結城さんとの約束の時間に、TO社を訪れてみたら、何やら緊急の用件が入っただとかで、しばらくここで待っているようにと応接室へ案内された。 周囲が大人ばかり、という環境には慣れてしまった。学会に参加する度に、好奇の視線を向けられることも。 最初の頃は肩身の狭い思いをしていたけれど、義光さまのためだから、と自分を納得させることで段々なんとも思わなくなっていった。 あと、たぶん、ジンくんの存在にだいぶ救われていたのだと思う。 大人たちがたくさんいる中で、同年代なのはジンくんだけだったから。 研究の話をしても通じることは無かったけれど、いつも傍に居て微笑んでくれた。 大人たちは汚いから、あの手この手で名前の研究の邪魔をするか、変に取り入ってきて義光さまに名前を売ろうとする。 変な隙を見せることはできないから、常に気を張り詰めていなければならなかった。 でも、ジンくんの前でだけはそんなことをしなくて済んだのだ。ただの、普通の女の子でいることができた。 ジンくんは、特別。大切で、大事な、ずっと隣に居て欲しい人。 そう思っていたのは名前だけだったのだろうか。あんなにも簡単に、ジンくんは拒絶の言葉を口にしたのだから。 義光さまに命令されたから、仲良くしてくれていただけだったのかもしれない。 膝の上に置いた握りこぶしを、更にぎゅっと硬く握り締める。爪が手のひらに食い込んで少し痛かったけれど、そのお陰で思考を切り替えられそうだ。 今、これから会う人も大人なのだから、気を許してはいけない。 壁に掛かっている時計に目をやると、もう30分は経過していた。あと、どれくらい待つのだろうか。 せっかく入れた気合も、また少しずつ薄れていく。ぼんやりと考えることは、やっぱりジンくんのことで。 ジンくんが、もう二度と名前に関わってくれなくなったら、普通の女の子の名前はどこへ行くのだろう。 ずっと気を張り詰めたままの、研究者の苗字名前として生きなければならないのだろうか。 「…顔洗ってこよう」 いまいちスッキリしない気分をリセットするため、お手洗いへ向かうことにした。 確か出てすぐの廊下をまっすぐ進めばいい、と最初に案内された時に言われた気がする。 *** お手洗いから戻ってくると、なんだか社内がやけにざわざわしているような気がした。 バタバタと走り回る人の姿も見える。何かあったのだろうか。 「苗字さん、こんなところに居たんですか!」 「すみません、化粧室に行っていました」 廊下の向こうから慌てた様子で、最初に案内してくれた社員の方が走ってきた。 その人曰く。リニアモーターカーが暴走していて、TO社目掛けて最高速度でやってきている、とのことだった。 「避難指示が出ていますから、苗字さんもすぐに外に向かってください!」 「わかりました」 「外までご案内したいところなのですが、私は他のフロアにいる社員にも伝達しなければならないので失礼します」 「いいえ、お気遣いありがとうございます」 ものすごい勢いで去っていく社員さんの後ろ姿を見つめながら、そのことを後悔した。 出口までの道のりを、果たして覚えているだろうか。 とにかく、エレベーターを探さなければならない。下の階に降りることができれば、どうにかなるのだから。 もし、間に合わなくて。このままリニアに巻き込まれて、死ぬことになってしまったら。 ジンくんは、悲しんでくれるだろうか。 足を進めながらも、頭に浮かんでくるのはジンくんのことばかりで。 拗ねた顔、怒った顔、笑った顔、いろんな表情が浮かんでは消えていく。 もう二度と、ジンくんに逢えなくなったら。 「バカだなぁ、わたし…」 今になって、そんなこと考えるなんて。 とにかく今は、はやくここから脱出をして。 そうしたら、ジンくんに無理矢理にでも会って、隣に居て欲しいと、そう言おう。 エレベーターは見つからなかったけれど、階段を見つけることができた。方向音痴な自分にしては中々早い方だと思うけれど、時計を見ると結構な時間が経っていた。 大丈夫かな、と不安になりつつも、とにかくTO社から出ることだけを考える。 走り続けて、息が苦しい。エントランスの方へやってくると、何やら先程とは違ったざわめきが聞こえた。 もしかして、リニアが止まったのだろうか。足を止めて、息を整える。 「…名前!」 ずっと、ずっと聞きたかった声が耳に聞こえてくる。 幻聴ではないだろうか。白昼夢ではないだろうか。確かめることが怖くて、ゆっくりと振り返る。 そこには、はっきりとした実体を持ったジンくんの姿があって。どうして、今ここに居るのかわからなかった。 呆然と立ち尽くしていると、ジンくんは足早にこちらへ近づいてきて、名前を抱き寄せた。 「ジ、ジンくん…!?どうしたの…、ちょっと、苦しいよ…」 「名前が、…名前が無事で、良かった…」 「ジンくん…」 ジンくんが、自分の心配をしてくれた。完全に拒絶したわけでは無かったのだ。 久々に触れるジンくんの温もりに、優しさに、思わず涙が溢れそうになる。 ジンくんの表情をもっと見たくて、確認したくて、顔を上げる。 ああ、ジンくんだ。やっぱり、ジンくんの傍は落ち着く。もう、離れたくないと、心からそう思った。 *** TO社からの帰り道、ジンくんは戦闘機は使わずに歩いて帰ろうと言ってくれた。 戦闘機での移動が苦手な名前を気遣ってくれたのだろう。 名前の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるジンくんのささやかな気遣いが、胸に染みた。 歩きながら、今までの話をジンくんに聞く。名前に関わるな、と言ったのは危険から遠ざけたかったこと。 灰原ユウヤへの非人道的な実験のこと。人類の希望と絶望が詰まった、プラチナカプセルのこと。 「僕は、おじい様を止めたい。これからは、自分の意思で行動しようと思う」 「…ジンくんがそうするんだったら、止める理由は無いよ」 「名前は…、それでも、僕の隣に居てくれるか?」 「…居ても、いいの?」 「名前さえよければ、…おじい様の意思に反する行動になってしまうけれど…でも、できれば名前には僕の隣に居て欲しいと思う」 今まで、義光さまのためにと思っていろんなことをしてきたけれど。 自分が感じた疑問、ジンくんが調べたこと、そして今日のTO社へのリニア暴走の件。 様々なことを照らし合わせ、自分の、名前の考えを導き出す。 「みんなが笑顔で、幸せな世界にするためには…、義光さまの手段は、ちょっと違うと思う。…だから、私もジンくんと一緒に行くよ」 「名前…」 考えごとの所為で、名前の足は止まっていた。 それに気がついたジンくんは数歩先で待っていてくれている。 その距離を縮めるように、勢い良くジンくんに飛びついた。名前の行動に、ジンくんは困惑しているようだったけれど。 先程、ジンくんだって急に名前を抱きしめたのだから、おあいこだと思う。 「私、またジンくんの隣に居て、いいんだよね?ジンくんのLBXに関わって、いいんだよね?」 「ああ…、もちろん」 「良かった、今まで通りだよね!」 「……ああ」 その時は、またジンくんの隣にいられるということがただひたすら嬉しかったから気がつくことができなかった。 ジンくんの、微妙な表情の変化に。ジンくんと名前の間にある、感情の変化の違いに。 20110909 | |