"もし彼に甘えて欲しいと言われたら、あなたの愛情が伝わっていない可能性があります。そして、不安に思っていることでしょう"

本棚に並べるには恥ずかしいと思ってしまうそれを、そっと自宅の自分の机の引き出しに入れる。タイトルを見るのもなんだか恥ずかしくて、買ったときに、書店員さんにカバーをつけてもらうようにお願いまでした。

私と賢二郎は、とてもプラトニックな関係を築いていると思う。"お試し"と言えど、賢二郎は好きでもない人間と付き合うような人ではないはずなので、少なからず私のことを想ってくれているのだとは思う。だけど、自信をもってそう言えないのは、キスやハグと言った恋人同士がする当たり前のようなことをしていないからだ。

お付き合いというのは、好き同士でするものだけど、好きだけではいかない関係だと思う。友人にそう言ったとき、何言ってるのこの子というような顔をされた気がする。だから、"試しで"付き合っているのだ。好きでもお試し期間に賢二郎に相応しくないと思われたら、この関係は解消されると思う。

「おい、」
「………」
「聞いてんのか?菫!」
「ひっ…はい」

なんて変な物思いに耽っていると、目の前に考えていた張本人が現れる。眉をしかめて、こちらをガン見する賢二郎は、はやくしろと言わんばかりに目で物を言っていた。目で語るにも程があると思う。

「、賢二郎」
「あ?」
「……今日、違う場所で食べても良い?」

私と賢二郎が昼休みにご飯を食べるのは、火曜と木曜の週2日と決まっている。賢二郎はバレー部の付き合いがあるし、私も吹奏楽部の付き合いがあるからだ。これは付き合い始めた当初に決められたルールであったりする。

「何処?」
「第2音楽室…」
「……は?」

第2音楽室は、主に吹奏楽部の部員が使用する場所で、授業では滅多に使用されない。飲食は基本ダメなので、昼休みに使用する生徒もいないだろう。私は、顧問の先生にお願いして、しばらく特別にそこで昼食をとることを許して貰った。許可をもらいに行ったときの先生の顔は、心配ですという文字がいっぱい書かれていたけれど。

「先に行ってるね」
「……分かった」

賢二郎は寮生なので、食堂に昼食を取りに行かなければならない。なので、一緒に教室を出るけれど、向かう先は別々だ。私は先に第2音楽室の扉を開けて、暖房を入れた。昼休みが終わる頃に暖まるだろうから、暖房を入れたと言えど気休め程度にしかならないのだろうけど。そして、グランドピアノの前まで来て、とりあえず腰を下ろす。

「……なに、やってるんだろう」

そう言えば、今日はお弁当を持ってくるのを忘れてしまった。賢二郎と一緒に食堂に行けば良かったなと思ったところで、全くお腹すいてないなとも思う。

♪〜

そっと鍵盤に触れて、適当に鳴らす。ポロンポロンと鳴り響く音は、私の大好きな音な筈なのに、何故か不快に感じてしまった。

「おい、電気も点けずに何やってんだ」

良いのか悪いのか分からないタイミングで、音楽室の扉を開けた賢二郎は呆れたような顔をしていた。グランドピアノの前で呆然と座っている私を見た後、更に眉に皺を寄せる。


「ねえ、賢二郎。私のこと好き?」
「……じゃなかったら、付き合わねえよ」

なら、お試し期間はいつになったら終わるの?そう聞けない私は情けない。

「菫?」

徐に立ち上がって、賢二郎の元まで歩いて行く。賢二郎は食堂から持ってきた昼食を適当なところに置いた後、そんな私の顔を覗きこんだ。此処なら、今なら誰も来ないだろうし良いだろうか。不意に、触れたいと思った。なぜだか分からないけれど。最近の私は分からないことばかりで、苦しい。

「……何だよ、菫」
「ねえ、抱きついても良い?」
「は?」

低い声が頭から振ってきた。当たり前だ、ハグなんてしたことない。周りの人たちには仲良くて良いねって言われることはよくあった。それは、あくまでも友達の延長線みたいなもので。なんて事まで考えたら、目頭が熱くなって、それはやがて雫となって落ちていく。それに気づかれたくないのに気づいて欲しいとも思って。何かに縋り付きたいなんて思ったの、はじめてかもしれない。

「何で泣いてんだよ」
「ごめん、今日の私はどうかしている…」
「……それは、今日だけじゃねーけど」

グイっと腕を引かれて、賢二郎の腕の中に閉じ込められた。突然のことに一瞬動揺したけれど、とくんとくん…と聞こえてくる心臓の音が、とても心地よくて。入っていた力が、どんどん抜けていくような気がした。

「そもそも許可いらねーよ」

何を、なんて分かりきってる。もしかして、こういう甘えるを欲していたのだろうか。それがいつ出来るようになるか試されていたのだろうか。恋人同士が辿る末を全て終えたら、本当のお付き合いが出来るか出来ないかが分かるのだろうか。

「けんじろう、」
「…何だよ」
「好き、です。こんなのでごめんね。好きです」

流れ落ちる雫は、一向に止まってくれなくて。

「…は、やっとかよ」

そう言った賢二郎は、何処か嬉しそうだった。あれ?と思う。こんな反応をされるとは思わなかった。もしかして、とも思う。本気で付き合ってないと思ってるのは私だけだったんじゃないかって淡い期待が沸き起こる。それに気づいたとき、いつの間にか涙は引っ込んでいた。

「落ち着いたか?」
「うん…」

そっと、名残惜しそうに身体が離れていく。

「……お前、飯は?」
「忘れた」
「は?何で食堂に一緒に来なかったんだよ」
「忘れてた」
「朝も食ってないとか言わないだろうな?」
「………」
「おい、なんとか言え」

鼻を容赦なく摘ままれて、恋人に向けるような顔ではない顔を向けてくる賢二郎。

「俺の少しやるから食え」
「お腹…空いてない…」
「あ??」

無理矢理お汁を口に突っ込まれて、とりあえず、それだけ入れる。結局その日は、それからお説教がはじまって、聞きたいと思ったことは聞けず仕舞いになってしまった。いや、聞かなくて正解かもしれない。もし、賢二郎が私と普通に付き合ってると思っていたら…私に付き合ってないと思われていたなんて知ったらショックだろう。



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