夜が駆け出すよりも早く
気がつくと宿泊予定だった旅館で、布団の上に寝かされていた。ゆっくりと上半身を起こした途端、

「やあ、梓。気がついた?」

五条先生が目の前に現れる。何があったのか、さっぱり分からず、自分が置かれている状況についていけない。

「任務の後、ぶっ倒れたんだよ。覚えてない?」
「あ、」

思いの外、簡単な任務だった。それこそ、私なんて必要なかったんじゃないかと思わせるくらいには。この繁忙期の中、わざわざ、こんなところに来る必要もなかったのではないか。なんて、恨めしく思う。

「誰かに何かを言われた?」
「別に…」
「コラコラ、梓。せっかく甘えることを覚えたのに、また昔に逆戻りしてんじゃないよ」
「……思い出せなくて、」

加茂先輩と何かを話したことまでは、覚えている。その言葉を、多分、信じられなかった。頭の中で1度拒絶して、何かを返そうとしたところで、どうしたかが分からない。過呼吸を起こした訳ではないはず、なのに。

「歌沢のことを聞かれたんじゃないの?」
「そう、です…聞かれたんです…でも、その後、もし、私が…って、あれ?」

やっぱり、分からないと、拳が震えた。そして、キンキンと頭痛がしてくる。

「…これは、参ったねえ」

本当に思ってるのかどうか分からない声音で、五条先生が呟いた。その言葉が、さらに私の胸を締め付ける。

「記憶操作の類か?…梓、記憶が混同したりすることは、はじめて?」
「それは、どうなんですかね?」
「いやいや、僕が質問してるんだけど?」
「勉学に関することなら、きちんと覚えてます」
「そういうことじゃないデショ」

はあー…と珍しく五条先生が頭を抱えている。

「私、"また"記憶喪失ですか?」
「どうかな。同級生の名前は言える?」
「狗巻棘。禪院真希。乙骨憂太。パンダ。」
「そこで棘が1番に出てくんのね」
「そう言うのではないです…」

狗巻くんが1番に浮かんだのは、たまたまだ。そういう変なところに引っかかって、色恋に持っていこうとする思考はどうかと思う。そういう思いも込めて先生を睨みつけた。

「なんでよ、棘、良い奴でしょ?」
「確かに良い人ですけど」

仲間思いで、優しくて。

「僕には負けるけどイケメンだし?」
「それ自分で言います?」

見た目も五条先生よりも、狗巻くんの方が好みだ…って何考えてるんだ、私。

「恋とか愛とか、私には1番よくわからない感情です」
「へえ?」
「……なんですか?」
「別に?素直じゃないなと思ってね」

含み笑いに、カチンと来る。目が隠れて分からないけど、なんでもお見通しだという、この雰囲気が昔から苦手だ。

「ちなみに、梓。1週間眠ってたから」
「…は?」
「あ、一応、硝子には診てもらったよ。どこも異常なし!…まあ、それはそれで気持ち悪いけど」
「…仮にも生徒なんですから、気持ち悪いって言うのはどうなんですか?」
「そこなの?ちなみに、その間、梓のスマホは忙しそうだったよ」

ほれ、と投げつけられたスマホを難なくキャッチすると、同級生からのラインや着信で埋め尽くされている。

「棘からの着信が10件、メッセージが6件。真希からの着信が8件、メッセージが3件。パンダと恵は割愛」
「いや、そこまで言ったなら言ってくださいよ…何数えてるんですか…」
「棘が1番多いのは意外だねえ」
「………もう、さっきから何が言いたいんですか」

私は、仲間たちになんて返そうか、頭を抱えているというのに。スマホの時刻は21時を指している。任務がない人もある人も、まだ起きてはいるだろう。

「まあ、その話は置いといて、」
「置いとくんですか…」
「1年生が増えたよ。2人。男女」
「へえ…」
「反応うっす!」

唯一顔見知りの1年生、伏黒恵くんの顔が思い浮かんだ。同級生のいなかった伏黒くんは、さぞ喜んでいることだろう。いや、喜ぶようなタイプではないか、彼は。

「とりあえず、梓は明日の朝の新幹線で東京に戻っておいで」
「何がとりあえずか分かりませんけど、わかりました」
「何か思い出したり、身体に異常があれば、僕か硝子にすぐ言うこと!いいね?」
「わあ、今日の発言で1番先生ぽかったですよ」
「いや先生だから」

それじゃ、女子の部屋にいつまでもいるわけにはいかないのでって、先生はそそくさと退散していく。私は再び布団に身体を埋めて、スマホをタップした。とりあえず、先生が言っていたのが本当だとして、着信やメッセージが多い順に連絡しよう。まず、狗巻くんに発信したけれど、トゥルルル…と音がずっと響くだけで、残念ながら応答なし。次に、真希ちゃんと思って、発信した途端、

『おい、今まで何してたんだテメェ』

秒で出た。

「すみません…簡単に言うと意識がなかったです…」
『は?』

変な言い訳をしたところで多分信じてもらえないので、任務中に怪我をして意識不明だったと伝える。記憶喪失疑惑はこの際無視だ。はっきりとしたことが分からない以上は、伝えて不安にさせるだけだ。友人の悲しい顔は見たくない。

