氷帝学園の中にある設備はそこらの学校に比べたら充実していると思う。
そりゃあちょっとお高い学費を払っているわけだから、それなりの施設が整っていないと割に合わない。
生徒の殆どは上級階級やら、裕福な家庭な子が多いからそこまで気にしないみたいだけれど。
家柄とか関係なしに、立地条件やら、進学サポートや海外留学等のカリキュラムに惹かれて入学を決める名前のような生徒もいる。
学食だとか、部活動の為の施設だとか、そういったものも重要だけど、個人的には蔵書数の多い図書館や快適な自習室の方がありがたかった。
最も、さすが氷帝、学習面のサポートも完璧だったから不満なんて何一つないのだけど。
いや、ひとつだけあるかもしれない。

どこぞのオシャレなカフェのような内装だけれど、ここはれっきとした校内だ。
中にいるのは氷帝の制服を着た少年少女ばかり。
各々が手にしている飲み物やデザートはとても学食とは思えないほど立派なもので、お値段も結構する。
勉強疲れには甘いものだと意気揚々学食にやってきたはいいものの、メニュー表とにらめっこをしたまま5分くらいは経過した。
お財布の中身を薄目で確認する。ここで奮発してもいいのだけど、そうしたら来週発売する好きなアーティストのCDが買えなくなってしまう。
別に発売日に必ず買わなくてはならないという決まりはどこにもないし、次のおこづかい日まで待てばいいのだけど。
そう、氷帝学園にただひとつ文句があるとすれば。
学食のメニューの値段だ。
メインの食事はお手軽価格なものもあるのでそこまで困らないのだけど、デザートとなると一般家庭に生まれた中学生にはちょっと手が届きにくいお値段になる。
平気でほいほい買っていくクラスメイトの姿を見た時にはぎょっとした。
お金がないなら諦めればいい話なのだけど、さすが氷帝と言うべきか、ヘタなデパートの地下にあるスイーツよりも質が良い。
ほっぺたが落ちそう、という言葉がまさにぴったりだ。
一度その味を覚えてしまったら、駅前のコージーコーナーや不二家では我慢できないくらいに学食のデザートが恋しくなる。
ぎゅっとお財布を握りしめて、何を食べるか狙いを定める。
勉強で糖分をエネルギーに換えてしまったから、これは補給なのだ。必要行為なのだ。
カウンターの前に行き、お姉さんに注文する。にこやかな笑顔で応対してくれた。
そういえばこの学食の店員は外部委託していると聞いたことがあるけれど、中には高等部や大学部の生徒がアルバイトしている場合もあるらしい。
アルバイトは社会経験にもなるから、高校生になったら一度はしておけと両親に言われたことを思い出した。
こういうところでアルバイトをすれば、余ったケーキなどが貰えたりするのだろうか。
ついつい邪な考えが浮かんでしまった。
頭を左右に振って変な考えを外に追い出す。しばらくしてから、トレーに載せられた可愛らしいスイーツが目の前に現れた。

焼きたてのワッフルの上にバニラとチョコのアイスが乗っていて、さらにチョコレートソースとキャラメルソースがかけられている。ちょこんと乗ったミントの葉っぱがアクセントになっていて、とにかくおいしそうだった。
空いていた席に腰掛け、アイスが溶けないうちにと慌てて携帯を取り出し写真を撮る。
パシャリというシャッター音の後に、ちょっとピンぼけしてしまったけれどおいしそうなワッフルが画面に収まった。
思わずにやついてしまう。いただきます、と両手を併せて、ワッフルとアイスを頬張った。
すごくおいしい。どうおいしいのかうまく説明できないけれど、とにかくおいしい。
自分の語彙力の無さにちょっと情けなくなるけれど、でもそんなのどうでもいいくらいにおいしい。
甘いものを食べているときはどうしてこんなに幸せになれるのだろうか。
嗚呼、氷帝学園に入学してよかった。勉強より何より食い気か、と呆れられるかもしれないけれど。
食欲は人間の三大欲求に含まれる程大事なものだ。
勢いよく食べ過ぎたかもしれない。目の前の皿の上にあったワッフルは、残り3分の1程になっていた。
我ながら数分の間によくここまで食べたなと思う。

