遠いみちしるべ

授業中に使い慣れていたバインダーが壊れてしまい、大学帰りにショッピングセンターに寄った日のことだった。今日は菫のことは太一に任せてある。しかし、それでも帰路へと急ぐ足が早まるのは、惚れた弱みというやつだろうか。煌びやかに並ぶ店を一瞥しながら、そんな馬鹿なことを思う。もうすぐ出口というところで、1つの店が俺の足を止めた。女が好みそうなデザインのジュエリーが並んでおり、何を思ったのか俺は、気づいたときには店の中にいた。

「いらっしゃいませ。プレゼントですか?」

男性客を物珍しそうな目で見てくる店員。周りはカップルが多く、男1人で中にいる俺は、確かに珍しいのかもしれない。

「…はい。彼女に」

気づけば、普段よりも幾分か大きい声で言葉を紡いでいた。

「素敵ですね。彼女さんは、どのようなデザインがお好きですか?」

菫は、ネックレスやブレスレットと言った小物はあまり付けない。コンクールの時に、ドレスに合うジュエリーを身にまとっているのは何度か見たことはある。しかし、日常生活では、あまり好きではないと言っていた気がする。

「…普段は、あまり」
「そうなんですねー」
「ただ、音楽をやってる人なので、コンクールの時にネックレスやイヤリングをつけてる印象はあります」
「なるほど。ちなみに、何の楽器をされるんですか?」
「ピアノですけど」
「では、こちらはいかがでしょうか?」

店員が案内してくれたのは、ネックレスコーナーだった。

「楽器を弾かれるような方だと、手先にアクセサリー付けるの嫌いな人もいらっしゃいますよね。ヴァイオリンとかだとネックレスも邪魔になりますけど、ピアノなら気にならないと思いますよ。それに、本番前に見たりもできますからね!!」

聞いてもないのに、興奮したように語る店員。普段ならば、この手のタイプの店員は苦手でうざく感じるが、今日はそんなこと思わなかった。

__ピアノ…また弾けなくなったら、どうしよう

不安げに揺れる瞳が思い浮かぶ。傍に居てやれないけど、力にはなりたい。

__つーか、不安なのはそれ?
__うん…だって、賢二郎のことは信じてるもん

俺だって、お前のこと信じてるんだけど。

「彼女さんの誕生石が入ってるネックレスとかいかがですか?それぞれ意味があるんですよ」

1月〜12月までの誕生石の説明が書いてある資料を見せながら、店員が丁寧に説明してくれる。それを聞き流しながら、俺は1つの宝石を手に取った。

「あら、5月生まれなんですか?エメラルドは宝石言葉の他にも、“愛の成就”という意味を持つんですよ」

なんの因果か、俺は自分の誕生石が入ったネックレスを手に取ったらしい。

「それから、浮気を防止する意味も持っているとされ、お互いの浮気封じのお守りとしても、効果的といわれてるんです!」
「浮気…」
「それ以外にも…」

値段を見て、一瞬躊躇してしまったが、菫と同棲をはじめたおかげで、自分の懐は前よりも温かい。気づいたときには綺麗にラッピングされたソレを受け取っていた。







「どしたの、賢二郎。その格好」

瀬見さんかよ、と言う言葉は聞こえなかったことにしてやった。マスクにサングラスにニット帽を被っている俺は、傍から見たら不審者だろう。

「ゲッ、白布!?どうした!!?」
「……別に、気にしないでください」
「いやいや、気にするだろ!?喧嘩でもしたのか?」
「してないです」

毎回コンサートに行く度に、目が合っていたような気はしていた。まさか、そのおかげでピアノが弾けていると思っているなど、誰が思うか。だが、それを聞いたときに喜びが勝っていたのも事実で、そう思ったときに居心地が悪かった。

「うるさいです。はじまるので静かにしてください」
「あーハイハイ」
「ったく、かァーいくねえな」

瀬見さんも太一も、ソワソワしている。多分、こういった場に慣れていないのだろう。キレイな音色を奏でるクラシックの世界は、心を穏やかにさせていく。出演者の音色に耳を澄ましながら、様々なことを思った。菫と出会い、共に過ごしていく中で、お互いがお互いの良き理解者になっていったと思う。

「あ、最上さんだ」

緊張した面持ちで現れた菫は、何かを探すように会場を見渡した。深くお辞儀をした後、諦めたようにピアノに向かい合う。しかし、いつになっても音色を奏でない。

「おい、賢二郎。やっぱり喧嘩でもした?」
「してねえよ」
「明らかお前を探してただろ?行くって言ってなかったのか?」
「言ってましたけど」

あの日の菫の姿と重なった。何かに怯えて、手元を震わせて。

「……菫」

何やってんだよ。お前に必要なのは自信だけだって、言ったじゃねえか。そんな思いを込めて名前を呟いた途端、ハッとなったように鍵盤に手を戻した菫。そして、意を決したように奏ではじめた。

♪〜

曲目は、俺が好きだと言った曲。毎朝、このメロディーを聴いて1日を迎えていた。一般入試で白鳥沢に入った俺は、あの頃、酷く焦っていた。自分の実力を痛感し、もがいていた。そんな俺を温かく見守るかのような優しい旋律を毎朝奏でる菫に惹かれて、救われた。音楽だけでなく最上菫という存在が、俺を支えて助けてくれたから。だから、今度は、

「俺の番だよな」

優しい言葉をかけてやることも苦手で、ついつい冷たくしてしまうこともある。だけど、本当は誰よりも大事で、守りたくて。そんなこと気恥ずかしくて表に出せないけど、そこまで汲み取ってくれるお前なら、大丈夫だろうか。

「賢二郎なんか言った?」
「いや?」

行ってこい菫。ポケットに入れた贈り物に、祈りを込めながら、菫の姿を目に焼きつけた。



20210224



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