海道邸は、とてつもなく広い。
まるで要塞なんじゃないのか、と言われるくらいに広い。
そんなに広くて、住んでいる人間は迷ったりしないのだろうか。
否、迷うと思う。現に住みこんでもう何年も経つのに、迷っている人がいるのだから。

「うわーい…迷子なう…」

おかしい。確かに日頃部屋に引きこもりがちであまり屋敷の中をうろつかない名前ではあるが、かと言ってちょっと資料を探しに書庫まで来たその帰り道に迷うなどということがあり得るのだろうか。
実際起こっていることなので否定はできないのだが。
自らの方向音痴っぷりに若干嫌気が差しつつも、立ち往生してしまっては意味が無いのでとにかく歩くしかなかった。
あちこち歩いているうちに、自分の部屋の場所はおろか、今ここがどこでどの辺なのか、さっぱり把握できなくなる。
歩き回ってのは失敗だったかもしれない。本格的に迷子だ。自分が暮らしているお屋敷で迷子になるなんて、情けない。はぁ、と落ち込んでいると、前方に人影を見つけた。
もしかしたら、使用人さんがいるのかもしれない。だったら、一度玄関まで連れて行ってもらえば、自分の部屋に戻れるかも…と淡い期待を抱いて、その人影を追う。

「あのっ…!」

人影に追いつき、名前が話しかけた瞬間、その人は警戒の色を強くした。
メガネをかけた、白衣の人。たぶん、使用人さんでは無い。どちらかと言えば、研究者、と言ったほうがしっくりくる。そんな姿をしていた。
よくお屋敷には義光さまの所へ研究結果を報告しに来る人がいるので、居ること自体は珍しいことではない。
けれども、こんなお屋敷の奥の方まで入り込む人はそうそう居ない。それに加えて、名前が声をかけた後のあからさまな警戒心。
目の前の人物と、名前。どちらも動きが固まって、にらみ合いのような状態が続いた。こんなことがしたくて声をかけたわけじゃないのにな、と後悔をする。
悩んでいても仕方がない。ここは思い切って、さらに声をかけてみよう。

「もしかして、あなたも迷子ですか」

は、と拍子抜けした声が聞こえたような気がしたのは、間違いではないだろう。

***

「君は、ここで暮らしているのかい」

名前が迷子か、と問いかけた後、研究者の人もそうだ、と答えた。
研究者の人にも部屋が用意されていて、そこからお手洗いへと行った帰り道にうっかり道を間違えてしまい、奥の方まで迷い込んだそうだ。
研究者の問いに名前は首を縦に振り、ため息をつく。

「実際に暮らしている人も迷うくらいなんだから、ここは相当広いんだろうなぁ」
「うっ…ま、まぁそうですね…!…義光さまやジンくんだったらたぶん迷わないと思うんですけど」
「ははっ」
「笑わないでください!方向音痴なのは自覚してます!」

先ほどまでの空気とは打って変わって、なごみ始めた空気は居心地の良いものであった。
研究者は笑顔で話しかけてくれて、まるで父親のような、そんな感じがした。
その顔に、どこか見覚えがあって仕方がないのだが、どこで見たのだかいまいち思い出せなくてもどかしい。
これがLBXであったのなら、すぐさま思い出せるのに。
こうなったら、直接聞いてみるしかないのだろうか。

「…あの、」

意を決して口を開いた直後、CCMの着信音が響き渡る。出鼻を挫かれたようで若干ぐったりしつつも、CCMを取り出すと、電話のようだった。
すみません、と研究者に一言断ってから電話に出る。スピーカーの向こうからは、聞き慣れた声が響いてきた。

『名前、今どこに居る』
「わー!ジンくん!天の助け!」
『もしかしなくても、迷子か』
「…はい、そうですね」
『そこで動かずに待っていてくれ』

若干呆れた声で言われたけれども、ジンくんが迎えに来てくれる。
おそらくはCCMの電波を探してポイントを絞り込むのだろう。よかった、これで迷子から脱出できる。
迎えが来るので、なんとかなりそうですよ、と言うと、研究者は複雑そうな顔をして曖昧に微笑んだ。

「そういえばさっき、何かを言いかけてなかったかい」
「あ!…えっと、どこかで、お会いしたことありませんか?」
「…さぁ、初対面だと思ったが」
「でも、あなたのこと、どこかで見たことあるんですよね…」
「それは…」
「知ってて当然だよ」

さっきまでスピーカー越しに聞いていた声が後ろから聞こえてきたことに驚く。
慌てて振り返ると、そこにはジンくんが立っていた。思っていたよりも早い到着にも驚いたが、それよりもジンくんが当然、と言ったことの方に驚いた。

「…山野博士。あまり出歩かれては困ります」
「すまない。ちょっとトイレに行った帰りに迷子になってね。このお嬢さんと一緒に彷徨っていたんだ」
「トイレの前に居た見張りの目を盗んで、ですか?」
「この屋敷は広いからね、私のような小さな人間を見失ってしまうこともあるさ」

なにやら重たい空気がジンくんと研究者の間に流れている。
ちょっと待て。
今さっき、ジンくんは何と言った。研究者のことを、山野博士、と。そう呼んでいた。

「ええええ、待って、山野博士ってあの山野淳一郎博士のこと!?」
「いやぁ、私はそんなに驚かれるような人間ではないさ」
「驚きますって驚きますよ驚くんです!!」

LBX研究者であれば名前を知らない者は居ないと言われる程有名な、山野博士。
顔を見た覚えがあって当然だ、いろんな研究書に顔写真がたくさん載っている。どうして今まで思い出せなかったのか。
5年前に飛行機事故で亡くなったと聞いていたのに、まさかこんなところで出会えるなんて。いや、おかしい。山野博士が亡くなったというのは、ニュースにもなっていたし、当時の新聞にも載っていた。ということは、今、目の前に居るのは…

「名前」

思考がぐるぐると回り始めたところで、ジンくんは名前の手を引いて歩き始めた。
山野博士の方を見ると、いつの間に現れたのか、黒服のSPの人たちが両側に立ち、名前たちとは反対方向へゆっくりと進んでいく。
せっかく山野博士に会えたのだから、聞きたいこと、話したいことがたくさんあったのに。未練がましくそちらの方向を眺めてしまった。

「ジンくん…、どうして」
「知らなくていい。名前は…、知らなくていいことなんだ」

それ以上は聞かないでくれ、と言われてしまえば、どうすることもできない。
ただ自分の中に残された、ぐるぐると、もやもやとした気持ちを抱えたまま、自室へ戻るしかなかった。

20110710

海道邸に爆薬仕掛けたのはたぶんこの時くらいなんじゃないかと

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