「おい」

急に横から声をかけられて思わず肩が跳ねた。
名前が席についた時に隣は確か空席だったはずだ。ひとつ空けて隣の席には、誰か座っていたかもしれないけれど。
口元を軽くナプキンで抑えながらおそるおそる声のした方向へ振り向くと、そこに居たのは確かクラスメイトだったはずの男子だった。
日吉、だったか。テニス部の準レギュラーになったとか、そんな話を友人がしていた気がする。
あまり運動部事情に詳しくはないけれど、氷帝のテニス部がものすごい部員数ということくらいは知っている。その中で他の3年を差し置いて準レギュラーになるのだから、余程すごい人なのだな、とは思っていた。
さて、そんな日吉が何故話しかけてきたのだろうか。
同じクラスで、出席番号が近いから、自然と席が近かったり、班分けで一緒になることはあったけれど、その時ですら全く話したことはない。
朝の挨拶やノート集めの時に声を掛けたことはあったかもしれないけれど、他に接点は無かった、と思う。
疑問符を浮かべたままの名前を無視して、日吉はさらに話しかけた。

「さっき、写真を撮っていただろう」
「え?あ、あぁ…うん」
「あれは、どうしてだ」
「は」
「だから、写真。どうして、撮ったんだ」
「どうして、と言われても…」

そんなこと、真面目に考えたことなんて無かった。
食べ物の写真は確かによく撮るけれど、食べ物以外だって撮る。
友人と一緒に映画を見に行った時だとか、可愛い小物を買った時だとか。
なかなか答えない名前に業を煮やしたのか、日吉は若干イラついているような声色で続けた。

「さっきまで俺の隣に座っていた女も、お前も、食べる前に携帯で写真を撮っていた」
「え、あ、そうなんだ」
「それは、何故だ?そういう決まり事でもあるのか」
「別に、そういうわけじゃないと思うけど…」
「じゃあ何だ」

日吉若という人物は、こんなに話す人物だっただろうか。
名前の知る限りでは、教室では余りしゃべらず、自分の席で静かに読書をしているような人だったと思う。
いつもブックカバーをしていて、その柄が和風でいい味を出していた。柄の名前は何というのかわからなかったけれど。
昼休みや放課後は違うクラスの、確かテニス部所属なはずの鳳くん、樺地くんと一緒に練習だかミーティングだかに行ってしまうので、授業の合間の休み時間でしか彼のことを知らないから、名前の知らない一面があってもおかしくない。
今目の前で腕を組んでいる日吉の姿は若干苛ついているようで、どこか新鮮に見えた。
そういえば今日はテニス部の練習に参加しなくていいのだろうか。そもそも、日吉がこんなにぎやかな交友棟にいるのは珍しい気がする。どちらかと言えば、静けさを好むタイプと認識していたから。

「おい、聞いているのか」
「え、あ、ごめん」

日吉の指先がトントン、と一定のリズムで動いている。
これはもう、見るからに苛ついている。
早く答えなければと思う反面、果たして彼の求める答えを出せるのかどうかという不安もある。
いや、落ち着いて考えよう。これは国語のテストではないのだ。
答えはひとつと決まっているわけではない。あくまで、自分はこうであると一例を示せば良いのだろう。

「えっと、あくまで私の場合は、なんだけど」
「前置きはいいから早く答えろ」
「はい、ええと…思い出を残すため、かなぁ」
「思い出…?」
「うん、例えば、食べ物の写真は、これがすごくおいしかったーっていう思い出を残しておきたいから撮るし、可愛い小物買ったら、何日に買ったんだよーって記録しておきたいし…」
「…そうか」

