俺が彼女の事を知ったのは、高1の春だった。1人のクラスメイトとして知り合った俺達は、数少ない外部入学者同士だった。かといって、席が近かったわけでも委員会などが同じだったわけでもなかった俺達は、そんなすぐには親しくならなかった。

俺とは違い菫は社交的な方で、1年生の時から生徒会の一員として働き、部活動も積極的に励んでいる上に習い事のピアノの腕はプロ顔負け。その上、成績も良いときたら、高嶺の花と言っても過言ではない。なので、俺は一方的に菫のことをよく見ていた。こんなこと気恥ずかしくて絶対に口には出来ないが、多分尊敬しているのと同時に、密かに憧れていたんだと思う。

そして、高1の夏。席替えで俺の前の席になった菫が、ぽつりと話しかけてきた。

「白布くんって、雨の日でも走ってるんだね」
「……は?」
「あれ、違った?毎朝ランニングしてるでしょう?部員らしき人が周りにいないけど、自主トレの一環?」
「いや、多分違わないけど。なんで、知ってんの?」
「私の家の前を走ってるから。ピアノの音が聞こえてくる日ない?あれ、私の家なの」
「まじかよ」

毎朝走っているコースを思い浮かべる。住宅街に入り込んだとき、偶にピアノの演奏が聞こえてくることがあった。その音色はとても心地よくて、ロードワークの音楽にはもってこいだった。すぐに通り過ぎてしまい聞こえてこなくなるのが勿体なく感じるくらいには、好きだった。それを生みだしているのが、まさかクラスメイトだとは。

「レギュラー狙ってるんだよね?川西くんが言ってた」
「お前、太一と仲良いのかよ」
「親友がね、川西くんと同じクラスなんだよ。同じ吹奏楽部のクラリネット担当の子って言えば分かる?」
「ワリ、分からねー」
「ふふっ、そっか。残念」

耳元に髪をかける仕草が、とても色っぽくて思わず目を逸らしてしまう。

「何かに直向きに努力する人ってかっこ良いよね。だから、私、密かに白布くんのこと尊敬してたんだ」
「なっ……なに、馬鹿みたいなこと言ってんだよ」

握っていたシャーペンを、ポトリと落としてしまう。コロコロと転がっていくそれを拾ってくれた菫は、机の上にやさしく置いた。細く長い、それでいて美しい指先に思わず見惚れてしまう。

「白布くんって、手先に気をつかってるよね?」
「あ、ああ…」
「もしかして、セッター?」
「…なんで、分かんだよ。つーか、バレー興味あんの?」
「従兄がバレー部なんだ。だから、小さい頃に一緒に遊んだりしてたし、見るの大好きだよ。それに、私の出身中学強かったし。…でも、ピアノに本腰入れてからは、ボール触ってないけどね」

何でもお見通しだと言わんばかりのその瞳は、酷く居心地が悪く感じた。だけど、嫌いではないという矛盾した思いもあった。

「応援してるから、頑張って」
「…別に、お前の応援なんてなくてもやる」

素直じゃないね、なんてクスクス笑う彼女のことを、それから更に目で追うようになった。俺と違って何枚も上手なのだから、困ったものだ。俺が彼女に惚れるのは時間の問題だったと思う。

それから、試しに付き合ってみないか?等という、男らしくもない告白をして、1年。お互い多忙なせいで、会って話すのは休み時間と昼休み程度。バレーを優先して欲しいという菫の願いは、とても嬉しかったが、いつだって先を歩く菫の存在が、遠く感じていた。俺の事なんて、なんとも思ってないんだろうなと言うことは一目瞭然だった。

だから、意外だった。ピアノコンクールで金賞を逃したと聞いたとき、なんて声をかけてやれば良いのかと悩むのと同時に、俺の励ましなどいらないと思っていた。彼女が、あんな風になってしまうなど、誰が想像できるだろうか。誰の手も借りず、立ち上がってしまうものだと思っていた。

課題曲を弾く時から、普段とは違うと思っていた。それでも、弾き終えて自由曲に差し掛かったとき、両手を震わせる菫を前にして、自分の不甲斐なさを呪いもした。「おだいじに」なんて当たり障りもないメッセージしか送れなかった。

「あー!川西さんが女子とイチャついてる!!」
「ちょっ、バカ!!イチャついてねーよ!!」

自主練に励んでいると、体育館の入り口付近から五色と太一が騒いでいる声が聞こえてきた。イラつきを隠しもせず、其方を睨み付けると、思いも寄らない人物も立っていて、思わず持っていたボールを落としてしまう。

「……菫?お前、何して」
「あー…賢二郎に会いに来たっぽいよ?」

目線を逸らした太一。必死に何かを弁明しようと口をパクパク動かす菫。何かを約束していた訳ではないので、大方、覗くだけ覗いて帰ろうとしていたのだろう。近寄ると申し訳なさそうに俯く菫。

「お前、なんか変なこと考えてね?」
「か、考えてない…!」
「で、なに?」

首を傾げると、俺の後ろに居た1年たちが態度が素っ気ないとコソコソ言っている。ったく聞こえてるっつの。俺は盛大なため息を吐いて、視線を太一に移した。

「はあ…。おいお前ら、それ片付けて上がれ。…太一、少しの間頼む」
「へーい」

ぐいっと菫の腕を引いて体育館の外に出る。先ほどまで練習していたため、身体が温まっているとは言え、外は酷く寒かった。

「賢二郎…せめて上着か何か…」
「それ取りに行ってる間に、お前帰るだろ」
「………」
「否定しろよ、おい」
「………」

俺が怒っているとでも思っているのか、返答に覇気がない。

「ごめん、顔が見たくなって覗いてただけなの…」

その言葉に目を見開いた。菫が俺に弱音を吐くのは、これがはじめてだった。余程弱っているということなのだろう。

「別に、怒ってねえけど」

そんなこと言わなくても、普段のお前なら分かるだろという言葉は飲み込んだ。

「まあ、強いて言えば、声かけずに帰ろうとしたのが気にくわねー」
「………う、バレてた」

プルプルと震えている両手に自分の両手を重ねてやる。俺より冷たい指先が、じんわりと温かくなっていくのを感じるのと同時に、菫の肩から力が抜けていくのが分かった。

「ごめん、寒いよね。戻っていいよ、私も帰るし」
「…そうかよ。悪いけど送ってやれないからな」
「その、ありがとう。話す時間作ってくれて」
「そんなの当たり前だろ」

むしろ、頼ってくれたことが嬉しかったと言ってやれれば良かった。俺はお前の"彼氏"なんだし心配するのは当たり前だ。だけど、俺に遠慮しているのか、俺のことをそういう対象として見れていないのか、全く甘えてくれない菫。それを俺が言えれば良いのかもしれないが、天の邪鬼な俺は、菫を前にすると上手く取り繕えない。

「なあ、菫」
「……うん」
「俺にだったら、何でもぶつけてくれて良いからな」

大丈夫じゃない奴に大丈夫か?なんて聞けないし、無理したくてしてる訳じゃない奴に無理すんなとも言えない。それなら、せめて。その心が壊れてしまわないように。壊れる前に吐き出せる存在になりたいと思った。少しずつ、この関係を進めて行けたら、お前はまた笑ってくれるだろうか。




20201129

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