「スタンプ係とはいえ、飲食店ですので。清潔感のある恰好でお願いしますね」

 オクタヴィネルの寮服がなくとも、学生ならば制服があろう。しかし、フィリアは名ばかりの雑用係であり、持ってるのはこの世界に来たときに着ていた服と寝巻にしているシャツ程度である。
 今日もユウが座学を受けている最中に城壁をかけ登り、実験中は塔のてっぺんから地面へ飛び降り、飛行術の授業で一緒にキーブレードで飛び回ったりした服は、清潔であると言いにくかった。
 バイト初出勤前にジェイドに言われたことを思い出し、土埃にまみれた己を鏡を見て、やっとフィリアは焦りだした。

「ユウ。この服じゃ怒られるかな?」
「あ〜。今日もいっぱい動いていたからなぁ……」

 ユウがう〜んと唸って、アッと何か閃いた。

「あった。コレでごまかそう」

 ユウが持ってきたのは、前にかけるタイプの白いエプロン。縁に小さなフリルがついているそれは、サテ、誰のもので、誰がくれたのだったか。

「今着てる服は、このままでいい?」
「まぁ初日だし、これでダメならあっちから何か言ってくると思うよ」

 「あそこで働くなんてどうかしているんだゾ」とツナ缶を抱えるグリムに挨拶して、早歩きでモストロ・ラウンジへ。薄暗い照明に、高級な家具で揃えられた内装。学生向けの割にはアダルトな雰囲気が漂う店内は、開店前のためジャズが流れておらず、水槽から静かに水音が聞こえてくる。

「来た、来た。待ってたよぉ、小エビちゃんたち」

 客席である大きな革張りのソファに寝っ転がっていたフロイドが、フィリアたちを見てガバッと起き上がる。

「お待ちしておりました」

 ジェイドもニコニコ出迎えてくる。念のため開店の1時間前に到着したはずだが、フロアの掃除やキッチンですでに働いているスタッフがいるのが見えた。

「開店30分前にはスタッフミーティングを行いますから、身だしなみを整えてきてくださいね」
「はい!」

 ユウが背筋を伸ばしたので、フィリアも思わずつられてピンとした。

「スタッフルームはこっちだよ〜。案内してあげる」

 上機嫌なフロイドの長い歩幅を追いかけて、客としては見たことなかったエリアに入りこむ。アズールのVIPルームへ続く道をそれて、幾分簡素な扉の前に立つと、フロイドはノックもなしにパカッと開けた。中に何人か着替え中の男子生徒がいたので、フィリアはギクッとして見ないようにする。

「小エビちゃんはここを使ってね。オキアミちゃんはこっち〜」

 言い終わるが早いか、フィリアはフロイドの小脇に抱えられ、VIPルームの前まで戻ってきた。フロイドは中にいるのであろうアズールに「入るよ〜」と声をかけると返事も待たずに扉を開ける。上品な香りが漂う部屋の中には、やはりアズールと先ほど別れたばかりのジェイドがいた。

「ああ、やはり予想していた通りだ」

 フロイドにホイッと降ろされたフィリアを見た途端、支配人席に座っていたアズールは頭を押さえ、ヤレヤレと首を振った。

「その異世界の服の趣向は置いておいても、ヨレヨレの土埃まみれじゃないですか」
「オキアミちゃん、今日もいっぱいパルクールしてたもんね〜。今度オレとも一緒に遊ぼ」
「しかし、彼女に服を貸し出そうにも……サイズが合う服が見つかるとは思えませんね」

 あ。やっぱりダメだった。
 男どもに口々に言われ、フィリアは早々にクビになるのかなとビクビクしながら、ユウが持たせてくれたエプロンを突き出した。おや、と三つの視線が集中する。

「エプロンじゃ、だめ?」
「着て見せてください」

 すかさずアズールに言われて、フィリアはロクに着た事もないエプロンを装備してみた。サイズはちょうどよいが後ろの紐に手間取っていると、サッとジェイドがやってきて、バランスよくリボン結びをする。ソツのない男である。
 アズールは支配人席に座ったまま、フィリアを頭から足先までジロジロ見てきた。

「まぁ、さっきよりはマシですね……しかし、僕の店のイメージに合うように、もう少しどうにかできないものか」

 そんなこと言われても、持ってきたのはこのエプロンだけである。オロオロしていると「あっ、いーこと思いついたかも」とゴキゲンなフロイドが近づいてきて、フィリアは立派なソファへ座らせられた。唐突の出来事にフィリアが目を白黒させている間に、ソファの後ろに立ったフロイドの長い指がフィリアの髪を梳きだして、やがて一つに結びあげる。

「リボンはないから、今日はオレのボウタイ貸してあげる〜」
「フロイド」
「いいじゃん。オレ、どうせつけないし」

 ジェイドがフロイドに「仕方ないですね」と苦笑している。フィリアはおそるおそるアズールを窺い見た。検品するかのような険しい目つきが恐ろしい。

「ま、及第点をあげましょう。問題の服装は、明日からはこちらでどうにかします……オンボロ寮に、それほど余裕はなさそうですし」
「もうすぐスタッフミーティングの時間ですね。行きましょう」

 アズールからOKサインが出たので、ジェイドに促されてVIPルームを出された。フィリアの心臓はバクバクと鳴っていた。アズールに服装をチェックされることは、ある種、キーブレードで魔物と戦うより恐ろしかった。
 頭上よりアハッと笑い声が落ちてくる。

「オキアミちゃん、落ち込んでるの? 及第点って言われたじゃん。大丈夫だって〜」
「でも、服……ごめんなさい」
「アズールが何とかすると言ったのですから、心配しなくていいんですよ」

 ホールに戻ってくると、ユウを含めたスタッフ全員が待っていた。いっせいにこちらを見て、みんな「あっ」って顔になる。
 ユウを見つけたので、フィリアは彼の隣に行こうとした。しかしフロイドが肩をぐわしっと掴んできたため、そのまま彼の前に立たされた。

「今日は前々から連絡していた通り、会計にスタンプ係を置きます」

 ジェイドが話しているのに、大勢のスタッフの視線が未だ刺さっている。先ほどのアズールの目つきを思い出し、フィリアは大層居心地が悪い思いをした。 
 ミーティングが終わる。よろしくおねがいします、と声かけしあって、それぞれの持ち場へとスタッフが移動してゆく。ユウはホールで接客をするらしい。メニューのカンペを手に、フィリアに笑むとドリンク用のグラスの用意へ行ってしまった。ユウが離れていったので、フィリアは急に不安になって、置いていかれた子犬のような気持ちなる。

「オキアミちゃん。効果バッチリじゃん」

 フロイドに言われた意味が分からず、フィリアは真上にある彼の顔を見上げる。見たこともない魚のあだ名で呼んでくる男は、視線が合うと垂れ目を無邪気に細めた。

「期待してるね」


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