【部屋から出ない】




 ヴェントゥスがなんて言おうと、フィリアにとってここは敵の本拠地である。うかつに出歩くのは危険だろう。
 まずフィリアは装備の確認をし、ホルターが空になっていることに気づいた。飛行中に銃を落としてしまったようだ。ヴァンパイアたちにとって威嚇にもならないが、それでも本当に丸腰になってしまったことに不安を覚え、武器になるものはないか部屋を見渡し、壁に飾られた剣を見つけた。刀身の素材は銀らしい。切れ味はないが対ヴァンパイアならば有効だ。いつかキーブレードを使えるようになった時のため、剣術の訓練も数日目だが受けている。ないよりはマシと考え、フィリアはそれを腰にさした。
 扉に耳をおしつけ、廊下の気配を探る。物音ひとつしないので、そうっと開き覗き見る。使用人のひとりも歩いていないようだ。

「誰もいない、よね……」

 いつでも剣を抜けるよう構えて、そうっと廊下を歩きだす。夜はまだ更けたばかり。ヴェントゥスが戻ってくる前に脱出しなければならない。
 壁と同化する気持ちで、端っこをコソコソ進んだ。長い廊下を通る時は緊張と不安で時の流れが永遠のような気持ちになった。大して動いていないのに、汗が頬を流れ落ちる。
 下る階段を見つけ、フィリアは喜んで駆け下りた。外へ通じる扉が見えた時は一目散に向かった。しかし、ノブを手にかけ施錠の手ごたえが繰り返された時、喜びが霧散する。

「そんな」

 どうやら特殊な造りのようで、内側なのに鍵を開けることができなかった。フィリアはガッカリしつつ、別の出入り口を探す。窓からだって、出られればかまわない――そう考えたが、どうやらこの屋敷は厳重な造りのようで、どの窓も開閉に特別な鍵が必要らしかった。

「キーブレードがあれば」

 どんな鍵も封印も開けることができるキーブレード。こんな時でも、あの呼び出す感覚はこない。フィリアはギッと奥歯を噛んで、別の出入り口を探した。
 このフロアでは使用人たちと遭遇しやすい。彼らは緩慢な動きで、暗闇のなか休まず掃除や庭の手入れなどを続けていた。どうみても正常ではないため、彼らにも見つけられないようにフィリアは更に物陰に隠れて移動する。正面口は強固でも、使用人たちが出入りする勝手口ならセキュリティが厳しくないかと期待した。幸い豪邸のため巨大な家具がいくつもあって隠れる場所には困らなかった。

「あと、もう少し……」

 そうしてやっと勝手口を見つけたものの、側に見張りの窓口があった。フィリアは芋虫のように地面を這い、窓口の死角を狙ってそうっと進んだ。鈍い見張りに気づかずに済んで、やっとの思いで前庭に出る。

「やった!」

 あとは鉄柵門から脱出するだけ。フィリアは茂みに隠れつつ裏門から出ようとして、柵に鎖が巻き付けられて封鎖されているのことに気がついた。

「……なにこれ」

 ショックを受けつつ、では正面口から堂々と逃げようと気を持ち直して向かうも、そちらも鎖が複雑に絡ませられ、挙句南京錠をぶら下げて閉鎖されていた。

「そんな。この屋敷の人は、どこから出入りしているの?」

 柵はよじ登って超えるには高すぎる。フィリアはしばし途方に暮れた後、しかし諦めずに脱出口を探した。夜のため視界は限られ、ノタノタと動く使用人がうろついているなか、土埃にまみれながら探索を続けていると、前庭の噴水の水の音にまぎれ羽ばたく音が聞こえてきた。ヴェントゥスが飛んでいく時と同じの音だ。フィリアが見上げると、影がふたつ、屋敷の中へ入っていった。ヴェントゥスが戻ってきたのか――? 部屋からいなくなったことがばれたかもしれない。急いで逃げなければ。
 焦ったフィリアは入口の鎖がほどけないか挑戦し、次は剣で鎖が斬れないか試し、失敗してガチャンと大きな音をたててしまった。

「ヴェントゥスが探していたぞ」

 背後にある噴水方面から男の声がして、フィリアはぎくりと振り向いた。真っ黒な仮面をつけた少年が立っている。フィリアはテラとアクアがよく戦っている相手だと直感する。
 仮面の少年はフィリアをジロジロ眺めたあと舌打ちをした。

「兄弟からの頼みだ。おとなしく捕まるなら、傷つけないでおいてやる」

 そう言って近寄ってきたので、フィリアは剣を構えて警戒した。少年が嗤う。

「キーブレードが使えないのは、本当らしいな」

 ヴェントゥスよりも残虐そうな雰囲気を漂わせる少年。テラとアクアが仕留めきれない相手。フィリアに適うはずもないが、大人しくやられるのはいやだった。フィリアは剣について、僅かな期間だが教えられたことを思い出す。

