秋なのに暖かい日差しの休日の午前。ユウは錬金術のレポートをまとめあげ、折り目のほとんどついていない教科書を閉じた。そろそろ昼食の用意を始めるのにちょうどよい時刻である。
 同居人の一人と一匹も腹ペコであろう。そこで、ユウはオンボロ寮があまりにも静かなことに気がついた。いつも彼らは何かと騒いだり走り回ったりしてユウの勉強を邪魔するのに、今は笑い声ひとつ聞こえない。

「ふたりとも、何してるんだろう?」

 談話室へ向かうユウの歩調に合わせて、古い廊下の木床がキシキシ鳴る。窓から差す光に宙を漂うホコリがキラキラ輝いている。

「おや。ユウ君。レポートが終わったんですね。感心、感心」
「学園長? いつからいたんですか?」

 談話室の扉を開けば、まるで自分の家かのようにソファに足を組んで、紅茶を楽しんでいるクロウリーがユウに微笑んできた。彼はユウの質問には答えず、代わりにシィと口元に人差し指を一本たてる。
 不思議に思いつつもユウは素直に口を結んでクロウリーの側へ行くと、理由が分かった。クロウリーの視線の先、数人掛け用のソファにフィリアとグリムが身を寄せ合ってすやすや眠っていた。静かなワケだ。あまりに無垢で無防備な寝顔に拍子抜けする。問題ばかり起こす彼らも、寝顔だけは可愛らしい。

「今日は秋なのに暖かいですから。絶好のお昼寝日和ですね」

 ホホホと仮面をつけたまま笑うクロウリー。ユウは少し反応に困った。突然迷いこんだ魔法が当たり前にあるこの異世界。この胡散臭い男を頼るしかないが、本当に信用しきっていいものか。
 ユウはフィリアたちの眠っているソファに残っていた隙間にそっと座った。安心しきっているのか熟睡なのか、ふたりとも全く起きる気配がない。

「それで、学園長。今日は何のご用ですか?」
「チョット、ユウ君。いつも面倒ごとを押しつけてくるからって、そんなあからさまな顔をしなくても……。今日は本当に、あなたたちの様子を見に来ただけですよ」
「そうですか。てっきり元の世界に帰る方法が見つかったのかと」
「アッ……あ〜〜〜。それは全力で調査中です。いやいや、私もがんばってはいるのですよ……」

 クロウリーが誤魔化すように紅茶を飲む。ユウは彼をジト目で睨むだけに留めた。
 フィリアがモゾモゾ動いて、グリムの毛並みに頬ずりをすると再び寝息をたてはじめる。ユウはそのままフィリアを見つめた。

「フィリアは『この世界に来る前は、異世界を渡り歩いていた』と言っていました。彼女なら、俺を元の世界に戻せるんでしょうか」

 今は異世界を渡る力が失われていると言っていたが、毎晩、フィリアがキーブレードなる剣を持ち出して、異世界への扉が開けないか試しているのをユウは知っている。
 クロウリーがティーカップをそっと膝の上に置いた。

「それが可能か、フィリアさんに訊いてみたんです?」
「一度訊いてみたことはありますが『わからないし、いまは約束できない』って言われました。異世界といっても鍵に導かれた先の世界へ進むだけで、フィリアが行きたい世界を選んで進んでいるわけではないとも」
「まぁ、そうでしょうね。彼女の鍵に期待するのは私もおススメしませんよ」
「やけにハッキリ言いますね。なぜですか?」

 少なくても、探索自体をスッカリ忘れてしまっているような反応をするクロウリーよりは、フィリアの方が可能性を感じる。
 クロウリーは足を組みなおして、声のボリュームを落とした。

「次元が違うからですよ」

 ユウの脳裏に浮かんだのは、二次元と三次元。アニメと現実。なぜかゲームの画面から出てこられない俺の嫁。
 しかし、クロウリーがあまりに真剣であったため、ユウは乾いた笑いすら出せなかった。

「俺にも分かるように、お願いします」
「フィリアさんのキーブレードは、この世界では、超弩級の禁忌です」
  
 クロウリーがティーカップをゆらゆら揺らす。

「そもそも、封印なんてされてるものはロクなものじゃないんですよ。大量虐殺により生まれた怨嗟のモンスター。開いただけで人格が乗っ取られる悪魔の禁書。持ち主を一族ごと不幸にする呪われたダイヤモンド。柄を握ったらバーサーカーになって永遠に血を求めてさ迷う呪いの剣、エトセトラ、エトセトラ……」

 クロウリーが指を折るたび、ユウは血なまぐさい内容にウゲッと顔をゆがめてゆく。

「そしてそれらはどれも尊い犠牲を捧げてようやく封じられたものです。滅ぼすのが叶わず、しかし二度と世に出ないようにと願いをこめて」

 しかし、キーブレードはその鍵先を向けるだけで、どんな鍵も封印も暗証番号だっておかまいなしに開いてしまう。一方で永遠に封印することだってできるとも。

「しかも何度使ってもノーリスク! この能力だけで、十分、反社会組織に狙われますし、各国家から監視もつくでしょう。まぁこの学園にいる間はかわいそうな迷子扱いで済ませていますが。私、優しいので」
「そんなにすごいものなんですか……?」
「異世界への扉を開き、武器としての斬れ味も超優秀。実体のないものすら切り裂いて、心を抜き取って身体を乗っ取れてしまうとか。どの能力ひとつとっても、この世界の魔法で行おうとしたら、どれほどの準備と代償を必要とするのか……想像したくもありません」

 ユウは改めて隣で魔獣とすぴすぴ眠っている少女を見た。髪が顔にかかっていたので、そっと指で流してやる。

「もう一度言いますが、次元が違うんですよ。ひとひとりが持つにはあまりにも影響力が大きすぎる。フィリアさんには、他にも同じ剣を持つ仲間がいるとか。彼らが本気で戦う時は、すべての異世界すら巻き込むほどの規模でしょうね」

 そんなものに安易に縋って、元の世界に戻れるどころか、どうなっても保障できませんよ。クロウリーの言葉は冷たくユウの鼓膜を揺さぶった。
 お菓子を与えたらホイホイついて行きそうだし、柔らかそうで小さい身体は、鍛えていないユウですら簡単に押さえつけられそうなのに。ユウはフィリアから目を離して、クロウリーを見た。いつもコロコロ表情豊かな仮面はフィリアたちを見つめていて、いまは不気味さを感じるほど、どこまでも無表情だ。

「悪用しようと思えば、いくらでも簡単に世界を混乱に落とせるでしょう。だからこそ、素直で優しい、いい子に育てられたんでしょうねぇ」

 空になったらしいカップが魔法で台所へと飛んで行く。ユウは昼食の用意をしなければならないことを思い出して立ち上がった。

「ユウ君。オンボロ寮の監督生として、しっかり寮生の監督をお願いしますね。あと、自分の身はある程度は自分で守れるようになったほうがいいですよ」
「は?」

 この話の流れでそんなことを言われると不気味である。ユウが身構えながらクロウリーを振り向くと、彼はいつもの笑みを浮かべていた。

「フィリアさんは、自分のために何かするということをしないでしょう? 彼女が動くのは、彼女にとって大切なもののためです」

 クロウリーが金属の爪をつけた指をユウに向けて、口端をニィと釣りあげた。

「そして、キミとグリム君は彼女にとって“大切な友人”みたいですから」





R2.9.26


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