人里から少し離れた林の中にある、“箱庭”と呼ばれる古い孤児院。フィリアを含めた十数人ほどの子どもたちは、園長の老婆に見守られながらひっそりとそこに住んでいた。
 近くに住む村の者たちは決してここと関わろうとしないし、フィリアたちも他者との接触を固く禁じられている。なので、箱庭を訪れる者はたった数人だけだった。

「はぁ……」

 林の中をひとりでとぼとぼ歩くフィリアの深いため息が、落ち葉と共に地面に降ちる。籠められた気持ちは、少しの歓喜と多めの苦悩。

「わたし、ここで何してるんだろ。せっかくロクサスが来ているのに……」

 久々に、客人であるロクサスが訪れた。それがフィリアの気持ちを浮き立たせ、深く沈ませている原因だった。理由は単純。他の子どもたちとのロクサス争奪戦に負け、部屋を追い出されてしまったからだ。別に、フィリアは施設の嫌われ者ではない。しかし、ロクサスがあまりにもフィリアを目にかけるので、周囲から嫉妬を買ってしまった結果だった。
 フィリアは足を止め、軽く目を伏せる。

「……ロクサスがたくさんいたらよかったのに」
「フィリアは俺がひとりじゃ不満?」

 少年と青年の中間、優しくて穏やかな声にフィリアは頷く。

「だって、そうしたら私もロクサスと一緒に遊べ――ロクサス!?」

 そこまで言いかけて、隣で微笑むロクサスの姿に気づき、フィリアは文字通り跳び上がって驚いた。
 ロクサスはクセのある栗色の髪と、深い空色の瞳を持つ、フィリアと同じくらいの年齢の少年だ。本日は綺麗な白のワイシャツに深緑色のブレザー、深赤色のネクタイというかっちりした服装に、黒いフード付コートを着込んでいる。
 フィリアの仰天ぶりに、ロクサスはくすりと破顔した。

「施設の中にいないから、探したよ」
「こ……ここ陽の下だよ!?」

 孤児院に多大な寄付をしている大会社の関係者であるロクサスは、あまり陽光を浴びてはいけない体らしい。現在フィリアたちがいる林には、当然ながら陽の光を遮るものはほとんどない。

「早く屋内に戻らないと!」
「あ、待ってよ」

 フィリアが慌てだすと、ロクサスがそれを制した。

「せっかくだし、もう少しだけここにいないか?」
「それはダメ。ロクサスは」
「だいじょうぶ。フィリアと一緒だから、陽の下でも調子がいいんだ」
「でも……」
「それなら、走らないでゆっくり歩いて戻ろうよ。それならいいだろ?」
「……本当に、平気なの……?」
「ああ」

 極上の笑みで頷かれたら、それ以上フィリアに反対できるわけがない。フィリアは頬が紅潮するほどの喜びを感じながら「早歩きなら」と承諾した。










「フィリアは箱庭に住んで何年になる?」

 早歩きで進む、他愛ないおしゃべりの途中。
 ロクサスの質問に、フィリアは舞い落ちてくる枯葉を見上げながら考えた。

「確か5つのときからだから、今年で10年目」
「そうか。じゃあ来年で卒業だな」
「うん。16歳になってテストに受かりさえすれば、ロクサスたちの会社に雇ってもらえる……だよね?」
「フィリアなら絶対に受かるよ。俺が保証する」
「ありがと。ロクサスにそう言ってもらえると、なんだかとっても心強いよ」

 どんなテストを受けるのか、どんな仕事に就かされるのか、子どもたちはいっさい知らない。ただ16歳になったときに試されて、それに合格しさえすれば立派に社会で生きてゆける――そう教えられていた。
 木々の隙間から施設の屋根が見えてきたとき、ふとロクサスが立ち止まった。

「あのさ、フィリア」
「なぁに?」
「フィリアが16歳になったとき、もし嫌じゃなかったら、俺と……いや、俺の……俺のはな…………に……」

 ぼそぼそと言いながら、普段は白いロクサスの顔色が夕日のように真っ赤になっていく。彼らしからぬ様子に首を傾げ、フィリアはロクサスの顔を下から覗きこんだ。

「ロクサスの鼻がどうしたの?」
「違っ、その鼻じゃなくて……」

 こほん、とロクサスが咳払いをする。そして改めて言い直そうとした時だった。

「ロクサス」

 低い男の声がロクサスを呼ぶ。二人が声の主を探すと、少し離れた木の影に黒いコートをきっちりと着た男が立っていた。

「アクセル!」

 ぎょっとしながらロクサスが名を呼ぶと、コートの男――アクセルが「よっ」と挨拶するように片手を挙げた。炎のような赤髪から顔面までを隠したアクセルは、フィリアにロクサスの(自称)親友兼相棒兼教育係兼世話係と名乗っているどこかつかみどころのない男だ。

「よう、フィリア。久しぶりだな」
「うん。えぇと、3ヶ月ぶり」
「もうそんくらいになるか。おまえ大きくなったなぁ」
「アクセル、今日は任務じゃなかったのか?」

 ロクサスが短く訊ねると、アクセルは気まずそうに片手で後頭部をかくような仕草をした。

「そうだったんだけどよ、緊急招集だ。おまえを呼びに来た。」
「……どうしても行かないとダメか?」
「ボスの命令は絶対だろ?」
「…………わかった」

 ボスとは、ロクサスたちの会社の社長のことだ。
 「会ったばかりなのに」と残念がっていると、ロクサスが顔を向けたので、フィリアは慌てて笑顔を浮かべた。

「また会いに来てくれるの、待ってるね」
「ごめんな……次はもっと――うわっ!?」

 ロクサスの寂しそうな困り笑顔を、彼のコートについていたフードが覆う。フィリアが少し顔を上げると、もがくロクサスをフードごと押さえつけたアクセルの、フードから覗く口元が笑っていた。

「アクセル、何するんだよ!?」
「多少平気でもフードはちゃんとかぶっとけ。何のために俺たちがこのコートを着てると思ってんだ」
「わかった、わかったから手を離せって……重いっ!」

 しかしアクセルはロクサスの頭から手を退けるどころか更にのっしり力をかける。

「悪いな、フィリア」
「ううん、みんなが忙しいことは分かってるし」
「次はシオンも連れて来るか。あぁ、デミックスがおまえに新曲を聞かせたがっていたぜ」
「本当? 私も会いたいなぁ。それにこの前バーサクおにごっこしてくれた……えっと、サイ……サイ……」
「サイクスか? あいつは……」
「アクセル!! 行くぞ!」

 いきなり、勢いよくアクセルの手を振り払ったロクサスが走り出す。アクセルはその背を見てニヤリと笑った。

「ふぅん……あいつ、邪魔者はいらねーってか」
「え?」
「気にすんな。そんじゃ、またな」
「あ……うん、ばいばい」

 絨毯のように広がる落ち葉の上を黒いコートを着た二人が走ってゆく。フィリアはその背が見えなくなるまで見送った。




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