12時を過ぎるまでは、夢を見ていていられるの。
優しく抱き寄せてくれて、甘い言葉をささやいて、はちみつのようにとろける口付けを味わって。
大好きな人と過ごす幸せな時間。いつまでも続くのではないかと錯覚するほど、彼は優しい。

けれど、12時の鐘が鳴ってしまえばそれは全て夢物語。
たった数秒前まで彼の温もりで満たされていたはずの身体は急激に冷えたような気がした。
てきぱきと身支度をし、あっという間に玄関まで足を進めるその後姿が憎らしくて、悲しい。

「…相変わらず早いね」
「日付をまたいで女の家に居座るのは性分じゃなくてな」

その背中に、行かないで、と声をかけることができればどんなによかっただろうか。
傍を離れないで。ずっと隣に居て。会う度に違う女物の香水のにおいを漂わせないで。
きっと、そんな言葉を口にすれば彼はすぐさま愛想を尽かして名前の前から去るのであろう。それは息をするよりも簡単に想像できる。
檜山くんは、昔からそうだった。

初めて檜山くんと出会ったのはお互い学生服を着ていた時代で、高校に入学してから2回目の春に初めて同じクラスになった。
容姿端麗で成績も上位に入ることの多かった彼は、一部の女子の間で人気が高かった。時折見せるアンニュイな表情に惹きつけられた子も少なくないと思う。名前も含めて。
そんな檜山くんに告白する女子はそれなりに居た。けれども檜山くんの答えは毎回決まって、「特定の誰かに縛られたくない」というもので。
指定された曜日だけなら。指令された時間だけなら、そのときだけ限定で恋人同士になる。
そんな奇妙な男女交際の仕方は今まで耳にしたことは無かった。けれど、ほんのひとときでも檜山くんと時間を共有できるのであれば、それでも構わない。限定的な、彼女と言えるのかどうか怪しい、不安定な関係性だけれども。それを求める女子は、両手の数では足りないほど居た。
名前はどうしたのかというと、特別な関係性を持ちたいなどという願望は恐れ多くて抱けず、ただのクラスメイトという関係に甘んじていた。
おはよう、と声をかければおはよう、と返ってくる。それくらいの距離でちょうど良い。
そのままあっという間に3回目、4回目の春を迎え、檜山くんとは進学先も違ったので、「高校の時に同じクラスだった」という何の変哲もない普通の関係のまま、淡い恋心は風化していくはずだった。

「久しぶり、苗字さん」
「…檜山、くん?」

休日にお気に入りのカフェテラスでミルクティーを飲みながら雑誌を読んでいたら、背後からいきなり話しかけられた。
普段だったら警戒するのだけれど、声の主は名前の名前を呼んだから。ほぼ無意識に振り返ると、そこには成長した、でも高校時代の面影はほんのりと残った檜山くんの姿がそこにあった。
偶然とはすごいものだな、と思った。その時は。後々聞いてみれば、檜山くんはやっぱり頭が良くて、充分に調査した結果、名前が休日にあのカフェテラスに居る確立が高いことを知っていたのだ。

「苗字さんに聞きたいことがあるんだ」

イノベーターを、知っているか。
その言葉に背筋がぞくりとしたのを今でも生々しく思い出すことができる。
イノベーター。海道先生の理想の世界の為に組織された集団。知らないなんてこと、無かった。名前の父親はイノベーターに所属していたから。
大学を卒業した後、自然と名前自身もイノベーターに関わるようになっていた。主に父の仕事の手伝いが中心だったが。
そのことを他人に話したことは無いし、言うつもりも無かった。
けれど。檜山くんは、知っている。知りたがっている。イノベーターのことを。
ぎらぎらとしたその瞳で見つめられて、まるで檜山くんが名前自身に興味を抱いてるように錯覚してもおかしくない。
風化したと思っていた、あの頃の感情が心のなかでどくどくと溢れ出す感覚がした。

「タダじゃ、教えられない」
「もちろんそれは承知の上だ。…条件は?」
「…恋人に、なって」

バカな条件だと思った。
きっと檜山くんもバカな女だと思っただろう。檜山くんのスタンスは変わっておらず、指定された曜日だけ関係を持つことになった。
それと引換に、檜山くんの知りたがっていた情報を伝える。けれども所詮下っ端である名前が大した情報を手に入れることなんてできもしなくて、次第に檜山くんの中で名前は用済みの存在になりつつあることがなんとなくわかった。
きっと檜山くんはいつ名前を切り捨てるべきなのか、タイミングを見計らっている。
それに必死にしがみついて、離れたくないと必死になっている名前の姿は滑稽だろう。
何度口付けをかわしても、何度身体を重ねても、決して縮まることのないその距離に悲しさを覚えつつも、せっかく手に入れたこの関係を手放したくなくて、溺れる。
そんな名前を甘やかすかのように甘い言葉をささやく檜山くんは、本当にずるい人だ。ずるいけれど、でも、その甘さをどうしても求めてしまう。

12時を過ぎるまでは、夢を見ていられるから。
いつまでもその夢が続くだなんて思えないけれど、それでも、今このときだけは、幸せでいられるから。
いつ壊れてもおかしくないガラスのくつを履いて踊っているこの時間は、愚かだけれど、それでも。

20110805


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