「……う」

 目を覚ました場所は柔らかなベッドの上だった。

「ねむい……」

 頭が重くて、ごろごろ寝返りをうちなふかふかな枕に顔をうずめる。とても嫌な夢を見ていた気がする――二度寝したらまた見てしまうかも。しばらく浅い眠りを堪能しつつ、しぶしぶ目をこすりながら起き上がれば、いつも故郷で使っていたベッドにいたということに気がついた。そう、ここは自分の部屋だ。

「私、帰ってきたの……?」

 マスター・エラクゥスと揉めた後、帰ってきた記憶はないが――。深夜なのか真っ暗な部屋の中はやけに静かだし肌寒かった。
 星空が見えるだろうか? 手ぐしで髪を整えながらそっとカーテンを開いてみると景色がない。慌てて部屋の明かりを点し調べると、窓が全て塗料で真っ黒に塗りつぶされているようだった。理解した途端、背筋が凍った。おかしい。こんな悪質ないたずらいったい誰が?
 外へ出なきゃ。弾かれたようにベッドから降り素足のまま飛び出そうとした。けれどノブはガチャガチャ鳴るだけでドアは前にも後ろにも動きはしない。

「どうして――だれかっ、テラ! アクア! マスターエラクゥス!!」

 ドアを力任せに叩くがいくら待っても向こう側から誰も反応してくれない。やだ、怖い、怖い、怖い!
 こうなったら乱暴だが魔法で破壊してしまおう。そう構えたときだった。

「フィリアったら、どうして俺だけ呼ばないの?」
「ひっ――!」

 部屋の奥側から聞こえたヴェントゥスの穏やかで優しい声。

「キミのことを一番に考えているのは俺なのに」

 ヴェントゥスがくすくす笑いだし、声はどんどん大きくなって狂笑に変わる。口が渇き、ノドがひゅうひゅう鳴った。体が震えだす。振り向くのが恐ろしくてそのままの格好で硬直してしまった。
 背後の気配がゆっくり動き、くっつきそうな距離まで近づいて来る。ドアノブを握ったままだった手に彼のが重なってきた。つめたい――

「おまえをここから出せるのは、俺だけだ……」

 耳裏に唇を寄せて囁かれた言葉に鳥肌がたった。触れた箇所を引き剥がすようにすばやく振り向くと、青い目じゃないヴェントゥスが微笑んでいる。

「……嘘……」
「まさか、『あれは悪い夢だった』なんて思っているのか?」

 バカにしたように笑う彼はうっとりと目を細めた。

「アクアが消えたのも、テラが乗っ取られたのも、俺たちが融合したことも――すべて、紛れも無い現実だ」
「や、だ……」

 首を横に振って否定するこちらに、彼はいじわるな顔を寄せてなお言ってくる。

「おまえの大切なものは全て消えた。そう、俺が奪った」
「やめて……!」

 耐え切れなくなって彼を突き飛ばそうとしたが力がでない。ドアに寄りかかりながら、ずるずる床に座りこんだ。

「俺が憎いか? やつらの仇をうちたいか?」

 ヴァニタスが同じ高さの視線まで追いかけてきて片手を掴んできたと思ったら、彼の胸に押し当てさせられた。感じられる、見間違いかと疑うほどにわずかで小さく弱弱しい光。はっとするこちらの反応を見て彼の口端が釣りあがった。

「わかるだろう? ここにまだ<買Fントゥスが残ってる」
「ヴェン……!」
「アイツは深淵の奥底で眠っている。おまえが呼びかけ続ければ、いつか目覚めるかもしれない。俺が阻むけどな」

 そう言って、ヴァニタスが離れていった。
 まだ、できることがある。最後にたったひとつだけ残された希望だった。









「私ね、君のことが好き――君の全部が大好きです」

 この言葉を受けたとき、全身が歓喜で震えた。涙で濡れた瞳で告げられた愛は、間違いなく己に向けて囁かれたものだった。諦めていた――憎まれて恨まれて蔑まされること以外得られないと思っていたから、その幸福にいままで経験したことがないほど心臓が高鳴った。
 だから、それがほんとうはどういう意味を持っていたのかに気づいたときの怒りや絶望も同じくらいの衝撃だった。
 彼女の愛は自分まで含めてヴェントゥスだから愛している≠ニいうものだった。ヴェントゥスがいなければヴァニタスなど愛されるはずもなかったのだ。
 もとはひとつの心だった。だからその見方はある種、真実であるのだろうが――自分の望むところではない。もう自分はヴェントゥスの付属品ではないのだ。
 深い息を吐き出しながら自嘲した。まったく愚かだ。彼女の愛を心のどこかでやっぱり諦めきれていなかったのだ。そして彼女の友人を倒したことで本当に手の届かないものとなってしまった。

 ひと一人を閉じ込め管理することはなかなかに骨が折れることだ。どうなってもいい相手ならばどんなに粗末に扱ってもかまわないだろうが、これはやっと手に入れた宝物だ。しかも子どもで、女で、特にいまは心が弱っている。絶望に沈みすぎて狂ってしまったり自我をなくしてしまっては今までの苦労が台無しだ。
 気絶したフィリアを抱えこれからの扱いに悩んでいるとマスター・ゼアノートが知恵をくれた。「どんなにささやかなものでもいい。希望を与えるのだ」と。自分が用意できる彼女への希望はひとつしか思い浮かばない。呪われたような気持ちだった。せっかく取り込み闇に溶け消えるのを待つばかりだったヴェントゥスの心を、わずかばかりでも残さなければならなかった。

 フィリアを閉じ込める場所は彼女の故郷を選んだ。闇に傷つけられた世界は荒廃し、かつての輝きが一切失われている。幸いフィリアの部屋は無事だったし、ここに来られる者はこちらの事情を理解し一切の手を出さない。
 余計なものを目に入れないよう窓を潰し、Χブレードで扉を閉める。とりあえずこれでフィリアがどう反応するか。様子をみることにした。


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