じゃなくて。見る感じめちゃくちゃ怒ってらっしゃる賢二郎。何かしただろうかと思案する。思い浮かんだのは、ただ1つ。川西くんめ、チクったな。今頃、くしゃみをしているであろう川西太一が恨めしい。
屋上にたどり着くと、所謂壁ドンというものがされた。私の顔の横に思いっきり手をついて、こちらを見つめる賢二郎。後ろは壁なので、私に逃げ道はない。
「……で?」
「……えっと、」
「俺が何言いたいか分かる?」
「ワカリマス…」
普通に腕を振り払って逃げれば良かっただろうか?だが、私は文化部。そして、彼氏は運動部。明らかに逃げても捕まる。体力差が尋常ではない。
「じゃあ、言ってみろ」
「………」
「分かんねーのに分かる言うな、この馬鹿」
「ゴメンナサイ」
後輩をシバいたりするところは、何度か見たことはあるけど、私自身に怒りを向けられるのは初めてなので、身が竦んだ。
「何なの、お前…」
「け、けんじろ、」
「どうすれば俺の物になるんだよ、お前」
壁にあった手が、私の背中に回されて、物凄い力で引き寄せられる。離すものかと抱きしめられて、逃げられない。聞こえてきた声は、あまりにも苦しそうで。それをさせているのが、自分だと思うと凄く申し訳なくなった。
「あの…私、"お試し"のお付き合いって、賢二郎に彼女として試されてるって思ってて」
「聞いた」
「だから、あんまり我儘とか言わないようにしてて、どうやったら賢二郎に良いよって言ってもらえるかなと」
「それも聞いた」
「なので、まさか初めから賢二郎が私のこと好きだなんて思って無くて…」
「………」
「け、賢二郎…?」
胸板をそっと押して顔を上げれば、眉間に皺を寄せた賢二郎と目が合う。
「で?」
「……で?」
「俺が知りたいのは、どうやったら菫と付き合えるかなんだけど」
その問いに、言葉に詰まった。賢二郎の中で、お試し付き合いが終わったと言うならば、それはそれで良いのではないか?でも、私はこんな状態で、全く賢二郎に相応しい女の子ではないから、妥協するのは良くないのではないか。
「………」
「おい、なんとか言え」
「………」
「………菫、」
「は、はいっ」
「好き=付き合うじゃないってどういう意味?」
それは、お互いが想い合っていても、どうしようも出来ないこともあるよねってことで。私の場合、音楽と上手く向き合えていない今、取り柄の無い状態で。こんな取り柄の無い状態の女の子が横にいても、賢二郎にとっては迷惑にしかならないのでは、ということなんだけど、それを言って納得してくれるような男だろうか。
「…じ、自信が持てなくて、」
「自信?」
「賢二郎の、横に、いる自信」
ぽつり、ぽつりと自分で言っておいて、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしくなった。
「……それ、必要?」
振ってきた言葉は、とても冷たかった。
「俺は高1の頃から、お前のことが好きなんだけど。それで、お前も俺のことが好きなんだろ?それ以上に付き合うことの理由って、要んの?」
「………それは、」
「それは?」
「ないですね」
だろ、と言わんばかりの目で見られる。目は口ほどに物を言うと言うけれど、賢二郎の場合、目で語ることが多すぎる。
「私でいいの?」
「その質問、今更過ぎるんだけど、言えば満足するわけ?」
「……う、」
冷ややかな言葉に、俯いた。"お試し"で付き合ってるときから思ってたけど、賢二郎の愛情表現って分かりづらい。だから、本当に私のこと好きかどうか私に疑われるんだよって言ってやりたいけど、後が怖すぎる。
そんな私の頬に、賢二郎の手が添えられた。そして、グイって顎を持ち上げられる。
「目、閉じろ」
言われたとおりに目を閉じると、その途端、唇にやわらかくて温かな感触が振ってきた。ちゅ、と甘い音を立てた後、ゆっくりと離される。
「菫が好きだ。俺と付き合ってくれ」
「…は、い」
こくり、と頷けば満足げに笑われる。その途端、どこからか聞こえてきた曲は、賢二郎が毎朝ランニングする時間帯に必ず弾いていた曲だった。吹奏楽部の誰かが、朝練でもしているのだろうか?コンクールも終わったのに、熱心な子だな…なんて他人事のように思ってしまう。
「俺さ、この曲が菫が弾く曲の中で1番好き」
「え、」
「だから、また弾けよ」
いつになるか分からないのに、私が、またピアノを弾けるようになると信じて疑わない目。この期待に応えなければ、と思った。
20201204
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