「いいですか。いくらフィリアさんをエサにするとしても、常に店に出していてはありがたみがありません。重要なのは、“客を回したいときだけ出す”こと」

 フィリアとユウを勧誘しに行く前日。VIPルームにジェイドとフロイドを呼びつけたアズールは、メガネのブリッジを指で押し上げながら言った。

「それに、彼女を眺め続けようと延々とジュース一杯で居座られでもしたら本末転倒だ。“いつ現れるか分からない”、“現れた時に会計しないと彼女にスタンプを押してもらえない”……そう印象づけることによって、客の回転率を上げる。これはそういう作戦です」

 まーた、アズールが何か始めようとしているぞ。ジェイドは表向きはニコニコ人好きのする笑顔をしていたが、腹の中では新しい刺激に舌なめずりしていた。あんまり気乗りしていなそうなフロイドとチラッと視線を交わし合って、それぞれ浮かんだ疑問点を口にする。

「ただでさえ忙しい時に、なんかチマチマ面倒くさそ〜。スタンプなんて別に誰が押しても同じじゃない?」
「お客様同士で盛り上がって、フィリアさんの登場に気づかないのでは?」
「では、彼女にはスタンプカードを手渡しでお返ししてもらい、そのままお見送りまでしてもらいます。目立たなさはそうですね……登場の際、おまえたちがエスコートする態でわざと客の側を歩かせればいいでしょう」
「ヤダ。混雑時の話でしょ? オーダー捌きながらそんなことしてる暇あるわけないじゃん。やるならアズールがやってよ」
「確かに、その方がより目立ちそうだ」

 ジェイドもフロイドに賛同すると、アズールはキョトと素の顔をした後「なるほど。いいでしょう」とドヤ顔に戻った。

「それと、フィリアさんは能天気で底抜けのお人よし――もとい、素直そうではありますが、やはり異世界から来た女性ですし、万が一、僕たちの手に負えないことが起きても収拾できるよう、監督生さんも巻き込んでおきましょう。ええ、きっと彼にだって金はないよりもあるほうがいいに決まっていますから」
「おやおや。グリムくんは誘わないので?」
「アザラシちゃんはすーぐ泣きごと言うからなぁ。小エビちゃんなら真面目そうだし、いいんじゃね」

 そもそもフィリアたちに断られるとは微塵も思っていないアズールの盲点を、ジェイドはワザと指摘しないで、交渉の席で楽しもうと思っている。彼といると本当に楽しくて飽きないのだ。



 かくして、当日。
 女性を店で見せびらかすというアズールの予定を裏切って、フィリアは外で遊びまわってきたままの姿でラウンジにやってきた。昼に、塔から飛び降りる彼女を見たアズールの表情はいま思い出しても笑いがこみ上げてくる。

「ジェイド、先輩。私、まだ、どこか変?」

 白いエプロンと結われた髪がヒラヒラ、ユラユラ、誘うように揺れているのを眺めていたら、らしくなくおずおずと声をかけられたので、ジェイドは努めて穏やかに微笑み返した。

「いいえ。どこも変じゃありませんよ。ああ、緊張しているのですか?」

 ジェイドが腰を折って顔を近づけて囁くように訊ねると、フィリアは小さく何度も頷いた。
 普段はオーバーブロットした者の前に進んで飛び込んでいく豪胆さがあるのに、今のフィリアのこの頼りなさは何だろう。どうせラウンジの仕事もケロッとした笑顔でこなすであろうと考えていたジェイドは、またしても己の予想と違った彼女の様子を新鮮に楽しんでいた。

「そう固くならないで。いつもの笑顔でお客様と接していただければ十分ですから」

 フィリアの髪は別に乱れていなかったが、ジェイドはさも整えてやるかのように彼女の耳もとの髪に触れ、スッとなぞった。ピクッと肩が揺れる彼女の反応が楽しい。

「開店したら、店の奥に戻って構いませんよ。混みあって来たらアズールが呼びますので、すぐ分かる場所に居てくださいね」

 オンボロ寮の面々には伝えていないが、すでにアズールとジェイド、そしてオクタヴィネルの情報通らによって、今日から彼女がモストロ・ラウンジで働くことをマジカメやウワサで拡散済みである。彼女に近づきたいとする者、ウワサ好き、新しいもの好きなヒマ人等がどれだけ来るだろう。店ではいつもより2倍多めに仕込みを用意した。さぁ、どんな結果をはじき出すのか楽しみだ。



