異世界人であるユウが、この悪と魔法のファンタジー世界にやっと慣れてきたと感じた、とある爽やかな朝のこと。いつもやっかいごとを押しつけてくる学園長のクロウリーより呼び出しを受け、イヤな予感にさいなまれつつも、肩にグリムを乗せ、左手にフィリアの手を掴み、ユウは学園長室の扉を叩いた。
「……そして、最高の朝食を食べ終えて、いつも通り、煎れたてのコーヒーの香りに包まれ、10年以上愛読しているナイトレイブン新聞を読んでリラックスしていました。今日の天気予報は曇りのち晴れ。星座占いの順位も4位とまぁ悪くない。少々退屈を感じつつも、穏やかでいつも通りの一日が始まろうとしていた――その時です。使い魔のカラスから報告が飛んできて、せっかくのコーヒーを飲みほす暇すらありませんでした。学園長室に入った瞬間、驚きで腰がぬけそうになりましたよ!」
「ふなぁ……やっと本題なんだゾ」
ユウの肩で寝落ちそうになっていたグリムが、うんざりと鳴く。
「これを見てください!」とクロウリーが指したのは、先ほどから学園長室の中央床に鎮座している漆黒の棺桶だ。入学式の際、ユウ自身も入っていたので知っている。
「昨日、私が帰る時にはありませんでした。しかもどうやら――入っているみたいなのです」
「入ってるって……まさか、生徒がまだこの中に……?」
入学式から数か月も経っている。もし今年の入学生が今までずっと忘れられていて、この中に閉じ込められていたとしたら――現在、生きているのだろうか。
「もし中に生徒がいて、息絶えていたとしたら――この学園始まって以来の大惨事。異世界人を招いた以上の大スキャンダルです! あぁああ、いったいどうしたらいいんでしょう!」
「死んでるかも〜なんて言ってないで、さっさと開けて確かめてみればいいじゃねーか」
グリムがごもっともなことを言う。すると、頭を抱えて騒いでいたクロウリーがスンと元通りになった。
「もちろん、開けてみようとしましたよ。しかし、どうやら相当に強固な封印がかかっているようで、何をしても開かないのです」
「えぇっ!?」
ユウとグリムの声がハモる。クロウリーは学園の問題解決を何かとユウに押しつける男であるが、それでも学園長である。その彼が開けない封印とは。厄介ごとレベルがケタ違いに跳ね上がったように感じ、ユウは少し眩暈がした。
「ですから、あなたたちを呼びました。フィリアさんのユニーク魔法――キーブレードなら、どんな鍵や封印でもノーリスクで開けられるのでしょう?」
みんながフィリアを見ると、ウトウトしていたフィリアはパチパチッと瞬きをし、「うん。キーブレードはどんな鍵も開けられるよ」とニコっとした。ユウは以前、どこかの倉庫の鍵が錆びついているからと、彼女が鍵屋のように扱われていたことを思い出す。
おもむろに、フィリアが棺へ近づいた。
「これを開ければいいの?」
「待て。その前に、オレ様が本当に開かないか確かめてやるんだゾ」
もし、いい物が入っていたら掠めとる算段でもしたのだろうか。ニシシと笑ったグリムがひょいと飛んで棺のフタを掴んだ。しばらくいろんな角度に力をこめて、やはり頑として開かないことを確認する。
「ビクともしねぇ!」
「ホラね。言った通りだったでしょう?」
「子分の棺を開けた時も苦労したけど、もうちょっと手ごたえがあったんだゾ」
「グリム。もう開けてもいい?」
フィリアの右手に光が集まり、シャンッと涼しげな音をたててキーブレードが現れる。淡く発光する大きな鍵みたいな彼女の剣は、ユウの価値観からすれば芸術品――もしくは変身ごっこをする子どものオモチャのようである。
