青い告白
次に目を開けたとき、時刻は20時を過ぎていた。かなり長い間眠ってしまっていたらしい。状況を確認しようと起き上がり、キッチンの方へと足を運ぶと、普段私が使っているエプロンを身につけた菅原が何かを作っているのが見えた。「……え、」
戸惑った声が漏れて、その音に気がついた菅原が私の姿を捉える。
「桜、起き上がって平気?」
「あ、うん。…え?」
「あー…覚えてない?」
「いや、」
熱を出して、潔子に助けを求めようとしたけれど、潔子が電話に出なくて。それで、菅原に助けを求めた。菅原は嫌な顔1つせず、私の元へ駆けつけてくれた。
「覚えてるけど…」
まだ居るとは思わなかったのだ。
「楓さんには夕飯食べさせといた。今は、風呂に入ってる」
おそらくデリバリーで、ピザか何かを頼んだのだろう。テーブルの方を一瞥すると、片付けを後回しにしたのか、その形跡が残っている。
「……ありがとう。あの、お金払うよ」
「俺も食べたから気にすることねえべ?」
「そんなわけにはいかないよ。楓の分は払う」
「いいからいいから。ほら、大人しくしとかないと熱上がるべ?」
「っ、子供扱いしないで!」
「はいはい」
とは言え、本調子ではないのは事実なので、大人しく部屋に戻る。こういう所は、相変わらず強引なんだからと恨めしく思いながら布団に潜った。しばらくすると、部屋のドアをノックされて、菅原が顔を覗かせる。
「……お粥作ったんだけど、食べれそう?」
部屋の中に入ってきた菅原が、私の勉強机にお粥を置いて、此方を見つめてくる。
「菅原って料理出来たんだ」
「おいおい、失礼だなー?」
上半身を起そうとすれば、そっと背中に手を添えられて、起きるのを手伝ってくれた。私は、小さな声でお礼を言った。
「はい、あーん?」
「自分で食べられるよ…」
「そう言うなって。病人は言うこと聞いてくださーい?」
「楽しんでるでしょ、菅原…」
「さあな?」
ケラケラと笑う菅原から、乱雑に茶碗を受け取る。鼻が詰まってるし、喉も痛いから、あんまり味は分からないけれど、そこから優しさを感じた。ふと菅原に視線をを向けると、真剣な顔で見つめ返される。思わず背筋がピンと伸びた。
「…桜」
「なに?」
「頼ってくれてありがとう」
幾度と無く言われた言葉。
__1人で抱え込まないで、頼って欲しい。桜はすぐ無理をするから
お礼を言いたいのは私の方だ。なのに、
「……別に、たまたまだし。最初に連絡したのは潔子だし」
「それでも嬉しかった」
「………楓が知ってる私の知り合いって、潔子と菅原くらいしか思いつかなかっただけだし」
「うん。良いんだ。それでも、嬉しかったから」
気がつけば、泣いていた。ポロポロと零れ落ちる雫が、布団を濡らしていく。ぎゅっと爪が食い込むまで手のひらを握りしめていれば、それを咎めるように、菅原の手が私の手に重なる。
「なあ、桜。あの頃とは違うべ?」
「?どういう意味?」
「あの頃よりも強くなったから」
真剣味を帯びたその瞳から伝わる熱に、体温が上昇していくのを感じた。
「頼りないなんて思わせない。今度こそ、桜のことを守らせて欲しい」
何でも見透かすようなこの瞳が、苦手だと思ったことがある。だけど、その奥に潜む優しさを知ってしまっているから。菅原が奥に秘める優しさが、何よりも好きだから。
「1人で何でもやろうとしなくて良いんだ。俺を、頼って」
汗ばんだ額を優しく拭われる。汗臭いからと離れようとした身体に、逃がさないと言わんばかりに触れる手は、まるで壊れ物を扱うような触れ方だった。
「どうして、そこまで…」
面倒くさい女だと思う。それは、自分の為人のことだけではなく、家庭環境や、私の周りを支配する人々を含めて。唯一の光は、楓くらいだろうか。
「どうしてって言わなきゃ分からない?」
呆れた目をしながらも、決して突き放したりしない。いつだってそうだ。私は、これ以上菅原の邪魔をしたくなかったから離れたかったのに。醜くて汚い部分を知られたくなかったから、離れたのに。全て私本意の行動をして、何度も何度も傷つけたのに。
「1度好きになった奴のこと、そう簡単に忘れることなんて出来ないべ」
「……っ…!」
「でも、無理に関係を戻したいとは思ってないからな。ただ、桜が苦しいときには、いつでも助けになるよ。それだけは覚えておいて欲しい」
もう、泣かないでと零れ落ちる雫を掬われる。昔から大好きだったあの笑顔を浮かべて、力強く言ってくれた言葉は、どれも私の心を優しく包んでくれた。
「菅原先生ー!お風呂上がったー!!」
不意に楓の声が聞こえてきて、バタバタと家の中を駆け回っている様子が直ぐに分かる。
「おー!ちゃんと髪乾かしたかー?ちょっと、見てくるな」
そう言って離れていく後ろ姿は、あの日とは別人のようだった。
20210129