わたしはおとながとても嫌いでした。
正確に言えば、あまり好きではなかった、ですが、とあることをきっかけに嫌いとはっきり断言できるようになりました。
その前に、何故わたしがおとなに対してあまりいい想いを抱いていないのか説明しなければなりません。

わたしは歳相応に、いいえ、それ以上に好奇心旺盛でやんちゃな子どもでした。
危ないから行ってはいけないと何度も何度も聞かされていた場所に冒険しに行って、怪我を負ったこともあります。
森へ行って花を詰んでこようとしたら迷子になって、一晩中泣きながら歩き続けたこともありました。
その度その度におとなたちはわたしを捕まえて、女の子なんだからもう少しおしとやかになさい、だとか、歩きまわるよりも家事を手伝いなさい、だとか、口を酸っぱくしてお小言をとなえるのでした。
おとなたちの言うこともわからないほど頭が悪いわけではなかったのですが、おとなしくそれに従うのはひどくつまらないことでしたので、それにわたしはやりたいことを我慢することがとても苦手だったので、結局毎回やんちゃをして怒られて、正座のしすぎで足の感覚が無くなることがしょっちゅうでした。
「お前は生まれてくるときに性別を間違えてしまったねぇ」
眉間に皺を寄せて、目を細めながら縫い物の片手間にそう吐き出す母親の顔はもう見飽きてしまいました。
わたしだって、できることなら男の子に生まれたかったです。
縫い物や料理や洗濯なんかよりも、森に行って獲物を追いかけたり、農作物の様子を見に行くほうが余程自分に合っていると思っていました。
無論、わたし自身がそう思うのですから、周囲の人がそう思わないわけはありません。
男の子たちに混じってやいのやいのと騒ぐわたしを、村の人たちは「またあいつか」と半ば呆れ顔で眺めているのです。
「いつまでもそんなんじゃ、嫁の貰い手も見つかりっこない」
母親は遊び呆けるわたしを無理矢理家まで連れ帰って、ひと通りの家事を叩き込みました。
いずれ必要になることは重々承知しておりましたが、それはもっともっと遠い先のことで、今という時間しか見えないわたしはもっともっと男の子たちと一緒にはしゃぎたい気持ちでいっぱいでした。
そんな風に、おとなたちは、わたしにいろいろなことを無理強いするから、あまり好きではありません。

ですが、いつまでも子どもではいられないことを、歳を重ねるごとに嫌でも自覚することになります。
成長すればするほど、男の子たちとの差は開いていきました。
足の速さ、腕力、体力と、女であるわたしは置いてけぼりを食らうはめになるのです。
昔は一緒に遊んでくれた彼らも、段々とわたしを疎まうようになりました。わたしは彼らにとって、ただの足手まといでしかなかったのです。きっと、一緒に遊びに行けるのもあと数回なのだろうと、先が見えました。
川で魚捕りに夢中になる彼らを見つめながら、わたしは大きなため息をこぼしました。
「そろそろ女の子らしいことでもすればいいさ」
気がついたら隣には話すことの多い仲間のひとりが座っていました。魚はいいのか、と尋ねると
「もう今日の夕食の分は捕ったから休憩だよ」
と柔らかく微笑まれたので、返す言葉が見つからなく、水に浸していた足をぶらぶらさせることしかできません。
太陽光がよく当たる場所だったせいか、いつもは冷たい川の水も少しだけぬるく感じました。
「例えば、僕らが捕った魚をおいしく料理する。それだけで、君は人気者になれると思うけど」
「今さら取り繕ったところでみんな昔のわたしを知っているのだから無駄なことだわ」
散々はしゃいでやんちゃをしてきたじゃじゃ馬のわたしをお嫁さんに貰ってくれる人なんて、この村のどこを探しても見つからないだろうという悲しい自信がありました。
もう少しおしとやかにしていればよかったでしょうか。けれどもわたしは自分自身のやりたいことを我慢することに耐えるのはひどく苦手でしたから、きっと無理な話だったのでしょう。
叶いもしないことを口にしても仕方ありません。きっとわたしは誰も貰い手のつかないまま、一生を終えるのだろうなと薄ぼんやり予想をしていました。
「おいしい魚を焼いてくれるんだったら、僕が貰ってもいいよ」
魚を?と聞き返そうとして、やめました。彼はそんな冗談を言うような人ではありません。
「僕はきみのこと、嫌いじゃないんだ。おいしい料理を作ってくれるんなら、お転婆だって、じゃじゃ馬だって、お嫁さんに貰うよ」
ふわり、という言葉が似合うような柔らかい笑みを浮かべる彼の顔を、まっすぐ見つめることが出来ませんでした。
女の子らしくしなさい、と皆口うるさく言って来ましたが、女の子扱いをしてくれる人は居なかったからです。
初めて女の子扱いしてくれた彼の言葉はあたたかく、じんわりと胸に染みこみました。
こんな時に何と言えばいいのか、わたしの頭には浮かんで来なかったので、そっぽを向いたまま彼の目の前に小指を突き立てます。
しばらく間があって、彼が何度か瞬きしているんだろうなぁと想像がつきました。
「…約束、だからね」
そう言えば、くすりと笑い声が聞こえて、わたしの小さな小指に、わたしのよりも幾分か大きくて太い彼の指が絡まったのがわかりました。

