お風呂上りでまだ温かい身体をバスタオルで拭いて、寝間着に着替える。 さっきまではひどい眠気に襲われていたのに、湯船に浸かっているうちに吹き飛んでしまったらしい。 このまま部屋に戻ってもいいのだが、また研究を始めて油まみれになったりしたらお風呂に入った意味が無い。 となると、やはり考えられることはひとつだけで。 広い海道邸の中で唯一迷わずに進むことのできる廊下を歩く足の速度が少しばかり早くなった。 「ジンくーん、おじゃましまーす」 「…名前か」 ノックとともにドアを開ければ、ちょうど読書が終わった様子のジンくんが居た。 話し相手になってもらおうと思っていたのでちょうどいい。 「…名前」 「ん、何?」 手招きをされたので、それに導かれるままにジンくんの隣に行くと、肩に掛けていたタオルで頭をぐちゃぐちゃとかき回された。 突然のことにびっくりしていると、「そのままだと風邪を引く」とソファに座らされ、いつの間にか用意されていたトリートメントを髪に塗られ、丁寧にタオルドライされた後にドライヤーの温風が当てられるのを感じた。 別にひとりでもできるのだけれど、ついついジンくんに甘えてしまう。髪の毛の間をジンくんの指がすり抜けていく間隔は優しくて、気持ちいい。 「今日は随分と機嫌がいいんだね」 「え?そうかな」 「今、鼻歌を歌っていたよ」 無意識のうちに嬉しさが溢れ出してしまったのだろうか。 今、こうしてジンくんとのんびり過ごす時間はもちろん、先日ちょっとしたことで行けなくなってしまったお気に入りの喫茶店にまた行くことができるようになったのだ。ここのところ嬉しいこと続きで、いつか反動がくるのではないかと怯えるほど、幸せだ。 「ね、ジンくん」 「何だい」 「明日、アルテミスだね」 「…ああ」 「エンペラーM2の活躍を思うと、今から胸がドキドキして眠れないよ」 「名前の期待に応えるべく頑張らないといけないな」 「ジンくんならだいじょーぶ!」 何気ない会話をして、お互いに笑いあう幸せ。ジンくんの優しさに触れる幸せ。 この幸せが、いつまでも続けばいいと思う。 けれど、どんな物事にも終わりが来ることを知っている。いや、知ってしまった。 9年前のあの日に、名前の幸せは一度終わりを告げている。その時のことは断片的にしか覚えてはいないが、心の奥深くにしっかりと根付いているのだ。 今存在しているジンくんとの擬似的な家族愛だって、いつか終わりがやってきてもおかしくない。 本当の家族だったらよかったのに。血の繋がりという、切っても切ることのない確固たるものがあれば、安心できたかもしれない。 名前とジンくんはどこまで行っても他人という平行線でしかなくて、ジンくんに拒絶されてしまえばそれでおしまいなのだ。 だから。 だから、甘えていられるうちに、ぐずぐずに溶けるくらい存分に甘えて、充分に満たしておく。 ずっとジンくんの隣に居たいけれど、妹のように甘やかされたいけれど、それは許されることなのだろうか。ふいに襲ってくる不安を誤魔化すように、後ろに居るジンくんに体重を預ける。 自然と、ジンくんは名前の身体を抱きしめるかたちになって、ぬくもりが布越しに伝わる。 「…また少し痩せたか?」 「えー、今週はちゃんとご飯食べたんだけどなぁ」 「睡眠は?」 「…あんまり」 「背が縮むぞ」 「それは嫌だー!」 「じゃぁ、ちゃんと寝ないと」 「眠くないんだもんー…」 唇を尖らせて反論すると、ジンくんはやれやれ、と言った様子でため息をつく。そのまま名前を抱え上げ、ベッドへと歩みを運んだ。急なことに抵抗もできず、ベッドに押し込まれ、毛布をかけられる。 「一緒に寝てくれるの?」 「こうでもしないと名前は寝ないからね」 ほんのり冷たいベッドの中で、ふたりぶんの体温がじわじわと温かい。 幼子をあやすように頭を撫でられ、一定のリズムで肩を叩かれる。さっきまではほんの少しも無かったはずの眠気が、徐々に現れてきて、瞼がだんだん重くなる。 ゆるやかな時間が流れているこの部屋の中に、いつまでも居たいと、そう思った。 20110727 | |