楽しそうに皿洗いの分担を相談する面々をよそに部屋から出ようとしたゼアノートは、エラクゥスから呼び止められた。
「ゼアノートはフィリアの面倒を見ててくれ」
「は? なんで俺が」
「俺はこの後テラとアクアの修業があるから。頼んだぞ!」
言い逃げしたエラクゥスにゼアノートは大層腹がたったが、この世界から脱するまでこの城で世話になる以上、最低限の義理は果たしておかないと更に不便になるだろう。仕方なく小さなフィリアの襟首をひっつかみ、何か役立つ情報を持っていないか探ることにした。
「この城に書庫はあるか?」
「あるよ。ゼアノートお兄ちゃん、ご本が読みたいの?」
ゼアノートは「そのお兄ちゃんと呼ぶのはやめろ」と言いたかったが、機嫌を損ねて昨晩のように泣かれたらもっと厄介なので堪えた。
朝食の準備でずいぶん懐かれたようだ。フィリアはごきげんに「こっちだよ!」とゼアノートの手を掴んでぐいぐいと引っ張ってくる。幼女の歩調に合わせて長い廊下を辛抱強く進むと、少し凝った飾り彫りがされた木の扉の前に案内される。ドアノブに身長が届かずジャンプするフィリアを下がらせて重厚な扉を開くと、古い紙とインク特有の香りが鼻を突いた。
「ほう……」
ゼアノートは思わず感嘆をもらす。速読なゼアノートでも読みつくすには優に数か月はかかると想定するほど本が埋め尽くされた広大な書庫だった。早速本棚のひとつに寄って題名を見ると光と闇に関する情報が多めのラインナップだったので、ゼアノートはこの世界にきて初めて嬉しくなる。ひとまずここで知識欲は満たせそうだ。
閲覧用の椅子を決め、本棚の一段からまるごと本をぬきだしてテーブルに積み上げる。表紙をめくればゼアノートはあっという間に没頭した。
厚い一冊目がもうすぐ読み終わるという時、ギコギコ耳障りな音をたてながらフィリアがゼアノートの隣に椅子を引っ張ってきて、ゼアノートのように絵本をテーブルの隅に積みはじめた。年上の言動をよく真似るようだ。邪魔をせず、おとなしくしているなら文句はない。放っておくことにした。
三冊ほど読み終えた時、ふとゼアノートが壁にある時計を見ると昼時だった。さすがに昼食は作る気はない。飯炊き係はごめんだ。無視を決めこみ四冊目に手を伸ばした時、書庫の扉がいっぱいに開かれた。お玉を持ったエラクゥスだった。ゼアノートはすぐに本へ視線を戻す。
「ゼアノート。やっぱりここにいたか。フィリアも、ごはんできたぞ!」
「俺はいらない」
「食べなきゃ強くなれないぞ」
子ども扱いされゼアノートは煩わしそうにエラクゥスを見てから、沈黙したままのフィリアを見る。彼女は絵本を広げたまま健やかに眠っていた。静かなわけだ。
エラクゥスはゼアノートにお玉を押しつけ、フィリアが起きるか様子をみた。眠りは浅かったみたいでうとうとしつつも目を覚ます。もう一度エラクゥスから「ごはんだぞ」と言われたらにこっと笑った。
フィリアはエラクゥスの手を取り椅子からぴょんと飛び降りると、無邪気にゼアノートの腕を引いてきた。
「ゼアノートお兄ちゃんも、早く行こう」
「俺は…………」
行かないと言いたかったが、その瞬間エラクゥスの気配が変わった。決闘をしたときと同じ――強い殺気だ。「まさかこの子の誘いを断らないよな?」と無言の圧力がかかる。
「……わかった」
メシを食う、食わないで争う気はない。ゼアノートがしぶしぶ答えると、エラクゥスは通常の笑みに戻った。
昼食を終えた後、ゼアノートはすぐに書庫へ戻ってきた。昼食中はテラとアクアから期待をこめて「お口にあいますか?」とたずねられて「エラクゥスの料理よりうまい」と答えたら、エラクゥスの口車によって子どもたちに料理を教える役目を押しつけられそうになった。エラクゥスがどういうつもりか知らないが、必要以上に慣れ合う気はない。