グリムの奮闘を見た直後だというのに、フィリアはなんの不安も躊躇いもない様子で棺の蓋を剣先で優しくチョンチョン触れた。ただそれだけで、棺からカチ! と開錠の音が鳴る。
「おおっ、開いた! くう〜、オレ様もその鍵が欲しいんだゾ!」
「んん〜いつ見ても素晴らしい! くれぐれも悪いことに使ってはいけませんよ〜」
「はーい」
クロウリーがフィリアの頭を撫でるのも束の間、棺の蓋が自動で開いた。場にいる全員がゴクッと生唾を飲んで注目する。
ユウがおそるおそる覗き込むと、やはり、棺の中に生徒がいた。まるで人形のように白い肌と黒い短髪の少年が、死体のように納まっていた。
ユウが彼の顔を見て何か感想を浮かべる前に、パチッとその瞳が開かれた。「あ、金色の目だ」と思った瞬間、棺の中から少年の姿は消え、痛いほどの金属音がユウの鼓膜を貫く。
何が起きたのか分からない。ユウが本能的に音の発生源を見ると、眠っていたはずの少年が壁際でフィリアと剣を交わせていた。フィリアはキーブレードで辛うじて身を守ったらしい。彼の顔を見て驚愕した表情をしている。
「あぁ、おまえか……」
初めて聞く声がククッと笑う。
「ヴァニタス……?」
「せっかく強くしてやったのに、弱くなったのか? これで力を籠めてるつもりか」
きゃっと悲鳴があがったと思ったら、フィリアの身体が飛んで、学園長室の机に叩きつけられていた。机の上に重ねてあった書類が巻き上がり、伏したフィリアの上にバラバラ落ちる。
「フィリア!」
ユウはとっさに倒れたフィリアに駆け寄った。グリムも「子分!」と叫び、少年に「やい、オマエ。いきなり何するんだゾ!」と睨みつける。
「はぁ? 誰だ、おまえ?」
少年は整った表情を険悪に歪め、ユウとグリムをジロジロ見てくる。彼の手にも――こちらは禍々しい色合いをしていたが――フィリアのように鍵みたいな剣を持っていた。
「なんかヤベー奴なんだゾ。せっかく棺を開けてやった子分に、ひでぇことしやがる」
「棺……? 何を言っているか知らないが、邪魔をするな」
少年の周りに黒い霧のようなものがモヤモヤと漂いだす。ユウの頬をたらっと冷や汗が流れた。この学校にきてからというもの、様々な物騒な人間に絡まれ続けてきたが、これほど不穏で、明確な殺気を向けられたのは初めてだ。
「ユウ。グリム。逃げ、て」
フィリアが呻く。正直、凶器を持っている少年はめちゃくちゃ怖かったが、倒れてる女の子を見捨てて逃げ出すのはユウの男の矜持が許さなかった。
剣を隙なく構えた少年が、ジリっと踏み出そうとしている。ユウの横でグリムが火を吹くため、すうっと息を吸い込んだ。
「コラーッ!」
その時、クロウリーの叱り声がピシャッと響き、全員がビクッと震えた。緊張感が霧散する。
「校内で暴れるんじゃありません! あぁもう、大事な書類がメチャクチャじゃないですか!」
いきなり大人に叱られたからか、少年は剣の構えも緩み、発していた黒いオーラのようなものも消え失せた。
クロウリーは少年の元へズカズカ寄り、彼をジロジロ観察する。
「棺の中に生徒が入っていたからには、こうしちゃいられません! 君、名前は。出身地は。ナイトレイブンカレッジから迎えの馬車が来たんですよね?」
「は? ナイト、レイ……?」
「あっ! フィリアさんと知り合いということはまた異世界人の可能性が……! 今年はいったい何なんでしょう。私、厄年でしたっけ。お祓いにいかないと」
矢継ぎ早に問うクロウリーの勢いに飲まれ、さすがの少年もタジタジになっている。ユウは少年の相手をクロウリーに任せ、フィリアへ声をかけた。
「大丈夫?」
「うん。イテテ、びっくりしたぁ……」
派手に飛ばされた割に、フィリアが案外ケロリとしていたので、ユウもグリムもひとまずホッとする。