『ったく…生きてんなら良いけどよ…。悟に聞いても何も教えてくれねーし』

とりあえず、五条先生は殴られたら良いと思った。

『あ、棘には連絡したか?』
「したけど出なかったよ」
『なら風呂か。…つーか、私より先に棘に電話したのかよ』
「それは上から順に…深い意味はないです…」
『ふーん?』

五条先生と言い、真希ちゃんと言い何なのだ。

「任務終わったから、明日には帰るよ」
『そうかよ。土産楽しみにしてるぜ』
「もうー、わかってるよ」
『んじゃ、あんまり長電話してっと、棘に怒られるから、また明日な』
「…うん、おやすみ」

プツン…と電話が切れて、再び部屋の中は静寂に包まれる。狗巻くんにもう一度かけてみようかなと思ったところで、窓の外に視線を移した。夜の暗闇のせいか、若干私の姿がそこに映し出されて、そこにいる私の髪型はかなりグシャグシャだし、1週間も寝ていたと言うことから顔がかなり浮腫んでいる。

「うわ、酷い顔」

自分で言っておいて、傷ついた。急いで、お風呂に入らなければ。真希ちゃんとは通話だったけど、狗巻くんとは通話では済まないと思われる。だって、"ビデオ通話"の約束をしていたのだから。

のぼせてしまっては、元も子もないので、スポーツドリンクをたくさん飲んで、湯には浸からず、シャワーだけを浴びた。せっかくの温泉なのに勿体ないとか思ってはいけない。

髪を乾かしながらスマホを確認しても狗巻くんから連絡は来てなくて。それがすごく寂しく感じたのと同時に、もしかして、連絡をしなかったから怒ってるんじゃないかと不安になった。真希ちゃんの口ぶりから任務という訳ではなさそうだったし。ようやく髪を乾かし終えて項垂れる。

一応、パンダくんと伏黒くんにはラインを入れておいた。そして、狗巻くんにも、連絡できなくてごめんね、と一言メッセージを送る。そこまでして、ようやっと肩の力が抜けたけれど、かなり眠っていたせいか、目が冴えてしまっていた。仕方がないので、反転術式の勉強をすることにしよう。旅館のテーブルは広いので、勉強がしやすい。医学者、薬学書、人体の解剖図などを広げて1人集中していると、

RRRRR………

「わあっ!!!?」

静かな部屋に着信音が急に鳴り響いた。スマホ画面を確認すると"狗巻くん"からで、やはり、予想していた通り、ビデオ通話だった。ドキドキしながら、1度深呼吸をする。そして、手櫛で髪を整えて、なぜか正座をした後、画面をタップした。

『明太子!!』

第一声は、やはり私の身を案じるもので。画面上に映る狗巻くんは、あまり見慣れない格好をしていた。私服かな?かっこいいな…なんて場違いなことを思う。

「ごめん…連絡できなくて…ごめんね…」
『おかか、こんぶ』

__いいよ、無事で良かった。

私は真希ちゃんにしたような内容を狗巻くんにも伝える。任務中に怪我して1週間意識を失ってました、と。

『ツナ、すじこ、いくら?』

__そうなんだ。怪我は良くなった?今は辛くない?

「うん…明日には、そっちに帰れるよ」
『しゃけ。…高菜?』
「!、なんで…」

__分かった。…なんかあった?

真希ちゃんにも気づかれなかったのに。動揺が隠し切れなくて、否定が出来なかった。これでは、何かあったと言っているようなものではないか。

『ツナマヨ、しゃけ』
「出たツナマヨ…うーん…」

画面上で顔もみれるとは言え、やはり会って話すのと、電波越しとじゃ、何か違う。ちなみにツナマヨに含まれる言動は、私が今までで理解できなかったことの多い言葉だったりする。

『ククッ…いくら。しらす』
「ええっ!!?」

ニヤリと揶揄うように笑った後、狗巻くんは、はじめてその具を口にした。

「…いじわるしないでよ、何て言ってるの?」
『高菜?』

__なんだろうね?

「もう!狗巻くん!!」
『お・か・か』
「い・や・だ!じゃないの!もう!…ふふっ」

怒ってるんじゃないかと身構えてきたのが馬鹿みたいだ。ケラケラと笑う狗巻くんに釣られて、私も笑みが溢れた。

『明太子、しゃけしゃけ』

__やっと笑った。そうやって笑ってて。

かああ…と顔が熱くなる。恥ずかしくなって両手で顔を隠すと、抗議の声が上がった。

「今のは分かった…ありがとう、狗巻くん…」
『しゃけ』
「は、やく…会いたい、な…」
『しゃ、け』

安心したら、なんだか瞼が重くなってきた。あれだけ寝たというのに、まだ、休めるみたいだ。

『こんぶ、すじこ』
「う、ん…布団行く…」

6月はまだ、肌寒い。這うようにして布団に潜り込んだ。なかなかの醜態を晒している気がしなくもないけれど、今日だけは許して欲しい。そして、どうか嫌わないでほしい。

「ぜんぜん…ねむくなかったのに…いぬまきくんのこえ、きいたら…あんしんしちゃった…」
『いくら?明太子』
「ありがとう…明日会えるといいな、」
『ツナマヨ』
「うん、おやすみ」












20201115
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