お見合いだなんて言われたから、相手はなんとなく年上の、バリバリに働いている感じの人を想像していたのだけれど。 蓋を開けてみれば、中学生でした。 あまりの衝撃に、何がどうなったのかよく覚えていない。気がついたら家に居て、布団に潜って寝ていた。 目覚まし時計の音が鳴り響く部屋の中でしばらくぼんやりと昨日のことを思い返す。あれはもしかして、夢だったのではないだろうか。そう思いたい。寝ぼけ眼をこすりつつ、まだ名残り惜しい布団から出て、支度を始める。まだ時間に余裕はあるけれど、昨日はドタバタしていたから予習ができなかった。また授業で当てられて慌てるのは嫌なので、早めに学校に行って教室で予習しよう。 冷蔵庫の中身を確認しつつ取り出す。やっぱり牛乳は昨日買っておけばよかった、おそらく今日の夜には無くなっているだろう。卵も買い足しておかないと。洗っておいたお弁当箱に手際よくご飯を詰める。まだ出社前の母親に行ってきます、と声をかけ、母の分のお弁当はテーブルの上においてきた。 いつもと変わらない日常。 お見合いの話はきっと流れてしまったに違いない。中学生といえば、まだまだ遊びたい盛りのはずだ。いきなり高校生の女を連れてこられても困るだろう。今くらいの年代にとっての2歳差、3歳差というのはとても大きい。 そう。歳の差は、とても大きいものなのだ。 学校に向けて、自然と足が早くなる。いつもよりもお弁当箱ひとつ分、余計に重たい鞄を揺らしながら。 「佐藤せんせー、おはよーございますー」 「おー、苗字か。はやいな」 「教室で予習しようかなって思いまして。あ、参考書ありがとうございました!助かりました」 「それはよかった。苗字は真面目だなー、教えがいがあるってもんだ」 「やだなー、照れちゃいますなー」 朝のまだ早い時間帯に、そっと国語科研究室を訪れる。そこには佐藤先生以外の教師の姿は無くて、それ知ってわざと早くに登校するようになったのは最近だ。 佐藤先生。古文担当で、教師歴わずか2年の新米教師。ちょっと抜けているところもあって、でも話すと面白い先生。授業もわかりやすくて、人気だ。 歳の差がこれほどまでに憎い、と思ったことはない。教師と生徒。あまりいいものではないとわかってはいるが、胸の奥で燻るこの気持ちを抑える方法をまだ名前は知らなかった。思うだけならば。想い続けるだけならば、迷惑にならないだろう。表に出さなければ、大丈夫だろう。佐藤先生の笑顔が眩しい。 「参考書、ここの棚に戻しておけばいいですか?」 「あぁ、頼む」 先生の机の上には書類がたくさんあった。本を戻そうとしたときに手がかすってしまったため、一部の資料がバラバラと床に落ちる。慌ててすみません、といいつつ拾い上げると、見覚えのあるパンフレットが目に映った。それは昨日、名前が行ったお見合い会場でもあったホテルのもの。 会場のパンフレットだけではなく、結婚式会場用のプランが書かれたものも一緒にクリップで止まっていた。 ちりちりと、胸が痛む。これは、もしかして。 「…先生、これって」 「あちゃー、見つかっちゃったか。…まだ内緒にしておいてくれよ」 そっと、人差し指を立てた先生の左手の薬指には、きらりと光る指輪が輝いていた。 *** 昼休み。一緒にお昼ごはんを食べよう、という級友の誘いを断って、中庭にひとり佇む。 バカみたい。わかってはいたじゃないか。叶う確立なんて、ほぼゼロに近いと。先生は、名前のことをただの生徒としか認識していないと。 それでも、心のどこかで諦めきれない自分が居たのだ。ふたつのお弁当箱の包みを打き抱えて、しゃがみ込む。 『お、苗字の弁当おいしそうだな』 『ホントですかー?これ、私が作ったんですよ!』 『料理ができるなんて、良い嫁さんになるぞー。一度俺も食べてみたいもんだなぁ』 『やだー、先生おっさんくさい』 ほんの些細な、先生にとっては生徒とのコミュニケーションのひとつだったのだろう。 それを鵜呑みにして、余計にお弁当を作ってきて。受け取ってもらえるかどうかの確証すら無いのに。 じわり、と涙が滲む。泣いてもしょうがないのに。いらないモノとなってしまったこのお弁当をどうしよう。思考にふけていると、遠くでヘリコプターか何かが飛ぶ音が聞こえてきた。だんだん音が大きくなる。今日はずいぶん近くで飛んでいるのだな、と空を見上げると。 頭の上に、影ができる。近く、なんてものではない。真上に戦闘機があった。予想外の出来事に、口をあんぐりと開けてしまう。 さらに驚きべきことに、戦闘機から人が飛び降りてきた。シュタッ、と華麗に着地を決めたその人は昨日お見合いをした海道くんで。 「な…」 なんで、と聞きたかったのだけど、口がうまく動いてくれなかった。 中学も今はお昼休みの時間なのだろうか。いやいやそれよりも戦闘機で颯爽と登場するだなんてどこの漫画の世界だ。 「…CCMに、連絡を入れたのですが」 「え?…あ、ホントだ、ごめん気付かなかった」 慌てて制服のポケットからCCMを取り出すと、確かにメールが1件入っていた。会いに行ってもいいか、というシンプルな文面だったのだけれど。返信もしていないのに、何故わざわざ高校までやって来たのだろうか。 すっ、と目の前に手のひらを差し出される。行動の意味がよくわからなくて、首を傾げていると。 「…お腹が空いたので、よかったらそれをいただけませんか」 抱え込んでいたお弁当箱を指さされる。ふたつもお弁当箱を空にできる自信は無かったので、食べてもらえるのならば、と海道くんへ手渡す。 さも当然、という顔でベンチに腰掛け、包みを開ける海道くんをぼんやり眺めていると、食べないのですか、と声をかけられる。昼休みは限られているから早く食べないと空腹のまま午後の授業に臨むことになる。それは嫌だ。お邪魔します、と海道くんの隣に座り、お弁当を箸でつつく。 海道くんはひたすら黙々と食べている。その評定はうまく読み取ることができなくて、口に合わなかったのかと不安になった。 しばらく沈黙が続く中、ごちそうさまでした、と両手を合わせてから海道くんは蓋を閉じた。やはり男の子、というべきなのだろうか。食べるスピードが早い。 おそるおそる味の感想を聞いてみると、海道くんはほんの少しだけ唇と三日月の形に近づけ、 「美味しかったです、とっても」 こんな美味しいものを食べ損なうなんて、馬鹿な人だ。 そう言った海道くんの横顔は、大人びて見えて。どこまで知っているのだろう、と疑問を抱いたけれど。 少しだけ、かっこいいな、と思ってしまった自分が居て、悔しい。 20110718 | |