「おい。アイツはなんなんだ? おまえの知り合いなのか?」
「ヴァニタスとは、元の世界で敵対していたの。倒したと思っていたのに、どうしてここに」
そこで、フィリアの瞳が少年の姿を探す。ヴァニタスはいつの間にかクロウリーと声音を落としてボソボソと話し合っており、なにやら密約を交わしているような怪しさがあった。
「では、決まりですね」
ヴァニタスが頷くと、仮面ごしにも笑顔と分かるクロウリーがぐるっとユウたちの方へ向く。
「ユウ君、グリム君、フィリアさん。早朝からお疲れさまでした。そして、このヴァニタス君は今日からこのナイトレイブンカレッジの一年生として編入し、オンボロ寮生となります。同じ寮生として仲良くしてあげてくださいね」
「は――?」
「いやぁ、ヴァニタス君は賢くて、サクッと話がまとまって良かったです。私、忙しいので」
オンボロ寮一行は全員ポカンと口を開けた。僅かな間にあまりにも急展開したクロウリーの発言を、ちゃんと理解できなかった。
「はっ、反対! 反対ーッ!」
「おや、フィリアさん。なぜですか?」
一番に正気を取り戻したのは、意外にもいつものんびりしているフィリアだった。学園長に詰め寄って、わぁわぁと訴える。
「ヴァニタスは、その……世界を闇に落とすような子だよ! 危険なの!」
「あ〜ハイハイ。ここの生徒は、みんなだいたいそうですよ」
「ええっ!? だめ、ホントにホントに危ないから、いひゃぃっ!?」
クロウリーの横でヴァニタスがニヤァと笑ったのが見えたと思ったら、彼はそっと手を伸ばし、フィリアの頬をむに! と引っ張った。
「おまえは生徒じゃないんだってなぁ。雑用」
「ひゃにふぉー! はなひへ!」
「ヴェントゥスがいないなら、おまえで“きーぶれーど”を作ってやろうと思ったが――レベルリセットされてるのか。弱すぎる」
「ひっ」
「またおまえを育てるために、アンヴァースをこの世界じゅうにバラまいてやろうか」
「ほにゃー! ひゃっぱりー!」
剣には剣を。素手には素手を。フィリアはヴァニタスの頬をつねり返そうとして、両頬をむにゅむにゅ弄ばれていた。クロウリーが「おや、仲良しですねえ」とカラカラ笑う。
ユウは、また面倒ごとを押しつけられる絶望に胃がキリキリ痛む錯覚がした。これまでのパターン上避けられる可能性は1%もないが、それでも一応クロウリーへ話しかけた。
「本気ですか。フィリアはあんな様子だし、彼はフィリアに突然、理不尽に暴力をふるったんですよ」
「目覚めたばかりで寝ぼけていたのだそうです。現にホラ、いまはもう武器を出していないでしょう?」
「寝ぼけたら、あんな殺気だして襲ってくるとか、怖すぎる……」
「あの武器は心でできてるとかで、取り上げられないんだろ? また、いつ斬りかかられるからないんだゾ……」
「その点は大丈夫ですよ。ヴァニタス君はフィリアさんのことが好きみたいですから」
クロウリーの唐突の暴露に、ユウはギョッとしてグリムと共に二人を見る。フィリアがキーキー騒いでいるせいでこちらの会話はあちらに届いていないようだが、まぁ、確かに彼女をかまっているヴァニタスの表情は、この学園の生徒らしい形で非常に愉快そうであった。
「好きな子に素直になれなくて、ついイジワルしてしまう。いやぁ、青春ですね〜。私にもそんな時がありましたよ」
初対面の、こんなうさんくさい男に好きな子を打ち明ける思春期はどんな異世界だろうと存在しない。クロウリーが見抜いて勝手にバラしているのは明白であった。
「それで。学園長は、ヴァニタスと何を取引したんですか?」
ユウの問いに、クロウリーがピタッと硬直する。
「さっき、彼と何を話していたんですか」
