まったく生意気になったものだ。はじめは怯えていたくせに。
 心を読まれるのは不利だった。嘘はバレるし、隠し事は裏まで読まれる可能性がある。けれど、希望はうまくいったようだ。彼女はひとまずヴェントゥスを助けると目標を持って元気に生き続けている。
 自滅するという脅しは、見え透いたウソで本心ではないのは分かっていた。希望が上手くいっているからこそ、ヴェントゥスを放って彼女が無責任に消滅を選ぶことなどありえない。
 なら、なぜ従っているかといえば「傍からいなくならないで」というワガママを聞いてやっているに過ぎない。世界を闇に堕とす時間をできる限り遅らせたいという腹の内も、別に急がなければならない必要がないだけだ。いま世界にはキーブレード使いが余りに少なく、また純粋な光の心の持ち主がどこにいるのかも捜索してる真っ最中で、自分が数ヶ月行動しなくても計画に支障はなかった。

「あ……なるほど」

 唯一困ったことは、せっかく同じ部屋にいるのに会話がひとつもないことだった。フィリアはずっと棚の本を片っ端から読み漁っていてこちらを見ようともしない。ひとりだった頃の記憶に比べフィリアを独り占めできる時間など夢のようであるが、ひどく退屈だった。
 熱心に本を読みふけるフィリアの強い光を宿した瞳、鮮やかな唇の色、艶のある髪。どれもヴェントゥスを通して見ていたときよりも綺麗だ。全て、もっと確かな方法で手に入れたと思いたい。無理やりに奪ってしまおうか。乱暴な思考がもたげてきて、慌てて振り払う。時間はたっぷりある。急ぐ必要はない。

「じゃあ、ここをこうして、それで、こっちをこうすれば……んん?」

 ブツクサ本に向かって呟きだしたフィリアが気になって、そっと歩み寄ってみた。魔法の構成に関する本を読んでいる。何をしようとしているのかだいたいの察しがついた。

「愚かだな」
「ひゃあっ!」

 よほど集中していたのだろう。大げさに肩を跳ねらせたフィリアが本を隠しながら振り向いた。

「世界移動の魔法を編み出すつもりか? そんなものがここで通用すると本気で思っているのか」

 フィリアはしばし口をパクパクさせたあと

「やってみなくちゃわからないでしょ……もう、放っておいて」

 ベーッと舌を出し、また本に向き直る。そんな顔はヴェントゥスの心の中でも見たことなかったので、腹を立てるより、もっといろんな顔を見たいと思った。

「逃げることは許さない」

 思うままに彼女に触れる。手触りの良い髪からすべらかな頬を指の背でなぞり、顎を掴むと強引にこちらへ向かせた。フィリアは突然の接触に目を丸くしている。そのままふっくらした唇へ噛み付いてやろうと思ったら

――いや!」
「うっ」

 突然視界が真っ白になった。フィリアがシーツを覆い被せてきたらしい――不覚。
 シーツを取り払ったあと、見えたのは顔面を本で覆い隠したフィリアだった。

「触らないで。あっちに行って、近寄らないで」

 この……やはり力任せに襲ってやろうか。迷い、やはり我慢した。









 ヴェントゥスにキスされる。彼が好きと自覚してから幾度も想像し欲したことだ。だから、あの時反応が少し遅れた。彼が本当のヴェントゥスに見えて受け入れそうになってしまった。嬉しいなどと思いかけた。とんでもない! アクアたちを消したヴァニタスとなんて。自分はヴェントゥスは好きでヴァニタスは憎んでいるのだという線引きをハッキリするよう心がけた。
 いま、彼は扉の前に背を預ける形で眠っていた。ヴェントゥスの体を床の上で眠らせるなんてかわいそう。ごそごそ毛布をひっぱりかけてあげた。無垢な寝顔はヴェントゥスそのもので、愛おしくて笑みがこぼれる。

「いまなら、ヴェンの心に届くかな?」

 起こさないように、そうっと彼の胸元へ頬をこすりつける。心音を聞くようにヴェントゥスの心を探し、見つけた。仄かで儚い気配を察知し、たまらなくなる。あぁヴェントゥス。またあのきれいな瞳に見つめられたい。優しい声で名を呼んでもらいたい。恋しくて、恋しくて、切なかった。

「ヴェン、好き。大好きだよ――愛してる……」

 彼に告げたかった想いを囁きながら泣きたくなった。こんなに近くにいるのに決して届かない。なんて残酷な距離だろう。

「いつまでだって、どんなことがあったってキミを待っているから」

 名残惜しくも離れながら熱くなった目元を拭う。

「私が好きなのは、ヴェントゥスだけ」

 指先が濡れていなかったことに安堵しながら、しばし寝顔を眺め続けた。


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