ゼアノートがまた読書を再開すると、ふいに扉がコツコツ鳴る。何事かと見てみれば、扉の向こう側でフィリアがドアノブを開けようとしていたらしい。自力で開けられない彼女がここを出入りする度騒がれてはたまらないため、椅子のひとつをドアストップ代わりにしたら喜んで書庫へ入ってきた。
「あのね、ゼアノートお兄ちゃん、ちょっとこっち来て」
遊んでという誘いだったらすげなく断るつもりだったが、困り顔でどうも様子がおかしい。興味がわいたのでついて行ってやると、フィリアたちの自室の近くの一室から騒ぎ声が聞こえてきた。子どもがきゃんきゃんケンカする声だ。
「この部屋は誰もいないはずなのに、中から声がするの」
「開けてみればいいだろう」
「オバケだったら怖いもん……」
言ってフィリアがゼアノートの足にしがみついてくる。オバケは夜に出るものだと思いつつも仕方なくゼアノートが扉を開けてみると、フィリアと同じ年ごろの少年ふたり、金髪の子と黒髪の子が取っ組み合いのけんかをしていた。彼らを見た途端、ゼアノートの側頭部に痛みが走る。
追い求め、やっと荒野で出会えた少年――弟子として迎え鍛えてみるも一向に闇の力を開放せず――無理やり闇を引き抜いたら具現した仮面の少年の姿と、瞳から光を失くしてゆく少年の姿に分かれた――そして、エラクゥスに金髪の彼を預けようとする一連のヴィジョンが頭の中に流れてきた。身に覚えはないが、確かに己の記憶だという妙な確信がある。
これが昨日、エラクゥスが体験したことかとゼアノートにも合点がいった。
「ゼアノートも来てたのか」
その時、テラとアクアに連れられてエラクゥスがやってきた。「ぼーっとしてどうした?」と笑みつつ彼も部屋の中を覗いてアッと言う。子猫のじゃれ合いのように床をころがる少年たちを確認してから、ゆっくりゼアノートへ振り向いた。
「ゼアノート。あの子たちは」
「………………俺の弟子たちだ」
出会った時は十五歳ほどだった彼らがなぜ五歳児になっているのか。なぜ一緒にここにいるのか。ゼアノートは困惑した。
「コラ。もうおしまいだ」
エラクゥスが少年らをひっぺがして仲裁する。そのままその部屋の床に全員座り、自己紹介の流れとなった。
「俺、ヴェントゥス。ヴェンって呼んで!」
ヴェントゥスはくったくのない笑顔で素直に自己紹介したが、もうひとりの黒髪はぶすっとふくれっ面でそっぽを向いた。
「きみのお名前は?」
フィリアがワクワクたずねると彼はチラッと彼女へ視線を送り、思いきりベーッと舌をだした。少女がガーンとショックを受けているのをよそにフンと顔を横へそらす。
気丈なのは結構だが、まだこの世界で波風たてる段階ではない。ゼアノートはヴァニタスの頭をドアノックほどの強さでこつんとつつき、きちんと挨拶しておけと無言で命じた。察したヴァニタスは不満げな顔をして、しぶしぶ名乗る。
「……ヴァニタス」
子どもたちから口々によろしくと言われ、しばらく彼らの話がはじまる。ふたりは兄弟なの、どうしてここにいたの、帰る場所はあるの……主にヴェントゥスがすべてに分からないと答えれば、マスターが戻るまでここにいたらいいと盛り上がった。
「ますます、にぎやかになるな」
楽しげに笑う親友へ、ゼアノートは「そうだな」と適当に返事をする。ヴェントゥスとヴァニタス。未来のゼアノートが計画に必要としていた彼ら――あの映像だけではどう利用するのか理解しきれなかったが、彼らを鍛えればきっと役に立つはずだと考えていた。
R5.4.24
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