(二人の男〜二人目〜)
城の庭。星空の下。そっと手を繋いできたフィリアにヴェントゥスは微笑んだ。指を絡め合って、抱き寄せ合って、肩に乗せてきた頭に頬を寄せる。
「明日のデビュタントが終わったら」
繋ぐ指に、どちらともなくキュッと僅かに力が篭る。
「お父様に、ヴェンと結婚したいって伝えようと思うの」
「フィリア、俺は──」
「『帝国の人間だから──』そんなこと、関係ないよ」
「けれど……」
出身国が異なる王家のふたりが結ばれるなら、どうしても政治が絡む。家族のような王家の本家の者たちはヴェントゥスを認めているが、臣下には暴虐を繰り返す帝国を快く思ってない者もいて、ヴェントゥスを未だに帝国のスパイだと疑っているらしい。
「確かに、いろいろ解決しなくちゃいけないことはあるけど」
フィリアは小さな手でヴェントゥスの両手を包むように握り、美しく笑う。
「何があろうと、私はヴェントゥスが好きよ。誰よりも、とっても大好き。だから、絶対に大丈夫」
「うん──俺もフィリアが好きだ。何があっても、それだけは絶対に変わらない」
★★★
城が燃える音がする。煤けた臭いと、それ以上に血の臭いが部屋を満たしていた。
ごぽりとヴェントゥスの口から血が零れ出た。ビチャッと床に広がった血は上等なカーペットに汚らしい染みを重ねてゆく。
「おまえが王国のやつらとぬるま湯につかってる間に、俺はこれほどの力を手に入れた」
憎しみと傲慢に溢れた声だった。その足元には、血まみれで倒れているフィリアがいる。ヴェントゥスはどうしても彼女を助けたくて、痛みしか感じない体を無理やりに動かした。失笑が聞こえる。
「まだ抗うのか? おまえは、絶対に俺には勝てない」
そうして、煽るようにフィリアのことを蹴とばしたヴァニタスへ、ヴェントゥスはカッとなって斬りかかった。
ヴァニタスを追い払った後、床に倒れたヴェントゥスは血が止まらないままの腕を伸ばした。ヴァニタスに蹴られた時に仰向けになったフィリアはずっとピクリとも動かない。
「フィリア……フィリア、フィリア……」
一生懸命に呼んだのに、出たのは周囲に燃える火の音にすら負ける掠れ声だった。感覚のない、血を流し続ける体を引きづってなんとかフィリアに触れようとするも、数歩で届く距離がいまは絶望的に遠く感じられた。
真っ白だった衣装がたっぷりと赤く染まっている。首や腹からたくさん血を流しているフィリアを助けなければともがいているうちに、ヴェントゥスの意識も霞んできた。炎に囲まれて熱いはずなのに寒気がし、いよいよ“死”が間近に迫っていることを認めざるをえなかった。
「フィリア……」
死ぬ前に、せめて隣に寄り添いたい。ヴェントゥスはついにフィリアまでたどり着き、彼女の様子を確認した。なんと、まだ微かに息がある。その途端、ヴェントゥスの中に希望が蘇った。まだ生きているならば助けたい。まだまだ一緒に生きてゆきたい。
「ヴェン……」
「フィリア!」
願いが届いたのか、フィリアが薄っすら目を開いた。カヒュカヒュと呼吸音を含む声を聞き逃すまいとヴェントゥスは耳を澄ませる。フィリアは涙を流しながらほほえんでいた。
フィリアの唇が動き言葉を紡ぐ。
「ヴェントゥス……わた、し、あなたと…………」
言い終わる前に、フィリアが止まってしまった。瞳は光を失い、彼女の体から全ての力が失われてゆく。ヴェントゥスは目を見開いたまま、その流れを見つめていた。
「だめだ──」
ヴェントゥスはありったけの力でフィリアの手を掴んだ。痛がりも握り返されもせず、残ったぬくもりが消えてゆくことが恐ろしい。
「フィリア、待って、絶対に助けるから。だから、俺を置いていかないで……」
もはや炎の熱さも、体の痛みも分からない。何も聞こえない。何も感じない。ヴェントゥスはフィリアを抱きしめ打ちひしがれた。その時である。
「おーい……おーい! そこに誰かいるの!?」
聞き覚えのない若い声が聞こえてきた。
バタバタと足音も。
駆け寄ってきた少年は、血まみれのヴェントゥスたちを見て目を見開いた。
R4.11.28
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