純白の城は内装も美しく整っていた。チリひとつない床に、大きなステンドグラスの色影が陽に透けて映っている。

「マスター! マスター・エラクゥス!」

 子どもたちがパタパタ足音を立ててそこらを走り回っていたが、いつになっても誰も出てこない。次第に彼らは「あれぇ?」と首をかしげ始めた。
 ゼアノートは涼しい顔をして立っているエラクゥスを肘でつつく。

「おい、呼んでいるぞ」
「ああ、俺じゃない俺を」
「どういう意味だ?」
「――後で説明する」

 彼らに聞こえないよう配慮しながら言ってくるエラクゥスに、ゼアノートは一段と機嫌が悪くなった。
 しばらくして、子どもたちがトボトボと戻ってくる。

「申し訳ありません。マスターは現在、不在のようです……」
「外出するなんて、聞いていなかったのに」

 うつむいているテラとアクアは気の毒なほどしょんぼりしており、フィリアはのんきに「どうしてマスターいないのかなぁ?」と首をかしげていた。
 エラクゥスが、あの太陽のような笑顔を見せる。

「実は、マスター・エラクゥスから頼まれたんだ。しばらく留守にするから、君たちのことを頼むって」
「えっ!?」
「――は?」

 とんでもないことを言い出す親友に、ゼアノートは子どもたちと共に驚いた。すぐに彼へ「何を言っている」と掴みかかって問いたかったが、話を合わせろと言われていたことを思い出し堪える。
 アクアが不安でいっぱいの表情でエラクゥスを見上げた。

「マスターはいつ帰ってくるのですか?」
「う〜ん、そこまでは分からないけど……大丈夫。必ず使命を果たして帰ってくる!」

 もともとキーブレード使いの使命に理解がある彼らは、強く断言されると信じたようだ。エラクゥスが「俺もマスターだから、修業も見るよ!」とつけ加えれば笑顔になる。

「しばらくお世話になります、えぇと……」

 テラが呼び方に困って眉を下げた。マスター・エラクゥスでは己のマスターと被ることが気になったようだ。エラクゥスが若干おずおずと言った。

「できればでいいけど、俺のことはマスター・エラクゥスって呼んでほしい。こっちはマスター・ゼアノート」
「はい。マスター・エラクゥス」

 子どもたちは戸惑った顔で、それでも頷く。一方、再度自己紹介に含まれたゼアノートは、この面倒事に巻き込まれる悪寒を察知し能面のような表情になった。



「――説明しろ」

 子どもたちが夕食の用意をすると言うので、見守るためキッチンへついてゆく道中。ゼアノートはエラクゥスの手首をガッシリ掴み、前方を歩く子どもたちに届かないよう声を絞ってエラクゥスに詰め寄った。エラクゥスは苦笑しつつ同じ声量で答えてくる。

「俺にもよくわからないが、将来、俺はあの子たちを弟子にとるらしい」
「どういう意味だ?」
「あの子たちを見た時に、おそらく未来の俺の記憶が流れこんできたんだ。俺が将来、次世代のキーブレード使いを育てている記憶だ」

 なんとも信じがたく不可解なことではあるが、本人が納得しているのなら、いいか――ゼアノートはエラクゥスから手を放した。

「それなら、おまえはここで弟子と暮らすといい。俺は行く」
「いや、おまえもしばらく俺たちとここで暮らすしかないぞ」

 キングダムハーツの出現を邪魔しようとしてきたエラクゥスの狂言だと思ったが、キーブレードを出していよいよゼアノートは絶句する――回廊が開かない。
 結果を見透かしていたのか、エラクゥスがゼアノートの肩を軽くたたいた。

「まぁ、時がくれば戻れるさ」
「おまえの仕業か?」
「まさか。俺だっておまえと同じだ」

 ゼアノートの殺気をサラッと躱し、エラクゥスは子どもたちの元へ行ってしまった。今日はカレーにしようなんて和気あいあいとしている彼らを見て、ゼアノートは深いため息を吐く。


 
 エラクゥスと共に野菜の皮をむき、食器の用意をさせられたゼアノートは夕飯に甘いカレーを食べると、空いている部屋に案内された。スカラアドカエルムとあまり変わらない簡素な設備に不満はないが、異世界への道を開けない不便は堪えた。一刻も早く世界を巡り、キングダムハーツについて調査したいところなのに――。
 じっとしていられず部屋から出ると、宣言どおり、エラクゥスが子どもたちの面倒を見ていた。すっかり打ち解けたらしく、片手でフィリアを抱え、もう片方の手はアクアと繋ぎ、テラから彼らのマスター・エラクゥスの自慢話を聞かされながら、風呂上がりの彼らを自室まで送り届けてやるところらしい。朝まで溌剌とした独身の若者だったエラクゥスが、慈愛のまなざしをもつ父親になっている姿を奇異な思いで見送った。
 しばらくゼアノートが城の窓から見事な星空を眺めていると、やっと子どもの寝かしつけが終わったらしいエラクゥスが疲労をにじませた顔で戻ってくる。

