出すのこわくて」
「わかった」
「言いたくないとかじゃ、なくて」
「わかったから。悪かった。ちゃんと考えてやれなくて」
「なんで賢二郎があやまるの…」

込み上げてきた感情が、全部雫となって流れ落ちていく。私が落ち着くまで、ずっと、トントンと背中を撫でてくれた。いつまでそうしてたかは、わからない。だけど、ちゃんと全部言おうって決めてるから、拳を握りしめた。そして、深呼吸を繰り返し後、言葉を紡いでいく。

「ネックレスが盗まれたと分かった日は怖くて逃げたの。そしたら、後日返してあげるから取り引きしようって言われて、ルームメイトに相談したの」

会う日は向こうが指定してきた。その日はルームメイトには予定がある日で、私が頼れるのがその子くらいだと分かりきっていたようだった。だけど、ルームメイトの子の彼氏が付き添ってくれることになったのだ。離れた距離を歩いてもらって、あたかも1人で行ったのを装って。

「賢二郎との写真を見せられたの。返して欲しかったらマスコミにこれを渡すぞって脅された」
「………」
「だから良いよって言ったの。私はアイドルじゃないし、賢二郎と付き合ってることは悪いことじゃないから。賢二郎に迷惑かけるかもしれないと分かってたけど、大丈夫って言ったの」

そしたら、ふざけんじゃねえって急に怒り始めて。何が何だかわからないうちに口が塞がれていた。悲鳴をあげたくても上がれなくて、左頬に痛みが走った後、身体中に痛みが走って、服の中に手が侵入してきて、

「菫、わかった、もういいから」
「もうだめって思った時に、ルームメイトの彼氏が飛び込んできてくれて、助かって、で録音、して、それで、」
「菫、」

服の中に録音器を忍ばせていた。これはルームメイトからのアドバイスだった。だけど、上手く録れてるか確認するのは怖くて出来なかった。

「戻ったら証拠、なるから、ちゃんと、録音できてなかったらダメだけど、でも、わかんな「菫!」…ヒッ、あ、いまのはちが、」

黙って聞いてくれていた賢二郎が、突然声を荒げたせいで、身体が震える。今のは賢二郎の声で、あの時の怒声とは違うのだ。目の前にいるのは、私にとって、とても特別な人だ。

「菫、ゆっくり息しろ。ほら、俺に合わせて」

スーハー、と何度も同じ行為を繰り返す。私の名前を優しく呼ぶ声が、暴走していった鼓動や呼吸を落ち着かせていく。

「頑張ったな」
「う、ん…」

賢二郎に縋りたかった。だけど、賢二郎は近くにいないから、1人でなんとかしなきゃと思った。強くなって、成長して戻りたいって思ってたから。ゴソゴソと鞄を漁って、大切に保管してた録音器を手渡す。しっかりと受け取ってくれた賢二郎は、後は任せろと言って、私を再び抱きしめた。

「録れてなかったら、ごめんね…」
「気にすんな、菫が無事で良かった」
「……賢二郎」
「ん?」
「しばらく、こうしてしていたい…」

試験に追われてるって聞いてるから、勉強しないといけないのだろうと言うことはわかっている。来年からは実習もはじまるって言っていた。そんな時に、こんな面倒ばかりかけて彼女として情けないと思ってる。だけど、

「俺も」
「…へ?」

回された腕に力が入っていく。苦しいくらいのそれは、何故か心地よかった。

「俺も、しばらく菫を離したくない」

少しだけ顔を上げれば、柔らかい笑みを浮かべた賢二郎がいた。ゆっくりと顔が近づいてきて、蘇ってきた怖い記憶をかき消すように、唇と唇が触れ合う。たまに、ちゅっと甘い音を立てて、感情を昂らせていく。

「賢二郎!」
「怖いことはしねえから」

歯列を撫でられた後、ぬるりと侵入してきた舌と私の舌が繋がって、上書きするかのように何度も何度も繰り返された。酸欠になって、頭がクラクラしていく。銀の糸が繋がって全身から力が抜けていった途端、抱き上げられた。

「愛してる」

会えなかった分の隙間を埋めていくように、布団の中に雪崩れ込んだ。



20210519



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