ご飯とお味噌汁と焼き魚。お漬物もついていて、立派な定食セットだ。 ほくほくと湯気が上がっていて、いい匂いがする。少し重たいそれを持っている姿が危なげだったのか、ジンくんがそっと隣に寄り添ってくれた。 「途中まで一緒に行く」 「そんな、いいよー、大丈夫!ひとりで運べるもん」 「…名前、そこの曲がり角は右じゃなくて左だ」 「うっ」 「…一緒に行く」 「お願いします」 全く直る気配の無い自分の方向音痴に嫌気がさしつつも、ジンくんの案内通りに付いていく。 もしかしてこれは帰り道もジンくんが一緒じゃないと自分の部屋に辿りつけないんじゃないだろうか、と不安になる。 うっかり表情に出てしまっていたのか、帰りも待ってる、と少し柔らかめの表情で言ってくれた。 ジンくんは過保護というか、優しすぎるところがあると思う。それについつい甘えてしまうのもいけないのだが。 目的地の部屋の前までたどり着く。そんなに時間は経っていないので、お盆の上のご飯たちはまだ暖かかった。よかった。 両手が塞がっている名前の代わりに、ジンくんはノックをして、ドアを開けてくれた。部屋の中に足を踏み入れる。 そのままジンくんはドアを閉め、扉の向こうへ消えた。扉の前にはまだ気配がある、ということは、さっきの言葉通り待っててくれるのだろう。 早めに用事を済ませなければ。部屋の住人の元へ食事を届けるべく、足を進める。 「おはようございますー、ご飯持ってきました!」 「君は…」 「先日ぶりですね、山野博士」 屋敷の中で迷子になっていた時に山野博士に出会った後、なぜ海道邸に博士が居たのかジンくんも義光さまも教えてくれなかった。 散々考え抜いて、理由はわからないけどあの山野博士がこんなに身近にいるんだから、貴重な話を聞けるチャンスじゃないのか。とポジティブに受け止めることにした。 その結果、山野博士にご飯を運ぶ係に立候補してみたらあっさり許可され、今に至る。ジンくんが一緒に入ってこなかったのは、名前と山野博士の会話を邪魔しないためだろう。細かいところまで気がきくなぁと感心してしまう。 「今日の朝御飯は、焼き鮭ですよー、私も食べたんですけど、すっごく美味しかったです!」 「そうか、ありがとう…今日から君が食事係になったのかな?」 「はい、そうですっ!山野博士と是非お話してみたくて、食事係に立候補してみました」 「はは…、わたしと話しても面白いことなんて無いさ」 「そんなことないですよー、山野博士と言ったらLBX研究者にとっては憧れの存在なんですから!」 「そういえば…君は、その歳でLBXの研究者なのかい?」 「あ、一応そうです!まだまだおままごとに近いんですけど…でも、父の意思を受け継いて行きたくて」 「父の…?君は海道家の子じゃないのかい?」 「違いますよー、私はただの居候です。…そういえば、自己紹介まだでしたね、私、苗字名前です」 「苗字…もしかして、苗字夫妻の娘さんかい?」 山野博士が両親のことを知っていたことに驚いた。 何故知っているのか聞いてみたら、学会で何度か会話したことがあるそうだ。 とても研究熱心で、すばらしい学者だったね、と山野博士が言ってくれた。それだけで、涙が出そうだった。 両親は、もうこの世にはいないから。 9年前のトキオブリッジ倒壊事故。あの現場に、名前の家族は居た。運悪く、家族全員が車に乗って移動している最中だった。 その時のことはよく覚えてはいないけれど、熱くて、周囲はひたすら赤くて、おそらく名前のことを抱きしめて守ってくれたであろう母親の体温がどんどん冷たくなっていったことは記憶に残っている。 目が覚めた時には病院のベッドの上で、運がいいのか悪いのか、苗字家の生き残りは名前だけであった。 入院の手配をしてくれたのは義光さまで、謝罪もしてくれた。当時は何がどうなっているのかよくわからなくて、これからどうしたらいいのかすら見えなくて、不安に包まれていた。 そんな中、手を差し伸べてくれたのも義光さまだったのだ。君さえよければ、私の家族にならないか。優しく微笑んで、そう言ってくれた。 けれども名前はそれを受け入れず、苗字の姓のままでいることを望んだ。父が研究していたことを、引き継いでいきたい。偉大な科学者になって、苗字の名前を残したい。 当時4歳だった少女がそんなことを言うのを想像してみたら、正直気持ち悪いという感想しか出てこないのだが。義光さまは、その言葉に胸打たれ、名前が研究者として成長していけるように環境を用意してくれたのだ。 「…だから、義光さまは私にとって恩人なんです」 暮らす場所として、お屋敷の一室も提供してくれた。学校にも通わせてくれた。家族でもなんでもない名前に、たくさんの優しさをくれたのだ。 退院してからずっとお屋敷で一緒に暮らしてきたジンくんも、それは同じ。血は繋がっていないし、居候という身分ではあるけれど、まるで本当の家族のような、とても大事な存在。だから、彼らのためにできることは全力でしたい。LBXの調整であったり、強化実験であったり、たくさんのことを。 「なんか、私ばっかり話しちゃいましたね」 「…君はよく頑張ったね」 照れ隠しに笑うと、山野博士はそっと頭を撫でてくれた。少し角張った大きな手が、まるで父みたいで、懐かしく感じた。 「わたしにも、ちょうど君くらいの子どもが居てね」 「へぇー、そうなんですか…!」 「君を見てると、なんだか息子を思い出すよ」 そう呟いた山野博士は、名前を通して別の誰かを、…きっと息子さんを見ているようだった。 お互いに生きていて、会えることができるのであれば、たくさん会って、たくさん思い出を作って欲しい。 けれども、ここにいる限りそれはできないだろう。義光さまが何を思って山野博士をここに駐在させているのかはわからない。 「…はやく、息子さんに会えるといいですね」 名前にできるのは、ただ慰めにしかならない言葉を吐き出すだけだった。 あまりにも無力な自分が、歯がゆい。山野博士の力になれればよかったのに。 山野博士は2,3回名前の頭を撫でた後、ドアの前まで連れてきた。待っている人がいるなら、はやく行ったほうがいい。そう言って。 「ご飯食べ終わったら、食器取りに来ますね」 「あぁ、お願いするよ」 「…また、お話してもいいですか」 「わたしなんかでよかったら」 優しく微笑んでくれる山野博士の顔が、今はもう思い出せない父の顔と重なって見えた気がした。 20110715 | |