「――たぁ!」

 フィリアが力いっぱい振った剣先は、少年の指でキャッチされた。振り払い、もう一度。また掴まれた。それを何度か繰り返す。仮面の少年がまた舌打ちした。

「銀か」

 剣で指先を火傷した仮面の少年は、苛立ちをあらわに、側で植木を整えていた使用人の首を掴み、フィリアの方へ投げてきた。とっさに受け止めてしまったフィリアは背後の鉄柵に強く叩きつけられてしまう。激痛から地に倒れた。
 仮面の少年が近寄ってくる。このままでは屋敷の中へ連れ戻されてしまう。

「うっ、く……」
「まだ無駄な抵抗を続けるつもりか?」

 フィリアがもがくのを見止め、仮面の少年が先ほど投げた使用人の腕を掴みあげた。それを、まるで小枝のようにペキャリと折る。ありえない方向に曲げられた腕は骨が突き出てボタボタと血を流した。

「なんてことを!」
「これ以上、余計な被害を増やしたくなければ、大人しくしていろ」

 洗脳状態であろう使用人は悲鳴すら上げないが、仮面の少年は使用人のもうひとつの腕も折るぞと脅してくるので、フィリアは頭が真っ白になった。人々を守るためのヴァンパイアハンターを目指しているのに、自分のせいで他の人が傷つけられるなんて――。

「ひどい。よくも……!」

 フィリアは、少年の非道な所業に腹の底が煮えるような怒りを覚える。己に力があれば――。力がほしい。覚えのある渇望だった。

「私に、力を!」

 フィリアの握っていた銀の剣が輝いて、鍵となる。羽のように軽くしっくりと手になじみ、闇を打ち払わんと導いてくれる力に従い、フィリアは仮面の少年に斬りかかった。

「キーブレードだと!」

 少年は即座に反応し、使用人から手を放して身をひるがえした。
 フィリアは使用人の腕へ癒しの力を使い出血を止めると、改めてキーブレードを仮面の少年へ向けた。キーブレードがあろうとこの少年に敵う可能性は低い――隙をついて柵の封印を解いて逃げるしかない。やっとキーブレードが出せたのだ。絶対にここから脱出し、ロクサスに会う。フィリアは決意新たにキーブレードを強く握りしめた。
 仮面の少年の表情は見えないが、苛立った雰囲気はフィリアにも十分伝わってきた。

「ヴェントゥスはおまえを生かしておきたいと言っていたが――やっぱり、俺には面倒だ」

 少年の手に宿ったものを見て、フィリアはギクリとする。鎖が巻き付いたデザインのキーブレード。

「あなたもキーブレードを!?」
「別にこれは、おまえたちだけが使える力じゃないんだよ」

 少年が襲い掛かってくる。強い一撃を受けとめたが踏ん張り切れず、フィリアは弾き飛ばされた。たった一撃で地を転がり、前庭の噴水の石段にぶつかって止まった。腕はじんじん痺れており、全身が打撲と擦り傷だらけになる。

「次は、手加減抜きだ」

 冷徹な声に言われ恐ろしさはあるものの、ロクサスに会うのだという思いや、たやすく人を傷つけるこの男に屈したくないという気持ちが勝った。フィリアはダメージを負って倒れたがる体を叱咤し仮面の少年へまた剣を向けると、少年が「そうか。消えろ」と殺意をむき出しに歩いてきた。仮面の少年がキーブレードを振り上げ、叩き落す寸前――「待った」と影が割り込んでくる。

「ヴァニタス!」

 ヴェントゥスがフィリアを背に庇うように、仮面の少年との間に飛びこできたようだ。

「フィリアのこと、傷つけないでって頼んだだろ!」
「そいつが暴れるからだ」

 バツが悪そうに、ヴァニタスと呼ばれた少年がヴェントゥスへ答える。ヴェントゥスは「間に合ってよかったよ」とフィリアへにっこり笑んできた。
――ロクサスが助けに来てくれるわけがない。わかっていたこと。
 ヴェントゥスを見つめて、フィリアは落胆した。もう逃げられない。

「ヴァニタス。マスターに見つかる前にフィリアを……」

 その瞬間、フィリアのキーブレードがひとりでに動いた。ずぷりと重い手ごたえが続く。

「えっ――?」
「なっ……」

 ヴェントゥスの背に、フィリアのキーブレードが深々と突き刺さっていた。




R5.9.5




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