それが、ほんの少し前のことです。
「やだ、お兄ちゃんったらそんな事言ったの?」
きゃらきゃらと笑いながらも、刺繍針を規則正しく動かす彼女のお裁縫の腕は確かなものでした。
こんなわたしを貰ってくれると言ってくれた彼の妹とは仲が良く、たまに彼女から縫い物やら何やらを習うことも多かったのです。
「じゃあ、あなたが私のお姉ちゃんになるんだね」
なんだか変な感じ、と笑いながら彼女はわたしの刺繍を指さしつつ「ここ、間違ってる」と指摘しれくてました。
よく話しながら素早く針を動かせるなと感心しつつ、これじゃあ姉と妹の立場が逆ではないかと内心ハラハラしていました。
出来損ないの姉でも、きょうだいが増えるのは嬉しいことなのでしょうか。彼女はにこにこと笑みを浮かべながら、
「じゃあ、花嫁衣裳の一番見えるところに私の刺繍を入れさせてね」
と素敵な提案をしてくれるのでした。幼いわりに彼女の刺繍は見事なもので、村一番と言っても過言ではありません。
そんな彼女が刺繍してくれた花嫁衣裳ならば、きっと、村の誰よりも幸せな花嫁になれるだろうとひっそり思いました。
いつか来るであろうその日が柄にもなく楽しみで、わたしは必死においしい魚の焼き方を練習したのです。

しばらくしてから、村に干ばつの時期がやってきました。
何十年かに1回、その時期は訪れるそうで、その度に村では若い娘を生贄に捧げていました。
前の時は、わたしの姉が流されたそうです。わたしの生まれる何年か前の話だったので、よくは知りません。
さて今回の生贄は誰にするかという会議の中に、わたしの父親は参加しませんでした。
決まりごとのなかのひとつに、連続して同じ家から生贄を出してはならないというものがあったからです。
母親は安心した顔で、よかったよかった、とただひたすらにわたしの頭を撫で付けるのでした。
わたしからしたら、全然良くありません。何故なら、会議の末に候補に挙がったのは、仲の良い彼女でした。
まだ決定したわけではありませんが、生贄を決めるための試合で彼女側が負けてしまったら、彼女は流されてしまいます。
そんなのことは嫌でした。できるものなら、代わりにわたしが流されてもいいと思いました。
「だめだよ、あなたはこの先花嫁さんになるのだから」
試合の数日前に彼女の家を訪ねてそんな話をすれば、彼女は曖昧に微笑んでただそう答えたのです。
「私だって苦しいけど、でも村のみんなのためだもの。…あなたは、幸せになってね」
細い声で囁く彼女を、思わず抱きしめました。
わたしなんかよりも刺繍が上手で、料理ができて、気がきく子がどうしてこんな目にあわなくてはならないのでしょう。
幸せになるべきは、わたしよりもこの子の方に違いないのに。
「…まだ、決まったわけじゃない」
わたしと彼女のやり取りを聞いていたのでしょうか、背後から彼の声が聞こえました。
「そうだよ。私は信じてるもの。お兄ちゃんが勝つって」
「僕は、お前を守ってみせるさ…どんな手を使っても…!」
彼と彼女のきょうだいは村で一番の仲良しでしたから、いもうとのために必死になる彼の姿はとても勇ましく見えました。
彼の所属する側が勝てばいもうとは流されずに済むのですから、責任という二文字がとても重たいものとして彼にのしかかっています。
そんな、使命に燃える彼のぎらぎらとした瞳がほんの少しだけ怖くも思えたのです。
いつもの彼とは違う、いいえ、彼の中の本性と言えば良いのでしょうか。そんなものが垣間見えたようでした。