「やっと寝てくれた……」

 ゼアノートが無言で視線を星空に戻せばエラクゥスは当然のように隣へやってくる。気安くゼアノートの顔をのぞきこんできて、まるで決闘なんてなかったかのようだ。

「もう少しあの子たちと触れ合ってみろよ。かわいいぞ」
「おまえの弟子なんだろ」
「おまえだって、いつか弟子をとるかもしれないだろ?」

 研究したいことが山積みで、他人の人生の面倒を見るどころかあと13人分の人生の時間が欲しいのだ。そんな未来がくるとは思えないゼアノートはそれをつまらぬ戯言ととらえた。エラクゥスが微笑する。

「そんなことありえないって思っているだろ。未来は誰にもわからないさ」

 その通り、未来は分からないだけで運命は決まっているものというのがゼアノートの見識だ。

「俺はこんなところで無駄な時間を過ごすつもりはない。おまえがそのつもりなら、出口を見つけたら俺だけ出ていく」
「ここへは俺たち二人で来たんだ。二人じゃなきゃ、きっと帰れない」

 妙に確信めいて話すエラクゥスがゼアノートは気に入らない。ゼアノートはイライラとエラクゥスを睨んだ。

「エラクゥス。おまえ、何かを知っているのか?」
「未来の俺の記憶を感じた時に少しな。それに、おまえを止めたい俺にこの世界は都合がいい」
「――勝手なことを」
「勝手なのはどっちだよ」

 口喧嘩になりかけた時、廊下の奥から幼女のすすり泣きが聞こえてきた。気づいたエラクゥスが慌てて向かいフィリアを抱き上げて戻ってくる。フィリアは目にいっぱい涙をためてエラクゥスの服をぎゅうと握りしめていた。

「どうした、怖い夢でも見たのか?」

 エラクゥスが笑顔で必死に慰めようとするもフィリアは無言で首を横に振るだけ。ゼアノートは厄介な面倒事のように感じた。

「アクアたちを呼んできた方がいいんじゃないか」
「もう寝ちゃってるから、俺がなんとかする」

 子育てはおろか後輩の育成だってしたことのない親友に、この難問を解決できるのか。俺に任せろと意気込むエラクゥスへゼアノートは静観を決めこんだ。ゼアノートからの視線に気づくとフィリアがぴゃっと隠れるようにエラクゥスに抱きついたので、ゼアノートはエラクゥスからジトッとした目で見られるハメになった。

「ゼアノート。怖い顔で睨むなよ。怯えちゃうだろ」
「俺の側でやらなきゃいいだろ……」

 睨んでないのに。これがふつうの顔なのに。内心ショックを受けるゼアノートをよそにエラクゥスはフィリアへたくさん話しかけた。しばらくすると落ち着いてきたのか、フィリアはぽつりと「マスターに会いたい……」と呟く。エラクゥスがあ〜と天を仰いだ。

「そうか。恋しくなっちゃったか〜……」

 食事の席で聞いたことだが、この時代のマスター・エラクゥスとやらはヒゲを生やした中年男らしい。確信はないが、このエラクゥスがいる限り彼らのマスター・エラクゥスは戻ってこられないのではないかとゼアノートは推察した。

「付けヒゲでもしたらどうだ」
「持ってるわけないだろ」

 持っていたらしたのか? ゼアノートがひげ面のエラクゥスを様々想像していると、パタパタパタと足音がしてアクアがやってきた。彼女はエラクゥスに抱かれていたフィリアを見て、「ああ、やっぱり」と駆け寄ってくる。フィリアもアクアの側に行くためエラクゥスの抱っこから降りたがった。

「フィリア。お客さまに迷惑をかけちゃだめよ。ほら、おいで」
「アクア……うん」
「今日はいっしょに寝てあげるから」

 アクアが振り向き「マスター・エラクゥス、マスター・ゼアノート、おやすみなさい」と頭を下げる。フィリアもぺこんと頭を下げて、ふたりはアクアの部屋に帰っていった。
 結局何もできずにポツンと取り残されたエラクゥスへ、ゼアノートは微笑を送る。

「おまえがなんとかするって?」
「言うなよー。これからだ。これから!」

 ブツブツ言い訳するエラクゥス。ゼアノートはその「これから」が長くなる前に早くここから脱出したいと願い、再びため息を吐くのだった。




R5.4.22


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