ヴァニタスも退屈なのか、本棚は彼が読みつくす度に更新されるようになった。内容も絵本から小説へ、もしくは図鑑や詩集などへと変わっていって、役立つ知識があるかもしれないと自分も競うように読んでいた。未だマーリンのように世界を移動する魔法は完成していない。あの日、キングダムハーツと繋がれて必要な知識と力を引き出していた感覚が蘇れば思うだけで扱えると思うのだが……繋がれていることは分かるのに、利用するには遠すぎた。
この変化により恐れているのは、時間が狂っている世界だから彼が行って帰ってくる間が一日なのか数日なのか、はたまた数ヶ月なのかも分からないことだった。ヴァニタスの「本を取り替えるだけだ」という言葉に今のところ偽りはないけれど、世界を闇に堕とすこと自体はやめる気がないようだ。もっと彼をここに縛り付ける方法はないものか。思いつかないまま感覚のない時間ばかりが流れていった。
だから、いつものように闇の回廊から戻ってきたヴァニタスが血に塗れていたときには、本当に心臓が止まりそうな心地だった。
「何があったの!?」
「騒ぐな……少し油断しただけだ」
本を床に捨て、血を流しながらいつもの位置に行こうとするものだがら必死に止めた。
「そっちじゃなくて、こっち! 傷、見せて」
ベッドに寝せた彼へありったけの魔力をこめて治癒魔法を唱える。しばらく緑の光に包まれ呼吸が規則正しくなったことを確認してから、ホッと胸をなで下ろした。ヴァニタスはよほど疲れていたのかそのままベッドで眠ってしまった。そっと血がこびりついていた金髪をなでる。
「もうだいじょうぶ――良かった」
呟いてから、慌てて「ヴェンが無事で良かったって意味!」と心の中で言い直した。ヴァニタスは憎い、嫌い。大嫌い!…………でも、いくらひどい人だとしても、傷ついたり苦しんだりすればいいと思うなんて違う気がした。たとえば、もしアクアが今の自分の立場であったなら、彼女はそんなことを言わないと思う。だから、やはり「ヴァニタスの傷が治って良かった」と思っていいのだと己にゆるした。
「でも、どうして……?」
武器による切り傷だった。たとえ油断していたとしても、彼を傷つけられるほどの者は限られている。マスター・ゼアノートが彼を傷つけるとは思えない。だとすれば、光のキーブレード使い?
ゴクリと唾を飲みこんだ。世界で何かが起きて、変わろうとしている?
もしかしたら――ヴェントゥスを救えるチャンスなのかもしれない。
本に興味などない。だが、やることもない。まずは馴染みのある児童向けの童話ばかり持ち込んだ。フィリアが飽きた様子を見れば、魔法の知識など関係のない小説、詩集、星や花の図鑑など彼女が興味を持ちそうな綺麗なものを選んでいった。同じものでは無意味なので、自分も内容を把握できる程度に読んだ。不必要な知識が増えてゆく。
外の世界に出るついでに、ちょくちょくマスター・ゼアノートとも会っていた。セブンプリンセスがほぼ全員見つかったこと、もっと世界を闇に堕とさねば均衡がとれないことなどを話された。狭い世界に引きこもっている間に光の世界では随分時が流れていた。静かな時は終わりに近づこうとしてる。
「世界じゅうで、新たな光が育っている」
マスター・ゼアノートは楽しそうに言った。
「もうじき、我らの望みが叶うだろう」
本を失敬するときは、もっぱら埃が溜まっていそうな忘れられたものを選んだ。今日もある世界の広大な書庫を漁り、美しい表紙の本を見つける。画集のようだ。フィリアはこれを気に入るだろうか。
閉じ込めてから一度も笑ったことがないフィリアの――ヴェントゥスを通して見た微笑みを思い出す。もう一度見るには、ヴェントゥスを目覚めさせるしかないのだろう。未練は募るばかりだ。
ふと、強い光の気配を察知しΧブレードを出す。光はこちらの闇を的確に嗅ぎ取っていて一直線に向かってきていた。興味がわき、待ってやる。
「誰だ!?」
書庫に入ってきたのは銀髪で水色の瞳の男だった――歳は十五か十六というところ。キーブレードを持っている。賢そうな顔つきの男はこちらを見て、何か合点がいったらしい。鋭い目つきで話しかけてきた。
「それがΧブレードか」
マスター・ゼアノートと同じ色の長髪が揺れる。
「すさまじい力を感じる。イェンシッド様の言ったとおりだな。Χブレードで世界の扉を開き、世界を繋げようとしているやつらがいると」
イェンシッド。わざと生かしておいてやった元キーブレードマスター。こちらの思惑通りに動いてくれたようだ。まだまだ未熟だが、貴重な光のキーブレード使い。――キーブレード戦争に必要だ。消すわけにはいかない。
「この世界を闇に堕とすつもりか」
質問が多いやつだ。こちらに答える義務などない。
「そうだと言ったら?」
「決まってる。今、ここであんたを倒す」
身の程知らずの発言に笑いがこぼれる。こいつは相手との実力差も測れないのか?
「できるのか? おまえに」
せっかくの新しいおもちゃだ、少し遊んでやろう。本を置き、Χブレードの切っ先を持ち上げ挑発する。面白いことにこいつも自分と同じ剣の構えをとった。
何度か剣を弾かせ、だいたいこいつの評価ができた。力もスピードもまだまだだが、このまま戦闘経験を積めば伸びるだろう。この才能ある光のキーブレード使いの存在を知ったら、マスター・ゼアノートを大いに喜ぶに違いない。
切り結び、突き放すと男は肩で息をしながら片膝をついた。結構痛めつけたがこちらは無傷。こいつを強くしてやろうにもアンヴァースはもう出せないし、手段を考える必要がありそうだ。
「どうした。もう終わりか?」
「くっ……」
キーブレードを支えに立ち上がろうとする男を待つ。もう少し粘ってくれねば楽しめない。
「フン。期待はずれだな」
男がギリリと歯を噛みしめるのを見てわくわくした。プライドが高そうなやつ。こういう輩は屈辱をバネに己を磨く。
部屋の外から走り寄る足音に気がついたのは、そのときだった。
「リクッ!」
勢いよく扉が開け放たれて赤い髪の女が飛び込んできた。こいつもキーブレードを持っている。女を見たときヴェントゥスを思い出した。偏っている心、光の気配しかしない。まさかプリンセス?
「カイリ、来るな!」
「よくもリクを――炎よっ!」
カイリと呼ばれた女はキーブレードの先からファイアを唱えるが、どこを狙っているのか。小さな火の玉はよりによって持ち帰ろうと思っていた本の方向へ飛んでゆく。慌ててそちらへ駆け炎弾を切り裂いた。リクが背後から迫っていたことは分かっていたが、それでも本を守ろうとしてしまった。
「ぐっ……!」
背に熱が走る。舌打ちしつつ、剣を払うだけで発生する衝撃波でリクを壁に叩きつけ、その巻き添えになったカイリも床に倒れた。ボタボタと背から液体が滴る感触に顔を歪める。撤退すべきタイミングだった。このまま戦い続けても利はないし、こいつらを消してしまう。
「今日はここまでだ」
闇の回廊を開き中へ入る。傷は浅そうだが出血が多い。こんな、たかが本一冊のために。憎々しく思いつつ、やはり丁寧に持ち直した。
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