フィリアがゼアノートに庭園を案内された次の日のこと。また朝食後にサイクスが現れた。
「教師はひとりにしろと命令がありました。これからは全て彼から学んでください」
彼から紹介されたのは、短髪であるが、右目側の前髪のみ長く伸ばした青年だった。
「はじめまして。ゼクシオンと申します」
穏やかな口調だが、これまたサイクス同様、ニコリともしない男であった。しかし、彼の非常に丁寧で細やかな説明は先日の教師たちより分かりやすく、するするフィリアの頭に入ってくる。つきっきりのため、適度に休憩を入れてくれるところもフィリアにはとてもありがたかった。昨日の教師たちは、己の教科を教えることばかりで、フィリアの状態など全く気にしなかったから。
「少々、お疲れみたいですね」
フィリアが頷くと、ゼクシオンは窓の外の夕焼けを見て、パタンと本を閉じた。
「無理やり知識を詰め込んでも、己の力にはなりません。今日はここまでにしましょう」
「うん。今日は、ありがとう」
「礼を仰る必要はありませんよ。勤めですから」
そうして、ペコッと頭を下げると出て行った。
フィリアはふぅと息を吐く。夕飯には早い時刻。気分転換にあの庭園にでも行こうと思いついた――が。
「えぇと、こっち?」
昨日、道が覚えにくいと思っていたが、やはり迷ってしまった。運が悪いことに道を訊ねようにも真っ白な廊下には誰もいない。
「戻り道……どっちから来たっけ?」
そんなに長い距離ではないはずなのに、目印がないため非常に分かりにくい。仕方なく、フィリアは誰かに会うまで歩き続けることにした。すると、今度は階段まで現れて、迷った末、誰かに会うことを願い階下へ降りる。
「どうして、誰もいないのかな?」
夕焼けに照らされる城は、すっかりオレンジ色に染まって、夜とはまた違う美しさである。使用人や見張りのひとりやふたりも居ておかしくない距離を歩いているが、人払いでもされているか、誰にも会わない。
別に行動を制限された覚えはない。フィリアは階段を降りきって、心の命じるまま、目の前に現れる通路を適当に進んだ。そして、薄暗い通路にたどり着いた。
「どうしてここに来ちゃったんだろう。なんだか不気味だなぁ……」
空気が渦巻いている音なのか、獣のうめき声なのか、不気味な音が鳴り響いている。フィリアは心拍が早まるのを感じ、ポケットの繋がりのお守りを握りしめた。
つきあたりには、大きな扉があるだけだった。行き止まりだ。フィリアは扉の前に立つも、やはり別の道を探そうと踵を返した。けれどその時、微かに扉の中から物音がする。
中に誰かいる。やっと人に会えそうだと、フィリアはドアノブに手をかざした。しかし、その手がノブに触れる前に、後ろからワシッと誰かに掴まれる。
「ここで何をしている?」
ゼアノートの声である。
ピャッと驚いている間に、フィリアはゼアノートの方にぐるりと体を向けさせられた。
音もなく後ろに立っていた。いつからいたのだろう。どうしてここにいるのがわかったのだろう。ぐるぐると頭の中が混乱し、フィリアは冷や汗をだらだら流す。
「あ――庭園に行こうとして、道に迷ってしまいました」
ゼアノートに握りしめられている手がきつい。何かまずいことをしてしまったのだろうか。ここは立ち入り禁止だったのだろうか。
「道を聞きたくても、誰にも会わなくて……その……」
夕焼けの逆光により、ゼアノートの金色の鋭い瞳だけが影の中に浮かんで見える。
「ご、ごめんなさいっ!」
クッションを投げつけようが、反抗的な返事をしようが、愛想笑いや含み笑いを浮かべていたゼアノートが、無表情のままジッと見下ろしてくる恐ろしさに耐えられなくなって、フィリアが腹から謝罪の声をあげたところで、やっと男からの冷えた雰囲気が和らいだ。
「もういい。部屋まで送ろう」
よくわからないが、許された。フィリアはホッと息を吐きだす。
手を掴まれたまま、来た道を戻ることになる。フィリアはチラリと先ほどの扉を振り向いた。あの向こう側に何があったのだろう。気になったが、もうさきほどのような思いはしたくないとの気持ちが勝ち、フィリアは黙々と歩いた。
フィリアの部屋の前では、サイクスが立っていた。
「まだ、本日中に決めなければならない案件が残っています」
書類を抱えた彼の言葉は、ゼアノートにかけられたものだった。
「ああ。途中で抜けてすまなかった」
パッと手を離されたと思ったら、ゼアノートはフィリアを振り向くこともせず、サイクスとどこぞへ行ってしまった。残されたフィリアは、彼らが消えた方向をポカンと見つめる。
「それほど忙しいなら、なぜあんな場所にいたの?」
あの時、ゼアノートはあの場所の近くにいたのだろうか。首を傾げながらも、フィリアは部屋に戻った。
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