結果から言ってしまえば、彼は試合に負けました。
実力を出す前に、彼の負けは決まっていたのです。
どんな手を使っても妹を守る、と決めた彼のとった行動は、買収でした。
生贄を捧げることも大事ですが、神の御前で試合を行うことも大切な儀式のひとつでした。
それは村人であれば誰しもが把握していることで、生贄を決定する試合は神聖視され、穢されてはいけないものでした。
けれど、彼はその儀式を台無しにしてしまった。
彼が用意できるありったけの財産をかき集めて、相手の代表者にこっそりと手渡しました。
その金額に見合うだけの価値が、彼のいもうとにはあったのです。
これで試合は勝ったも同然、いもうとも助かる、そして幸せな生活が待っている──はずでした。
悲しいことに、彼のしたことはすべて解き明かされてしまったのです。
それも、わたしの両親によって。

深夜にどこかに出掛ける彼の姿を見つけたわたしは、なんだか胸がやたらとざらついたような違和感を抱くことに気が付き、こっそりと後を追いました。
月光を浴びてきらきらと輝く川の水面はどこか神秘的なようで、でも不気味なようにも見えました。
辺りはとても暗かったけれど、反射した光が薄ぼんやりと照らしてくれていたし、わたしは夜目が効く方でしたから、視界には困りませんでした。
こっそり後をつけたものですから、どことなく罪悪感に似たものが胸に潜んでいたので、彼に気付かれないようにそっと足音を忍ばせて、できる限り気配を消して近づきました。
彼が密会していたのは、数日後に試合をする相手方の代表者で、何かを手渡しているのが見えました。
もう何も知らない子どもという年齢ではありませんでしたので、それが何を意味するのか、一瞬で察してしまいました。
村長に伝えるべきなのか、それともこのことはわたしひとりの胸中に固く鍵をかけて、ゆっくりと夜の闇に溶けこませるように仕舞いこんでしまうべきなのか、悩みました。
わたしは彼のことを好いていましたし、彼のいもうとのこともかけがえの無い存在だと思っています。
なら、迷うことはないじゃないか。
頭の中で、誰かが囁きかけてきました。黙っていれば、これから先幸せな未来が待っているではないか。約束された幸せが手に入るのならば、それでいいではないか。
ですからわたしは、きっとあれは月が見せた有りもしない幻想なのだと、そう思い込みました。
その時のわたしは忘却することで精一杯でしたから、気が付きもしなかったのです。
娘が深夜に外に出掛けるのを不審に思った両親が、こっそり後をつけてきていただなんて。

「神聖な儀式を何だと思っているんだ!」
「ふざけるんじゃない!」
野太くて汚いおとなの罵声が飛び交います。
その中心には彼が居て、目はただひたすらに虚ろでした。
「やめて!!」
わたしはただひたすらに、声が枯れるのではないか、もう出なくなるのではないかというくらいに、力いっぱい叫びました。
けれどもそれは虚しく、罵声どころか石のつぶてが彼を襲います。
我慢ができなくて、彼を庇うために騒ぎの真ん中へ飛び出したかったのですけれども、両親が腕をしっかと掴んでいましたので、それすら叶いませんでした。
「こんなことをしでかした罪はとても重いぞ!」
「追放だ!村から追放しろ!」
怒りに狂ったおとなたちの声は呆然とするわたしの頭によく響き渡りました。
彼のいもうとはすでに生贄として流されることが確定しています。その上さらに、彼までもが村からいなくなるだなんて。
じゃじゃ馬でお転婆でどうしようもなかったわたしを女の子として扱ってくれて、将来の約束をした彼が。
物覚えが悪く、手先が不器用でなかなか上手に刺繍が出来ずにむくれていたわたしに丁寧に教えてくれた彼女が。
村の中で、わたしに居場所と安らぎを与えてくれた彼らが、どうしていなくならなくてはならないのでしょうか。
ひっそりとでよかったのです。彼女が拵えてくれた立派な刺繍の入った花嫁衣裳を身に纏って、隣には彼が居て、小さな結婚式を挙げて。
そんなに豪華でなくても、ただ彼らの隣で笑うことができたら、それだけでわたしは村一番の花嫁になれたのです。
そんな些細な幸せを願うことは罪なのでしょうか。ちっぽけな願い事すら、叶わないのでしょうか。
無我夢中で、どこからそんな力が出たのかわかりません。けれどわたしは、ただ必死に、両親の拘束を解き放って、彼の前に立ちました。