「い、いやだなぁ! ユウ君ったら。学園長である私が生徒と取引するわけないじゃないですか」
クロウリーがアハハハとわざとらしく高笑いした。態度が露骨すぎて、どこまで演技なのか分からない、食えない男である。
「さすがに、スゲー怪しいんだゾ」
ユウの頭上で寝そべったグリムも、呆れかえった声で言った。
「うええぇテラ、アクア、ヴェンー!」
フィリアが大親友三人の名前を叫ぶときは、本当にダメになった時である。ユウが見やると、ヴァニタスにいじめられまくったらしい。両頬を赤くしたフィリアが涙目でユウの元へ逃げてきた。制服が汚れるなぁと思いつつも、猛獣使いであるユウは泣きつくフィリアをヨシヨシと慰めてやる。
クロウリーがにやっと哂い、ユウにしがみつくフィリアへ声をかけた。
「フム。フィリアさん。ヴァニタス君が悪さをしないか、そんなに心配ですか?」
「え。うん……ぐす」
「それなら、フィリアさんもここの生徒になればいい。まぁ貴方はまだ年齢が幼く、女性で、ここは男子校ですが。ユウ君とグリム君のように、特別にヴァニタス君とフィリアさん、二人で一人の生徒として認めましょう。私、優しいので。こうすれば、ずっとヴァニタス君を側で監視できますよ〜」
「えぇぇ……」
ありありとイヤそうな顔をするフィリアへ、クロウリーがねっ? ねっ? と圧をかけてゆく。平凡顔の割に冷徹策士であるユウは、クロウリーのしつこい勧誘を見て彼の狙いはこれではないかと勘づいた。
「でも、私……ヴァニタスとペアなんて絶ッ対にヤダ」
「ハッ、こっちこそ。マヌケなエラクゥス一門に足を引っ張られるのはごめんだね」
「マヌッ……!? マスターの名を汚すのは許さない!」
「まぁまぁ、フィリアさん。ペアといっても、お互い成績や授業態度に問題がなければ支障ないことは、ユウ君たちを見てご存知でしょう?」
クロウリーが猫なで声で囁く。成績や授業態度に問題ありまくりの迷惑製造機であるユウの相棒は、しれっとした態度で尻尾をぶんぶん揺らしていた。
「卒業までの4年間だけですよ。ね?」
クロウリーの言葉に、フィリアは少し沈黙した後、ヴァニタスを見る。
「ヴァニタスは、本当にこの学校に通うの?」
「おまえだって、この世界から出られないのは、ここでやることがあるからじゃないのか」
鍵が導く心のままに。キーブレード使いの精神を聞いたユウは、「魔法が使えないなら、せめて俺もキーブレードみたいなチート武器がほしかった」という愚痴を捨てた。自分の人生は自分だけのもので、人知れず世界を守るなんて使命の元に、終わりのない戦いに身を投じるなどごめんである。
「4年間も、みんなを放っておくのは……けど、私……」
いつもお守りが入っているポケットに手を入れていたフィリアは、結局、最後はクロウリーの提案を受け入れ、ユウと同級生になった。
「ヴァニタス君。あなたゴーストですか? フム。思念体……。ひょっとして、フィリアさんにまた会いたいって思っていました? いやぁ、愛の力ってやつは時にとんでもない奇跡を起こしますからね。厄介なことに」
「あのキーブレードとは、実に素晴らしいものですね。ところで、フィリアさんをできる限り長くこの世界に引き留めたいので、ご協力願えませんか? あなたもこうなった以上、できるだけ長く彼女の側にいたいでしょう? もちろん、あなたのキーブレードも私たちの研究にご協力くださるなら、更なる協力も惜しみませんよ」
R2.9.11
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イイネ
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