悪夢のような夜が明けた。
 フィリアは黙々と黒いドレスに袖を通した。用意された衣装は装飾や雰囲気は違えど、全て黒、黒、黒……国旗をはじめ、国が正装として取り入れるほど重要視している色として、王国が白ならば、帝国は黒である。宮中にいる者は徹底して全員黒い服を着ているようだった。父が亡くなったのだから、喪服のようなものだと思えば、フィリアに不満はなかった。
 ほんの少しだけ手をつけた朝食を下げる使用人と入れ違いのように、若い男がフィリアの部屋に現れた。長く青い髪に、金の瞳、なによりも特徴的なのは顔の中心に刻まれたクロスに交わる古い傷。
 男は美形であったが、愛想笑いのひとつも浮かべず、無表情でフィリアに頭をさげてきた。

「サイクスです。ゼアノート様の命により、これより王妃となられるあなたに関わる全てを管理させていただきます」

 そして彼は、昨晩泣きはらした跡の残るフィリアの目元に氷を差し出しながら言った。帝国の王妃に相応しい教育を受けるべし――と。





 サイクスの宣言どおり、その日のフィリアは、順番に部屋に訪れる教師たちから受けたくもない座学を素直に受けた。帝国の歴史から、帝国が支配している国々の話、帝国の主要人物の話などを聞いているうちに、窓から見える空はすっかり夜になっていた。

「息がつまりそう……」

 ため息と共に、フィリアは今日初めて自分の気持ちを吐きだした。使用人は必要がなければ部屋に入ってこない。食事も勉強も部屋の中で済ませられ、孤独だし、軟禁されている気分である。一応これほど豪華な部屋を与えられているのだがら、属国の王族としては上等な扱いなのだろうが。

「ヴェン。アクア。ひどいケガをしていたし、無事ならいいのだけれど。それにテラも、いまどこにいるの……」

 就寝の準備には少し早い時刻。特にすることもなく、フィリアが繋がりのお守りを眺めていると、ドアがノックされ、フィリアの許可なく開かれた。驚いて振り向けば、ゼアノートである。今夜は公務帰りなのだろうか、きっちりとした正装の姿だった。

「様子を見に来た。どうだった? 一日目は」

 まるで友だちのように気安く話しかけられ、ムッとしながらも、フィリアはしばし考える。
 最愛の父を亡くしたのは、帝国――つまりこの男のせいである。
 しかも、その理由を自分のせいのように吹聴している。
 もし、この男を不愉快にさせてしまい、国民に手を出さないという約束を反故されてしまったら……。
 亡き父が守ろうとした国、父の名誉を守るためにできることは……。
 つながりのお守りをぎゅっと抱きしめて、フィリアは男を睨みつけないよう心がけた。

「私はこの国のことをよく知りませんでしたので、とても興味深いです。けれど、今日は立て続けに教師の皆さまがいらっしゃるので、疲れました……」

 意味は「顔も見たくないので早く出て行って」である。
 ゼアノートがふむ……と考えるそぶりをした後に部屋の扉を開いたので、さっさと帰ってくれるのかと思いきや、フィリアに手招きしてきた。

「近くに庭園がある。案内しよう」
「結構です。行きたくありま――はい……」

 拒否権などあるわけがない。フィリアはゼアノートに連れられて広大な廊下を進むこととなった。城の中は目がいたくなるほどの純白で目印がほとんどなく、道順が覚えにくい。
 何度か角を曲がると、ゼアノートの言う通り広大な庭園が現れた。夜なのですべては見通せないものの、バラで造られたアーチ、高さすら計算しつくされた植木たち、天使や女神の彫像で飾られた噴水など、鮮麗かつ丹念に作り上げられた、実に見事な庭園であった。

「とても美しい庭園ですね」

 口で褒めながら、心の中で「横に立つのがこの男でなければ」と毒つくフィリア。すると、ゼアノートが近くのベンチに腰掛けて「こっちに来い」と言ってくる。フィリアは聞こえないフリをして庭園の中を散策しようかともちょっと思ったが、怖いのでやはり従った。
 フィリアがなるべくゼアノートから離れるようベンチの端に座ると、ゼアノートがジッと見てくる。

「おまえに贈り物がある」

 唐突に左手を掴んでくるので、フィリアはぎょっと引っ込めようとしたが、ガッシリ掴まれていた。ゼアノートが何かを取りだし、フィリアの左手首に巻き付け、パチンと音がしたあとに解放される。金属の腕輪であった。バネが仕込まれており、留めれば装飾に紛れて繋ぎ目がわからない。繊細な細工に宝石がちりばめられ、誰もがひと目で一級品と分かるほどの見事なものであった。よく見れば、中央には「X」と思わしき模様が刻まれていた。これについては、本日、フィリアが帝国の歴史で学んだところである。帝国では“異端の印”と呼ばれ、特別な者は名にこの印を刻む風習があるとか。

「どうして、これを私に?」
「婚約の証だ」

 嬉しくない理由に、一瞬フィリアの眉根がぴくっと寄る。

「……ありがとうございます」

 フィリアが礼を言うと、星空をバックに淡い光に照らされたゼアノートが、ふっと笑んだ。
 そして、その手にキーブレードが現れる。
 眩い水色に光るキーブレードだ。
 それがフィリアの腕輪にちょんと触れたと思ったら、カチャンッと施錠の音が鳴った。

「え?」

 驚いて、フィリアは腕輪を外してみようとした。留め具を操作すればパカリと開く仕組みであろうはずが、外れない。

「あの、外れないのですが」
「俺からの贈り物を、外す必要があるのか?」
「えっ……」

 ゼアノートが余裕たっぷりの表情で訊ねてきたので、フィリアは困りきってポカンとしてしまう。いかに豪華で嫌いではないデザインとはいえ、外れない装飾品を喜ぶ女などいるだろうか。

「入浴のときとか」
「簡単には錆びない素材を選んだ」
「眠る時は外したいです!」
「非常に軽い金属だ。慣れろ」

 キーブレードで閉じられたものは、キーブレードでなければ開けない。フィリアは呪われた己の手首をうんざり見つめた。贅沢で美しい手錠にもう「きれい」などという感想はもてなかった。


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