迎えた約束をしていたクリスマス。私は音楽室でピアノの前に座っていた。今日は、賢二郎と出かける約束をしている日だけど、賢二郎は、まだ部活に励んでいる。

スランプに陥ったおかげで、良い事がたくさんあった。普段の私なら、こんなこと絶対思わないだろうけど、今、逃げずにピアノの前に座れているのだから、そう思っても罰は当たらないだろうか。

未だに人前でピアノは弾けないけれど、練習するときに苦しくなることは無くなってきた。練習の時に弾くのは、賢二郎が好きだと言ってくれたこの曲ばかりだ。半年後には、音大の推薦入試も控えているし、コンクールだってある。それまでに、なんとか人前で弾けるようになりたい。

♪〜

一通り弾き終わって、ほう…と息を吐いた。まだまだ奏でる旋律はぎこちなくて、満足のいく演奏ではない。

パチパチパチパチ…

「…っ!……いつからいたの?」
「5分前くらい」

不意に聞こえてきた拍手。そちらに視線を移すと、部活終わりの賢二郎が立っていた。

「お前、暖房くらい入れろよ」

歩み寄ってきた賢二郎は、徐に私の手を掴む。寒さによって悴んだ指先が、じんわりと温まっていく。

「………ごめん、忘れてた」
「またかよ。大事な手だろ?」
「うん…ありがとう…」
「おう。……やっぱ、良いな。お前のこれ」

私が先ほどまで弾いていた曲の事だろうか。そう聞こうと思って顔を上げると、賢二郎はふいっと顔を逸らした。微かに見える耳が赤く染まっていて、苦笑が漏れる。相変わらず、素直じゃないというか褒め下手というか。

「行くぞ」

私の鞄まで持って、賢二郎は先を歩いて行く。私は、慌ててその後ろを追いかけた。そして、自分の荷物は持つと言うと、楽譜などが入っている軽い方の鞄だけ手渡される。

「もう!」

まあ、賢二郎に渡すプレゼントはこっちの鞄に入ってるから良いのだけど。他愛もない話をしながら目的地まで歩く。賢二郎は寮生だし、私は徒歩通学なので、駅の近くには全く行かない。だけど、私の家から1番近い駅に、キレイなイルミネーションが施されているという。それを見に行こうと、賢二郎は誘ってくれた。

「あ、賢二郎。これ…」
「……何?」
「クリスマスプレゼント、マフラーなんだけど」

ちなみに、去年上げたのは手袋だ。手を大事にしている賢二郎にピッタリかな、と思ったそれを受け取ってくれたとき、かなり無愛想だったけれど。冬場になると、毎日使ってくれているので、大層気に入ってくれたらしい。

「…さんきゅ。俺からは、これ」

鞄から取り出してくれた袋を受け取る。

「ありがとう!開けて良い?」
「ああ…」
「わあ、可愛い!手袋だ!」

今年は、私が手袋を貰った。今使っている手袋は、大分脆くなってきていたので丁度良い。

「手、大事にしろよ」
「うん、ありがとう!」

駅まで辿り着くと、美しいイルミネーションに見惚れた。キラキラと輝くそれは、まるで魔法のようで、何か力を与えられているかのような錯覚がある。そんな中に、ポツンとさみしそうに置かれている物が目に入った。

「あ、」

ご丁寧に、ご自由にお弾きくださいと書かれている。急に立ち止まった私を見た賢二郎が、不思議そうに首を傾げた。その視線の先にあるのは、ピアノだ。

「行くか?」

街ゆく人々は、私たちなんて気にも留めないだろう。何も言わずに俯いていると、賢二郎に腕を引かれて、気がつけばピアノの前に立たされる。2人分は腰掛けられるだろう大きな椅子の左側に座った賢二郎が、ポンポンと隣を叩いた。私が座った途端、賢二郎の手が鍵盤に触れる。

ドードーソーソーソーラーラーソー

拙い指で紡がれていく音色はお世辞にも上手とは言えなくて、どこからかクスクスと笑い声まで聞こえてくる。私はなんだか悔しくなって両手を握りしめた。それでも、なお賢二郎は演奏を続けた。私は意を決して、右手を添える。

♪〜
ドドソソララソファファミミレレド

「良いじゃん」

そう言って賢二郎は手を止めて、続けてくれと言わんばかりに私の肩に頭を乗せた。

「どうせなら、この曲が良いよね」

私は、それに応えるように両手を鍵盤に乗せた。そして、ゆっくりと深呼吸をする。紡ぎはじめた音色は、先ほどまで私が練習していた賢二郎の大好きな曲。別名、夜想曲とも言われるこの曲を、毎朝弾いていた事に対して違和感はあるけど。ようやく思い出した。自由曲に何故、この曲を選んだのか。賢二郎が好きだって言ってくれた曲だから。

肩から伝わる熱が、不安に陥りそうな私をクリアにしてくれる。私の演奏する曲は感情がないわけではなかったんだ。自分のことをずっと抑え込んで、賢二郎のことを優先したつもりになっていた。それが、1番良い彼女のあり方だと思っていた。

だけど、それは、優しさでもなんでもなく、私のエゴでしかない。そんな想いを抱えた演奏家に、やさしい音楽なんて奏でられない。だから、感情がないなんて言われるんだ。

「菫のノクターンを聴くと、心が浄化される」
「何言ってんの」

演奏が終わって、一息吐いた途端、大量の拍手が私の鼓膜を襲った。1番大きな拍手は、隣に居た君のもので。

「菫の1番のファンだから、俺」
「キザだね」
「うるせぇ」

並んで帰路につく。私、きっと、もう大丈夫。ありがとうと心の中で、呟いた。


20201205 fin.

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