次の日。
 フィリアは今日も元気に校舎の壁を走っていたが、ひょいとフロイドに捕まった。そのまま仔猫のように引っ掴まれて、オクタヴィネルにのアズールのVIPルームへ連れ込まれる。

「ようこそ。フィリアさん」
「お待ちしておりました」

 中では、またアズールとジェイドが待っていた。しかし、VIPルームの様子はいつもと違う。女性用の服がぎっしり吊るされたポールハンガーが二つ。豪奢な机の上にはアクセサリーが所せましと並べられ、照明の光にチカチカと輝きを返している。カリムの宝物庫かと見まがうVIPルームの様子になにやらイヤな予感がし、フィリアは思わず自身を抱えたままのフロイドの制服にしがみついた。

「そう怯えずとも、大丈夫ですよ」
「そうそう。これから楽しいことするんだからさぁ」

 ジェイドとフロイドに言われるも、フィリアは脱出方法を考えていた。普段ユウにニブいと言われるフィリアにもさすがに分かる。ここにあるものは明らかに自分のために置かれたもの。「おまえを着せ替え人形にしてやろうか」の流れである。

「フィリアさん。昨日はラウンジで大変不愉快な思いをしてしまったと聞きました。僕としては、ぜひあなたには長く協力していただきたい。正式な雇用契約は結んでいませんが、出来る限りの労働環境改善に努めるのが、雇用主の務めです」

 女性ファッション雑誌を手に、アズールがにぃっこり笑った。





 今日のユウは遅番である。アズールよりフィリアはすでに出勤したとの連絡を受けていたため、グリムにツナ缶ではない夕飯を与えてからオンボロ寮を出発した。
 オクタヴィネル寮への鏡を抜けると、モストロ・ラウンジへ続く通路だけ人口密度が多い。ユウがチラチラ彼らを気にしながら歩いてゆくと、彼らの大半はスマホを覗き込みマジカメの「今日のフィリアちゃん」を見ているようだった。今日もまたしょもしょもになったフィリアを慰めることになるのかなと、ユウは面倒半分、残り半分は彼女を哀れむ気持ちになった。
 従業員用の出入り口からすぐにスタッフルームへ。着替えた後にホールへ出ると、丁度スタンプ係が出ているようだった。早速働き始めながらユウがフィリアをチラッと見やると、驚きのあまり足が止まり、持っていたドリンクを落としそうになる。

「あれ、フィリア?」

 アズールの横で客に微笑んでいたのは、まるで妖精か人形と見紛うほどに綺麗に整えられたフィリアであった。美しいドレスを着て、普段結ばない髪を編みあげ、薄く化粧までされている。フィリアはユウに気づくとパッと素の笑顔を見せ手を振ってきた。ユウの近くにいた男どもが流れ弾に当たって喜んでいる。
 しばらくして、ジェイドに耳打ちされたアズールに連れられてフィリアはまたバックヤードに引っ込んでいった。アズールの客が来たのだろう。また新しい客たちがぞろぞろと入ってくる。ユウはホールの仕事に追われ一息つく間すらなかったので、フィリアに話しかけられたのは閉店後のことであった。

「アズールが、この恰好でちゃんとできたら、ご褒美にデザートもくれるって言ったの」

 カウンターでジェイドに作ってもらったパフェを頬張りながら、フィリアはニコニコと語る。

「アズール先輩」
「あずーゆ、せんぴゃい」
「食べながら話さない。そんな綺麗な服着てるんだから、こぼさないように気をつけてよ?」
「ん」

 フィリアがパフェに夢中になってしまったので、ユウはまかないをつつきながら、正面のカウンター内にいるジェイドとフロイドを見上げた。どちらも面白そうにフィリアの食べっぷりを眺めている。

「おかげさまで、売り切れメニューが続出するほどの大盛況でした」
「オキアミちゃん効果、マジすげーね」
「この綺麗な衣装、まさか買い取りですか?」

 もしそうであれば、昨日割った食器と衣装とで、給与天引きどころか、支払わなければならないのでは。ユウが心配すると、ジェイドは「いいえ」と首を横に振る。

「これはアズールのツテでお借りした衣装なので、心配ご無用ですよ」
「もちろん、アクセサリーもね」
「はぁ。そうですか……」
「ところで、小エビちゃんにお願いがあるんだけどぉ」

 こいつらの「お願い」や「お話」といった単語は恐ろしい内容の代名詞だ。ギクッとユウの肩がはねると、ウツボ兄弟は「そう構えることじゃないよ」と笑った。

「これあげるから。オキアミちゃんに使い方教えてやってよ。アズールお気に入りのブランドのだから、香りも気に入ると思うよぉ」
「なんですか。この、めちゃくちゃお高そうなビン類は」

 美しいロゴが刻印された紙袋の中に並べられていたのは、これまた鮮麗されたデザインのビンや缶のケースであった。ユウが知っている範囲で例えるならば、クルーウェル先生が鍵付きの戸棚で管理する「貴重な魔法薬」の入れ物に似ている。

「おや、ご存知ありませんか? スキンケア用品ですよ」
「いやそれは知ってますが、なぜに……?」
「オキアミちゃんの服とか装飾とかはこっちでなんとかするからさぁ。そういうのは小エビちゃんが面倒みてやって」
「えぇ? よく分かっていないんですが。そもそも、なんでこんなことに」
「問題を解決するためですよ」

 美しい声で割り込んできたのは、VIPルームから出てきた超ごきげん・お金大好き・アズールだった。

「昨日、ユウさんがおっしゃった問題点は二つ。フィリアさんが無断でスマホ撮影されることを嫌がっていること。そして、フィリアさんが見た目を心配をしていることーーですので」

 話しながら、アズールはユウの横に腰かけた。パフェを食べる手を緩め、フィリアもアズールの話に聞き耳をたてている。

「本日からモストロ・ラウンジ内で従業員の撮影を禁止にしました。マニュアルに追加されているので、ユウさんも確認してくださいね。まぁ、紳士の社交場でスマホをパシャパシャ鳴らす無作法な方は追い出してもいいのですが」

 ジェイドが紅茶を差し出したので、アズールはひとくち飲んだ。

「後者の問題は、フィリアさんに自信をつけていただくしかありません。僕の店に相応しい装いをしていただきたいのもありましたし」
「そうでしたか。でも、衣装はともかく、このスキンケア用品は有料ですよね? いったいいくらお支払いすれば……」
「結構です。フィリアさんに支払えないバイト代だと思って下さい」

 ユウはもう一度紙袋の中を見た。化粧水、美容液、乳液、ボディクリームにヘアケア用品、香水まで。ウツボ兄弟は鼻がきくと言っていた。香りがするものはサボったらバレる。

「使い切ったら言ってください。また支給します」
「はぁ……わかりました……」

 ユウは生返事をしながらフィリアを見る。パフェを食べ終え、満足した笑みでジェイドに礼を言っている。その笑顔は、普段のお転婆ぶりが想像できないほどに可憐だ。衣装ひとつ、髪型ひとつでかくも女性はこうも変わるのかと感心すると同時に、これから更に美を磨いてゆくと、男たちが黙ってなくなりそうだという危惧も強くなった。




R2.9.22


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