あれから顧問の先生に腕を引かれて、なんとか歩いて体育館を後にした。全校集会が終わった後、各々の予定で動くだろう。部活がある人も居れば、放課後友人とどこかに出かけたりする人。そんなどうでも良いことに思考は動いてくれるのに、手の震えは治ってくれなかった。とりあえず、副部長に保健室で休む事を伝えて、今日の部活のことを頼むと、了承の返事が返ってくる。

「…最上さん、大丈夫?」

2時間程、保健室の布団で眠り込んでいると、養護教諭の先生がカーテンの隙間から顔をのぞかせた。時刻は19時を過ぎたところだ。そろそろ帰った方が良い時間帯だろう。

「はい、すみません」

そろり、とベッドから出て、制服の上を羽織る。ぐしゃぐしゃになった髪の毛を手ぐしで整えた。そして、自分を落ち着かせるように、何度か深呼吸を繰り返す。

「親御さんに、お迎えに来て貰いましょうか?」
「いえ、母は今日遅いと言っていたので大丈夫です。…それと、今日のことは内密にしてください」
「………あんまり、無理しないでね」
「はい、ありがとうございます」

友人が持ってきてくれたという鞄を手に取り、保健室を後にする。スマホを確認すると、何人かから心配のメッセージが送られてきていた。その中には、賢二郎からのものもある。流石にもう終わっているだろうとは思ったけれど、1度音楽室へ足を運んだ。

「あっ、菫」
「今日ごめん。どうだった?」
「いつも通り。それより、大丈夫?」

音楽室に残っていたのは副部長の親友だけで、彼女は部誌を纏めてくれているようだった。大丈夫か、という問いに大丈夫だと返せなかったのは、そういうことかもしれない。

「…菫?」
「ごめん、まだ、少し動揺している」
「そっか……。部活辛いなら、しばらく休んでも良いよ?その間、私がなんとかするし」
「、そ、れは…大丈夫。音楽に触れてなかったら、本当に触れられなくなる…」

視界に入り込んだグランドピアノ。先日まで、何事もなく、あれを弾いていたはずなのに。

「白布が心配してたよ。バレー部、遅くまで自主練習してるみたいだから、会っていけば?」
「………」
「菫??」
「……そうだね、うん」
「菫…」

なんとも言えない友人の顔を見るのが辛かった。なんで、こんなことになっているのだろう。自分でも分からないから、余計に。

「とりあえず、今日は帰りなよ。もう部誌書くだけだし、後は私がやっとくからさ」
「うん、ありがとう…」

それだけ言って、ズルズルと足を引きずりながら音楽室を後にする。音楽室から下駄箱まで、そんなに距離はないはずなのに、酷く遠く感じた。負の感情ばかりが沸き起こってきて、どうにかなってしまいそうだった。

体育館の横を通り過ぎようとしたとき、体育館には、まだ灯が灯っていた。毎日遅くまで練習している彼らの努力の音が聞こえてくる。バシンとボールを打つ音も、ポンポンッとボールが地面に落ちて跳ねる音も、どれも心地よく感じた。

そろり、とドアの隙間から中を盗み見る。練習の邪魔はしたくないけれど、なんだか、賢二郎の顔だけ見たい気分だった。目を凝らして見なくても、残って自主練をしている生徒はそんなに多くはなくて、すぐにその姿は見つかる。

壁にボールを当てて、跳ね返ってきたボールを手に収めて再び打ち付ける。その動作は、とても美しくて、思わず見惚れてしまった。反復するように、毎日同じ事を何回もやる。それは、ピアノと同じだ。震える手に視線を落としたとき、

「あれ、最上さん?」

ネットを片付けようとしていた川西くんと目が合う。川西くんは不思議そうに首を傾げた後、私の方へ寄ってきた。

「どうした?賢二郎呼ぼうか?」
「…いや、そういうわけじゃないんだけど、」

今日は、何も約束していない。そんな時に彼女がやってきても迷惑なだけだ。私は、ただの彼女ではなく"お試し"だし…。そんな私を訝しげに見ていた川西くんが、賢二郎を呼ぼうとするので、慌てて止める。