「わたしが考えたの!」
おとなたちは、急に飛び出してきた小娘が戯言を、といった嘲笑を浮かべて、じっとりとした目付きでこちらを見つめます。
「全部、わたしが考えて、やれって言った!全部、わたしが悪いの!だから、追放するなら、わたし!」
両手をめいいっぱい広げて、彼を庇うように立ちます。それでもわたしは決して身体が大きい方ではありませんでしたから、彼が座り込んでいなかったら彼を庇うなんてとんだ狂言だったでしょう。
「…もういいよ」
覇気のない、弱々しい声が背後から聞こえました。それは紛れもなく彼の声で、視線を後ろにやればゆるりと立ち上がるところでした。
「何をしたって、あいつは返ってこない」
弱々しい声でしたが、小さな声でしたが、その言葉は静まり返った場に深く響き渡りました。
しばらくは静寂が辺りを包んでいましたが、次第におとなたちは怒気を取り戻して再び彼を取り囲みました。
その時に両親が無理矢理わたしを引き戻したので、彼との距離は大きく空いてしまいます。
「家に帰ろう」
これ以上見てはいけない、といったように必死に抵抗するわたしを押さえつけて、喧騒の場からどんどん遠ざかりました。
きっと、この日が今まで生きてきた中でいちばん泣いて叫んだ日だと思います。

それからのことはよく知りません。
興奮状態だったわたしは薬草を煎じたものを飲まされ、数日間眠っていたそうです。
彼はその間に村から追放され、彼のいもうとは贄として人柱になりました。
起き抜けにただそれだけ伝えられても、嘘だとしか思えません。
実際にその現場を見ていないのですから、本当かどうかすら怪しいのです。
けれどももう彼の家を訪ねても彼は居ないし、刺繍を教えてくれた彼女の姿もありません。
彼女が途中で止めていた刺繍の続きをやろうと手にとってみましたが、やはり彼女のように上手にはできませんでした。
全部夢だったのではないでしょうか。今でもそんな気がします。
だからわたしはこっそりと夜の森に出かけて、彼の名前を呼び続けるのです。
村のおとなたちはそんなわたしの奇行を見てみぬフリをしていました。最初はとやかくうるさかった両親も、次第に何も言わなくなりました。
「シュウ…、シュウ」
彼の名前を呼んでも、暗い森に飲み込まれるだけで何も変わりません。
それでもわたしは、呼び続けるのです。
呼ぶことをやめてしまったら、彼のことを忘れてしまいそうで。
「シュウ…ごめんね、ごめんね」
わたしが忘れてしまったら、きっと村のだれも彼のことを覚えていないでしょうから、彼の居場所が本当に無くなってしまいます。
あの日から、おとなというものがひどく汚く、嫌いと感じるようになりました。
わたしも段々と歳を重ねていけばあのようになるのでしょうか。その時が来るのが嫌で嫌で仕方ありません。

「名前」

ふと、彼のあの澄んだ声が聞こえたような気がしました。
風のいたずらで葉っぱたちが囁いたのかもしれません。
動物の泣き声が何かの拍子でそう聞こえたのかもしれません。
けれど、変な確信がありました。きっと、あれは、彼の、シュウの声だろうという確信です。
夜の闇はぬるぬると、森の中で蠢いています。その中から声が聞こえたのです。
迷うことはありませんでした。一歩、二歩、三歩とそちらへ足を向けました。
夜風がひやりと首の後ろを撫でましたが、怖くはありませんでした。

「シュウ、いま行くから」

しばらくしてから、髪飾りひとつだけ残して、村の子どもがひとり居なくなりました。
おとなになった彼女の姿は誰も見ることはできなかったので、人々の記憶の中で彼女はいつまでも子どもの姿のままでした。
遠い遠い昔の、島に伝わるくだらないお話のひとつです。

20120522


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