何も知らない者からすれば、帝国と王国の友好を結ぶ、おめでたい話である。
 帝国は世界の半分以上を束ねる最強の国で、植民地も多く、豊かで軍事力に優れ、戦争で負けたことがない。そんな帝国の次期皇帝の妻の座は、世界中の貴族の女が狙う最高峰であった。
 しかし、この若きゼアノートという男、社交界より戦場にばかり出没し、加えて女に興味がないのではと囁かれるほど、恋愛の噂が立たない男であった。
 彼が望めば、どの国のどんな身分の者であろうとも逆らえない。毎日うんざりするほど来ていたフィリア宛ての手紙は、ゼアノートからの一通の後からパッタリ届かなくなった。

「いまは、適当な理由をつけて、返事を伸ばしてるところなんだって」

 お茶の時間になったため、フィリアの部屋にやってきたヴェントゥスがいつもより沈んだ声で語る。

「第一王女より先に妹君を嫁がせるわけにはいかないとか、第二王女も動揺して体調を崩しているとか」

 子どもの言い訳のような、帝国がフッと吹けば飛んでいきそうなくらい、軽い理由である。
 いつもならおかわりをねだるくらいに大好きなクッキーや紅茶にも手をつけず、フィリアは鬱々とヴェントゥスに問うた。

「もし私が帝国に行かないと、どうなっちゃうのかな……」

 ヴェントゥスが押黙る。好戦的な帝国に恥をかかせることになれば、当然軍事介入は避けられない。
 フィリアは涙をぬぐう。ゼアノートに気に入られることなど何もしていない。彼との婚姻を望む女は世界じゅうにいくらでもいるのに、どうして自分が選ばれたのか――嫁に来るなら人質に。断るならば王国との戦争のきっかけにするつもりなのだろう。

「私、やだよぉ。みんなと離れたくない。帝国になんて行きたくない」
「フィリア……」
「でも、それで国が、みんなが傷つくのは、もっと怖いよぉ……」

 ヴェントゥスがフィリアの横に座り、肩を抱いてくる。フィリアは彼に抱きついて、ぐすぐす泣いた。

「もっと早くに、ヴェンと結婚していればよかった」

 そっと抱きしめてくるヴェントゥスは、何も言ってくれなかった。





 エラクゥスとテラは、外交官や大臣たちと日夜話し合い、それは必死に奮闘した。けれども、日が経つにつれ「王女ひとりのために国を危険に晒すのか」という意見が強まっていくのが現状であった。
 そんな中、唐突に帝国の使者が訪問してきた。かの有名な花園の国の賢者と同じアンセムを名乗ったが、舞踏会の際、ゼアノートの側に控えていた男であった。

「あまりにも返事が遅いので、直接伺いに参りました」

 謁見の場で、アンセムは優雅にかしこまっているものの、余裕に満ちた笑みは己の立場の強さを理解しているものだった。
 苦虫を噛みつぶした表情で国王の側に立つテラが、少し強気に言葉を返す。

「お答えしたとおり、第二王女はまだ若すぎる。もう少し時間をいただきたい」
「デビュタントを済ませた娘に、早すぎるということはありえないでしょう」
「こちらは、まだ第一王女の嫁ぎ先も決めておりません。第二王女を先に嫁がせるのは――」

 フン、とアンセムが鼻で笑った。何度も手紙で返した答えをそのまま繰り返すことをバカにしているようだった。

「姫が幼い。第一王女が嫁いでいない。それならば、ひとまず婚約という形ではいかがか?」
「それは――」

 ぐっとテラが黙る。制限時間を設けようとする腹である。

「こちらとしては、お許しいただけるのであれば、今日にでも姫を我が国へお連れするつもりで参りました。それほどに皇子はフィリア様との婚姻を望んでおられる」
「ありがたい話ではあるが――」

 口を開いたのはエラクゥス。アンセムが片眉を上げてエラクゥスを見つめる。

「親ばかではあるが、あれには、あれが選んだ者に嫁がせてやりたいのだ」
「ほう――?」

 意外そうな表情の後、アンセムがニヤッと笑う。

「まさか、姫にはすでに心に決めた方がおられるのか? そういえば、こちらに預けた我が国の皇子と大変仲がよろしいとか。――まさか、帝位継承第一位であらせられるゼアノート皇子を差し置いて、帝位継承の資格すら怪しい皇子に嫁がせるおつもりではあるまいな?」
「なっ――ヴェントゥスも、あなた方の皇子だろう?」

 アンセムは暗い笑みのまま、ゆったりテラを見やる。

「彼を助けてくださったあなた方には感謝しているが、あれは、我が君が“捨てた”皇子だ。あぁ、猊下がこう仰っておりました。『帝国に戻りたくば、己の価値を見せろ』と」

 しばし、場に沈黙がおりる。アンセムはエラクゥスに頭を下げた。

「本日は、これで引きさがりましょう。しかし、こちらも気が長いほうではない――懸命なご判断を」

 最期まで余裕に満ちた表情を崩さず、アンセムは優雅な歩調で去っていた。


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