「体育館の電気が点いてたから、顔だけ見ていこうかなと思っただけなの…」
「………いや、普通に話していけば?もう練習終わってるし」
「門限あるから、そんなに、話せないし…顔だけ見れれば、良いので…」
「………」

本当にやめてくれ、と懇願すると川西くんは黙り込んでしまう。じゃあ、私はこれで、と退散しようとしたその時だった。

「あー!川西さんが女子とイチャついてる!!」
「ちょっ、バカ!!イチャついてねーよ!!」

1年生と思われる部員の子が大きな声で、川西くんを咎めた。そんな騒ぎ声を聞いて賢二郎が気づかないわけもなく、

「……菫?お前、何して」
「あー…賢二郎に会いに来たっぽいよ?」

やばいところを見られたと言わんばかりに、川西くんは、大きな声で賢二郎にそう言った。会いに来た、なんて言ってないのに!でも、訂正してくれというのもおかしい。バレー部の中には、私たちが付き合っているということを知っている人もいるだろう。それなのに、賢二郎に会いに来たわけではなく、なぜか川西くんと話すだけ話して帰ったなどと広まれば、修羅場か何かだと思われないだろうか。ネガティブなことを考え出したら止まらないので、俯いていると、ポンと賢二郎の手が私の頭に乗った。

「お前、なんか変なこと考えてね?」
「か、考えてない…!」
「で、なに?」

後ろから白布さん、彼女にも冷たい…なんてヒソヒソ言われてるけど大丈夫だろうか。ちらり、と後ろに視線を向けると目敏く気づかれてしまう。

「はあ…。おいお前ら、それ片付けて上がれ。…太一、少しの間頼む」
「へーい」

ガシッと腕を引かれて、人目のつかないところまで移動する。先ほどまで運動していたとは言え、上に何も羽織らずに来た賢二郎は、物凄く寒そうだ。

「賢二郎…せめて上着か何か…」
「それ取りに行ってる間に、お前帰るだろ」
「………」
「否定しろよ、おい」
「………」

不機嫌そうな様子を隠そうともせず、今度はため息を吐かれた。

「ごめん、顔が見たくなって覗いてただけなの…」

俯いたら、震えている手が視界に入ってしまう。両手を繋げても、それは止まってくれなくて、涙が出てきてしまいそうだ。本当に、何やってんだろう、自分。

「別に、怒ってねえけど」

はっとなって顔を上げると、賢二郎の両手が私の両手を包み込んだ。私よりも熱いその手が、冷えた指先を温めていく。

「まあ、強いて言えば、声かけずに帰ろうとしたのが気にくわねー」
「………う、バレてた」

ふっと小さく笑みを零した賢二郎は、その後、小さく身震いをした。

「ごめん、寒いよね。戻っていいよ、私も帰るし」
「…そうかよ。悪いけど送ってやれないからな」

時刻は20時近い。賢二郎は寮の門限があるので、仕方ないことは分かっている。それに、学校から私の家まで、徒歩15分圏内なので、送って貰わなくても大丈夫だ。

「その、ありがとう。話す時間作ってくれて」
「そんなの当たり前だろ」

"彼氏"なんだから。ぼそりと聞こえてきたその言葉の真意は、結局聞けず仕舞いだ。賢二郎の言うそれは、既にお試しが終わっているのか、そうじゃないのか、私には全く分からない。

「なあ、菫」
「……うん」
「俺にだったら、何でもぶつけてくれて良いからな」

"大丈夫"でも"無理しないで"でもない新しいワードが振ってきて、私は、また泣きたくなった。ありがとうって返すのが精一杯で、こんなに可愛くない彼女でごめんねと、凄く申し訳なくなった。



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