名前の答えに納得したのかどうかは読みとれなかったけれど、一定のリズムを刻んでいた指先の動きは静止した。
細くて切れ長の目をさらに細めて、何かを考えているようだった。
日吉の質問の答えを探すのにいっぱいいっぱいで気がつけなかったけれど、彼の座る席には使い捨てのカメラがひとつ、ちょこんと置いてあった。
日吉の私物だろうか。さらに疑問符が頭に浮かんでくる。

「ねぇ、今度は私が質問していい?」
「…構わない」

断られると思ったら、あっさりと許可された。
てっきり聞きたいことだけ聞いたら後はオサラバされるのではないかと思っていたのだけど。
そこまで冷たい人間、というわけでもなさそうだ。
生徒会長の跡部先輩だったらそんなことアッサリ、やって当然だろうと言わんばかりに、むしろごく自然にやってのけそうだけど。

「その使い捨てカメラって、日吉の?日吉も、写真撮る人なの?」

うっかり質問がふたつになってしまった。
どうやら触れてほしくなかった話題のようで、見る見るうちに日吉の眉間に皺が寄った。
地雷を踏んでしまったのだろうか。これはこのまま踵を返されてもしょうがないかもしれない。
しかし日吉は表情こそ険しいものの、きちんと名前の質問に答えてくれた。

「…これは、報道委員会で支給されたものだ。写真を撮れと言われたが、何をどう撮っていいのかわからないから、一度も使っていない」
「あー…、だから私に何で写真を撮るのか聞いた、的な?」
「悪いか」
「そんなこと一言も言ってないよ」

なるほど。
日吉若という人間は、不器用な人間なのだ。
ほんの数分しか話していないけれど、彼の人間性がなんとなく掴めたように思える。
ぷいとそっぽを向いている日吉の耳が若干赤くて、あぁ、照れているのだなとわかった。
今まで少し近寄りがたいと思っていた彼との距離が、ほんの少し縮まった気がする。

「あ、最後にもう一個聞いていい?」
「手短にしろ」
「わかってるって…どうして、わざわざ私に聞いたの?」

ただの一クラスメイトでしかない名前よりも、一年の頃から同じテニス部の仲間である鳳くんたちとか、テニス部の先輩とか、聞ける相手はたくさんいたはずだ。
まぁ、跡部先輩は別格として。
きっとたまたまカフェを利用しようと思って、偶然見かけたクラスメイトに何気なく聞いてみただけなのだろうけど。

「よく女子が写真を撮っているのを見かけたら。さらに言えば、女子の中でも苗字が一番話しかけやすかったからだ」
「…え」
「出席番号も近いしな。ああ、あと安易に日直は代わるなよ。お前の当番はもう少し後のはずなのに、今日日誌書いてただろう」
「それは、麻美ちゃんが今日は習い事で早く帰らなくちゃって言ってたから…」
「…お人好し」

ぽん、と軽く頭を叩かれた。
本当に軽くだったので痛くはなく、日吉の手の温度がやけに高かったように感じた。
いや、今の自分の顔が熱いのかもしれない。
なんだ、さっきの。
お人好し、と吐き捨てるように言った日吉の声のトーンは少し柔らかかった。
さらに言えば、表情もいつもの堅いものではなく、どこか優しく見えた。
あんな顔で、あんな声で、あんな事言われたら。
日吉はもう立ち去ってしまっていたので、姿は見えない。居なくて、よかった。

「なんなんだよ、バカぁ…」

気のせいか、心臓も少し早いリズムで動いている気がする。
落ち着け、落ち着くのだ。深く息を吸って、吐く。深呼吸を繰り返す。
やっと赤みが収まってきた顔を手で覆いながら、今度テニス部の練習をこっそり見に行ってみようかな、と思った。
きっとたくさん人がいるだろうから、遠巻きにしか見えないだろうけれど。
ドキドキしすぎたせいで、せっかくのワッフルの味を忘れてしまった。
携帯を開いて、先程撮った写真を眺めても、日吉の顔ばかり浮かんでくる。
たぶんこの先も、この写真を見て真っ先に思い出すのは日吉のことなのだろう。
またひとつ、思い出が刻まれた。

20120904
20121022 加筆修正


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