★ ★ ★



 開店直後、あっという間に満席になって、フロアもキッチンも慌ただしい忙しさに見舞われていた。フィリアはスタッフルームの扉の前から疎外感たっぷりに彼らを眺める。さすがフロイドとジェイドは長い腕にいくつも料理を乗せてオーダーを複数同時に片付けているし、ユウも初めてながら、一生懸命オーダーと料理を運んでいる様子が見えた。

「……もう帰りたい。修行していたい……」

 乞われて働きに来たのに暇すぎて、フィリアはブツブツ呟いた。スタンプ係といっても、お呼びがかかった時にしかスタンプも押せないらしい。

「フィリアさん。出番ですよ」

 開店から30分経った頃、VIPルームからやっとアズールが出てきた。フィリアは先ほどめちゃくちゃ怒られてしまったので正直アズールにビビっていたが、今のアズールは上機嫌・お金大好き・営業スマイル・アズールだった。

「ジェイドに教わったこと、覚えていますね?」
「えっと……言われた数だけスタンプをカードに押す。笑顔でお客様にお返しして、『またのお越しををお待ちしております』って言う」

 指折りながら答えると、「そうです。それをいつもの笑顔でできれば完璧です」と頷かれた。

「さあ、行きますよ」
「わっ」

 唐突にアズールに右手を掬い取られ、まるでダンスをエスコートされるかのようにフロアへ導かれる。忙しい従業員たちの邪魔はせぬよう、しかしこの店の支配者らしく堂々と歩むアズールに引きずられるように、フィリアは出口付近のレジを目指した。
 ドリンクや食事、会話に夢中だった客らが気づいて、指さして囁きあったり、スマホをフィリアたちに向けたりしてきた。パシャ! と撮られる音がして、ユウに撮らせちゃだめだと言われているのにと、フィリアはとても不快に感じた。
 モストロ・ラウンジは会計に客を並ばせない。スタッフがレジまで客の金を運び、客の席まで釣りと控えを届ける。
 アズールが会計に立って、フィリアはその横にスタンプを構えて立った。すると、次々と客がスタッフを呼び止め、申しつけられたスタッフたちがアズールの元へやって来る。

「5番テーブル、チェックお願いします」
「3番テーブルと1番も」
「7番もお願いします」
「わかりました」

 ひとつのテーブルに複数人、それぞれがポイントカードを貯めにきているため、会計も別だしポイントもバラバラだ。ものすごい速度で計算をするアズールに「これは1つ。これは3つ、これは新しいカードも用意して」と細かく指示されて、フィリアはドキドキしながらスタンプを押していった。
 カードはフィリアから手渡しとの指示のため、出口に来た客ひとりひとりにカードに書いてある名前を読み上げて返さねばならなかった。反応は様々だ。多くは「名前を呼んでもらった」と喜ぶ人や「また来るね!」と手を振り返してくれる人で、たまに不愛想に受け取る人。カードを渡す際、逆にフィリアの手を掴んできて「今日の恰好、すごく可愛いね! 一緒に写真とってよ。マジカメにあげていい?」と訊ねてくる客もいた。それは近くにいたフロイドに蹴とばされて写真を撮らずに帰っていった。
 客は店外に並んでいるらしく、同じ数が新たに入ってくる。このまま出ずっぱりになるのかなと思いきや、フィリアはアズールから「一度、戻りましょう」と言われ、来た時と同じように手を引かれて奥に引っ込むことになった。戻り道は「え〜!」とか「もう戻るのかよ!」とか「手を離せよ」とか野次が飛んできた。
 客から完全に見えなくなった場所に着いた時、フィリアは思わず力が抜けて床に座りこんだ。アズールが驚いて足を止める。

「おや、大丈夫ですか?」
「よくわからないけど、つ、疲れた……!」

 普段ユウから能天気と言われるフィリアの精神がここまで疲弊する原因は、主に視線だった。今までキーブレードを使って目立つ場面なんていくらもあったが、モストロ・ラウンジで感じる視線は何か質が違う。ジットリ、ベッタリ、好奇心に塗れた粘度があり、たまに背筋が凍る心地になる。

「幸い、僕に本日の来客はまだありません。しばらくVIPルームで休んでください。床に座らないで」
「うぅ……はい……」

 本当はユウに「もう帰りたい」と泣きつきたい気持ちになっていたが、フィリアは自分が言い出したことだと諦めて、渋々アズールに従った。





R2.9.9


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