憎い、憎い、憎い、にっくき……。

「うぬぬぬぬぬぬ……」

 鏡と睨み合って早十五分。朝の五分は夜の三十分に相当するくらい貴重なのに、朝練までの短い時間の中、もうその三倍を費やしてしまっている。原因は前髪の端っこ。今日の髪型に相応しくない方向へそっぽ向いていて、さっぱり言うことを聞いてくれない。
 ピンで止めたり、水をかけたりするが、強靭なこのひと房はさっぱり私の言うことを聞いてくれない。普段は意識すら止めない程度の存在なのに、どうしてこういうとき強烈な自己主張をしてくるのか……!
 大広間に向かう時間まであと4分。もう諦めて別の髪型にする? いやいや、今日はこれにしたい。だって、この髪型は以前テラが「似合う」と言ってくれたものだから。





 ひんやりとした空気の大広間。
 朝練は、いつも一番最初にテラが来ている。私はその次、アクアがその次。ギリギリで寝ぼけまぶたのヴェンがやって来て、時間通りにマスターが来る。
 のだけれど、今日は違っていた。

「誰もいない……?」

 クリスマスの朝目覚めて、プレゼントはありませんでしたーっ! ってくらいのガッカリ感。
 私のテンションがガタ落ちして、いつも整列する場所までとぼとぼ歩く。
 どうしてテラがいないんだろう。アクアが来るまでの数分間が、絶対に私がテラを独り占めできる時間なのに。一日をがんばる活性剤なのに。
 大広間に猫背でポツーンと立ちすくす私。ちゅんちゅんと仲睦まじい鳥が二羽、楽しそうに窓の外を飛んでった。あんたたちはいいわよね。私もテラとそうしたい。
 ……まぁ、いないものに文句を浮かべ続けていても仕方ない。むしろ、真面目なテラにしては珍しいことで、これは超貴重な体験。好きな人がやってくるのを、わくわくしながら待つ……プレゼントの宅配がちょっと遅れただけのことだ。テラのことを思えば、時間なんていつもあっという間なんだから。
 私は腕を組み、目を閉じた。
 今日のテラの前髪はどんな感じなのだろう。湯上りあとの前髪を下ろしたテラも素敵だけれど、あのまっすぐな目がよく見えるあの髪型は男らしいし、何より彼に似合っていてとても好き。あの髪は、柔らかいのかしら硬いのかしら……まだ、触ってみたことがない。毎日毎日、嫌になるほどキーブレードの修行ばっかりで、もっと触れ合うきっかけがほしいところだ。触れ合うきっかけ……例えば「あっ、テラったら、肩紐が捩れているわよ。ウフフ、私が直してあげる」とか「もう、鎧の手入れはちゃんとしてる? ここ、傷が目立ってるわよ。仕方ないわね、私と一緒に磨きましょう」とか。

「やってみたい……!」
「何を?」

 ぎゃっ、と叫びそうになった。

「おおおおはよう、アクア!」
「おはよう、フィリア」

 にこにこ笑顔のアクアだった。よかった、テラじゃなくて。あっ、でも二人きりの時間の可能性がなくなった。

「フィリアったら、ずいぶんひとりで楽しそうだったけれど、何を考えていたの?」
「別に……って、そういう言い方しちゃあ、まるで私が不審人物みたいじゃない」
「あら。でも、見たままを言ったまでよ」

 くすくす、と可憐に笑う青髪の美少女アクア……私の強大なライバル、その1。
 まず――その脅威なる胸囲。私と変わらない年頃の癖に、男性の視線をマグネガするほどの存在感。私も負けじと毎日胸元マッサージなる鍛錬を積んでいるけれど、悲しきかな、惨敗している。以前、その弾力の揺れざまにテラが赤面していたときがあった。もし私が彼女に負けたとしたら、絶対にその部位のせいだ。
 私のジトーっとした視線に気づき、アクアが己の胸元を見る。

「どこかおかしかったかしら?」
「いえ、完璧よ。今日も絶好調そうだなって思っただけ」

 「そ、そう?」曖昧にアクアが笑う。戦うときは勇ましいのにこの微笑みの色っぽさときたら! 家事の腕も非の打ち所がないし、私が男だったならきっと彼女に惚れていたに違いない。しかも秒殺で。メロメロに。

「フィリアは……今日はなんだか不調そうね」

 見事な洞察。確かに今日の私は前髪に反乱され、小指のマニュキュアがちょっと剥がれ、目の下にちょっと隈があったりで、もう散々によろしくない。ヤケクソな気持ちであはは、と軽く笑っておいた。

「そうかもね。夜ふかしなんて、するもんじゃないわ」
「無理しないでね」
「ええ、ありがとう」

 テラがいたらすぐに万全になるから平気よ、とは恥ずかしいので言えない。あーあ、テラまだかな、まだかなー。
 念が通じたのか、バンッと大広間の扉が開いた。しかし、転がり出てきたのはヴェン。

「おはよっ、二人とも!」
「おはよう、ヴェン」

 アクアが優しい分、私は厳しく。

「ヴェン。扉はいつも静かに開閉するようにって言ってるでしょう?」
「あ……ごめん」
「まったく、もう。髪も濡らしたままで」
「ん」

 顔をざっぱり洗ってよく拭かずに来たのだろう。雫をつくる髪先をハンカチで拭ってやろうとすれば、ヴェンは素直に目を閉じた。簡単に丹念にふきふきふき。

「はい、できたわ。おはよう、ヴェン」
「ありがと」

 眩しい笑顔を見せる美少年ヴェントゥス……私の強大なライバル、その2。
 なによりもその無邪気さが凶器。出会い方も原因のひとつだけれど、私たちは一番年下のヴェンが可愛くて仕方がない。少々、やんちゃなところもあるけれど、素直で懐こい性格は人を惹きつけ、何かと構ってやりたくなる。同性というところもあるのだろう、テラを一番独占しているのがこの彼なのだが……絶対に憎めそうにない。

「フィリア……フィリアったら、子ども扱いはやめてよ」
「――ハッ!」

 気が付けば、私はヴェンの頭を撫でていた。最近、やけに子ども扱いを嫌がるようになってしまったが、そういうところもまた可愛いと思わせる――恐ろしい子だ。

「そういえば、テラは?」
「まだ来てないわ。珍しいわね」

 アクアが答える。そうだ、テラ。テラテラテラ。
 また扉が開いた。マスターだった。はいがっかり。

「おはようございます、マスター!」

 私たちは背筋を伸ばし、挨拶する。

「おはよう。……テラがまだ来ていないのか。珍しいな」
「私、起こしてきます!」

 そして寝起き顔のテラを記憶に焼き付けて――!

「よい。まだ予定の時間まで余裕がある。急かさずに、待つとしよう」
「……はい」

 穏やかに笑って、椅子を目指し歩くマスター・エラクゥス……私の強大なライバル、その3。
 なんでマスターまでなのかって、決まってる。テラが尊敬してる人だから。もちろん、私もマスターに師事する身だから敬愛しているけれど、弟子の中で一番マスターを敬慕しているのはダントツでテラだと思うし、マスターが期待しているのもテラだと思う。もっと言えば、付き合いが一番長いのもやっぱりマスターだし、「息子さんを私にください」ってセリフは、マスターに言えばいいのよね?

「…………」

 それにしても、私の大好きな人はいつになったら現れるのだろう。わくわくしていた気持ちは、すでにいらいらになっている。テラが来るの遅いとわかっていたならば、前髪との戦闘時間、あと五分は余裕があったのに。


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